

突然のトラブルは、音も立てずに突然やってきました。いや何かの予告は必ずあったはずだと、今は思うのですが、その時は、全く無防備の状態でやってきたように感じました。
そう言えばあの時、盛岡市内を巡っていた時に、右側のウィンカーが点滅しないのに気付き、市内のカーショップを探して修理しました。人に聞きながら、郊外のカーショップを探して、修理しようとしたら、40分待ちですと言われたので、その位の修理なら、自分でやってしまえと、型番だけ合わせてもらって購入したライトを、自分で修理してしまいました。車には電動工具類や道具を装備しているので、私にとっては、苦にならない作業でした。今思えば、それがトラブルの前兆だったのかも知れないと思いますが、その時は、自分で修理した気分でした。何の異常も感じず、ルンルン気分で旅を続けていたのでした。
龍飛岬まであと数キロの、高台の眺望台まで来た時でした。断崖絶壁の海岸線から、新しく作られた山道をヘアピンで登りつめた所に、眺望台の絶景の場所があったので、一旦車を停めて駐車場に入りました。前には数キロ先に、雲に隠れた龍飛岬がかすんでいます。龍飛まで行って来た人に聞けば、霧の中で、気温は20度程度の涼しい感じだと言うのに、眺望台はカンカン照りの真夏の暑さでした。遥か後ろには、今通ってきた津軽半島の遥かな海岸線が、眼下に広がっていました。標高約500メートルの眺望台と、見晴らし台の表示盤に書いてありました。
平坦な駐車場だったのが幸いでした。エンジンを停めて、再び発進しようとしましたがエンジンが掛りません。焦りましたがどう仕様もないので、近くを通った方にお願いして、バッテリーにコードを繋いでやってみましたが、動きませんでした。ガソリン車は12V,ディーゼル車のキャンピングカーは24Vバッテリーでしたので、無理なことはすぐわかりました。焦っても仕方がないので、近くの方に教えられてJAFに連絡を取りました。すぐに繋がったのですが、今日は青森の地域一帯は、「ねぶた」の夏祭りの季節で、近場の要員は、皆休みで動けないので、仕方がないので青森から出発するというのです。
遥々青森から出発して、約2時間半以上はかかると言うものでした。車が動かないのでは仕方がないので、待つことにしました。雲ひとつない真夏の暑さの中、じっとしているだけでも暑いのですが、いろんなことをして時間を潰すことにしていました。お腹も減って来るし、喉が渇いて仕方がなかったです。幸い来る時におにぎりや飲み物を買って腹ごしらえしたので、少しはマシでしたが、喉がカラカラに乾いてきました。幸い駐車場にトイレがあったので、そこで水を汲み飲むことができました。
どうしてこうなったのか、考えてみました。もしかしたら長い山道の登り道でも、エアコンをかけっぱなしで来ためかとか、発電機が故障したのか、バッテリーが上がったのかなどと考えたりしましたが、それ以上の思考はその時は無理でした。
こんな最果ての地まで来て、車のトラブルに遭遇するなんて、思いもよらなかったので、ひたすら待つことにしました。汗で濡れた上着を取り替え、キャンピングカーの内部を整理したりして過ごしました。携帯電話も電池が少なくなって不安になりましたので、旅行者に無理をいってお願いし、充電して貰ったりもしました。
眺望台に到着して、トラブル発生したのが、12時半過ぎでしたが、約2時間半以上待って、やっとJAFの方は来てくれました。近くまで到着したが、あと30分は掛ると電話があった時、それからの30分は長く感じました。やっとのことで15時頃に到着、JAFの方はすぐに診てくれました。大きなトラックのような装備で来てくれましたが、JAFの方はいろいろ調整しているうちに、バッテリーのターミナルが緩んでいるようで締めてくれたのです。ケーブルを繋ぐことなしに、簡単に1発でエンジンをかけてくれたのです。その時は、ターミナルの緩みだけだったのかと安堵しましたが、JAFの方の車の直し方の素晴らしさに感動さえ覚えました。JAFの方の素早い動きに感動し、神様のように思えました。2時間半も掛ってやってきてくれたお兄さんに心からの感謝の気持ちで一杯でした。
その時はターミナルの緩みだけが問題だったと、安心して簡単にとらえてしまったことが、大きな過ちであったことが、後で知ることになるのですが、その時は、全くそのことは気付きませんでした。エンジンを一旦止めても、その時は、またかけることができたからです。JAFの方は、その時エンジンを止めない方がいいような素振りをしましたが、私は何ともないと思ってしましました。JAFの方は、その時バッテリーの電源が弱くなっていたことを知っていたのかも知れません。電圧を計って、若干低いとは言ってくれただけでした。私は、すっかり直ってしまったとばかい思って、また嬉しい気持ちで出発したのです。JAFの方に料金を支払いましたが、今は持ち合わせが少ないと感じたので、JAFには後で加入することにして、修理の代金だけを支払いました。それも大きなミスだったことが後で判明することになるのです。
車は回復しましたが、龍飛岬方面からきたというJAFのお兄さんは、龍飛に行っても今日は何も見えないと言います。晴れていれば北海道も見えるのですが、今日はすっかり霧の中で、何も見えなかったと言います。車が直っても何があるかわからないので、JAFの方に勧められて、今日来た道を引き返していくことにしました。
山道を下りて、海岸線を来た道を戻っていきましたが、五所川原方面と十三湖への分岐点に来た時、やはり十三湖には行ってみたかったので、そちらを回って行くことにしました。初めて来る十三湖の景色は、何と素晴らしいことでしょう。丁度海岸線沿いに、天橋立のような見事な砂州の地形に国道が走り、その右側に日本海、左側に広大な十三湖の湖、入り江が広がっていました。その僅かな幅の砂州の地形にひしめくように集落が繋がっているのです。両側を見渡せるほどの僅かな幅の地形、海抜ゼロメートの長い地形に、人々の暮らしがありました。しかもこの地域の家屋は、普通以上に立派に思えました。シジミ貝の産地、十三湖のシジミと言えば、全国に通用するほどの有名なシジミがとれる場所なのです。豊かな海の幸に支えられ、歴史にも登場するほど昔から栄えた地域なのだと、実感として受け止めることができました。
十三湖を通り抜け、鰺ヶ沢の五能線方面と五所川原方面への分岐点に来た時、五所川原に立ち寄ってみる気になっていました。五能線は7月の旅行で来たし、ここからも五所川原にも行けることがわかったので、躊躇することなく目指していました。地形も大体わかってきました。十三湖のあたりは、すっかり砂州の地形によって囲まれた内湾になっていること、この大きな湖のような地形が十三湖の特色なのだと、そして、この大きな内海がシジミの名産地なのだということが分かりました。さらに、その大きな内海に何と大河、岩木川が流れ込んでいたのです。十三湖から、広大な津軽平野の中を流れる岩木川を渡って五所川原に到着することができました。何と長い道のりか、津軽平野では点在する集落がなんと離れていることでしょう。それだけでも津軽平野の広さを感じることができました。
車は調子がよく、問題や異常は感じられませんでした。
今日は、五所川原の夏祭りが開幕する日です。一度「立ちねぶた」を見たいと思っていましたので、ちょっとだけ立ち寄ってみたいという気分になっていました。
車が故障したことなど、すっかり忘れてしまっていたのです。もう車は快調だと思っていました。眺望台では、ターミナルの調整だけで車が復活したので、深刻な故障とは受け止めていなかったのです。それは大きな過ちでした。でもJAFの方はケーブルを繋がないで復活したし、バッテリーはそれほど電圧が下がっているとは思わなかったです。今思えばJAFの方が、エンジンを止めようとした時,やめた方がいいような素振りを見せたのがそれだったのかも知れません。でもJAFの方は、その時言葉に出しては、言いませんでした。
私はすっかり車が直ってしまったので、少し位寄り道してもいいと思ってしまったのでした。