
旅の
1日目、朝早く起きて、日記を更新してから、旅行の準備を始めました。前の日には全く準備していません。急いで準備しますが焦る必要がありませ。大体は軽トラックに積んであるので、キャンピングカーに積み替えるだけです。朝食の後

、昼食分のおにぎりやおかずを持参して、忘れ物が無いように確かめてから、出発しました。
小1時間で全部準備して、9時20分頃に出発、キャンピングカーで、最初、富谷のおじさん宅に寄って、ネットオークションで買った日本舞踊の傘を届けました。おじさんも傘を待っていたようで喜んでくれました。談笑しながら、久しぶりに楽しく過ごしました。昼飯を出してあげるとの誘いを断って、11時半頃には、富谷を出発、今度は、富谷の兄宅へお中元を届けていきました。お中元を頂いていたので、富谷の大型ショッピングビルに寄って、お中元を購入し、そのまま届けました。
兄宅は、富谷の閑静な住宅街にあります。数年前に中古でやっと購入したお宅ですが、私の家よりずっと広く、部屋もたくさんあるようです。丁度、兄や義姉も在宅でしたが、中には入らず、お中元を届けてすぐに出発しました。
そのいまま国道4号線を北上し、すぐ近くの大和インターから東北道に入りました。
いざ盛岡に向けて出発です。大和インター過ぎたのが12時半頃だったでしょうか。
途中のサービスエリア(SA)で、持参したおにぎりやおかずを食べ、昼食を済ませました。
約2時間掛りましたが、盛岡インターで下りて、駅前広場でのさんさ踊り大会を見学に向かいました。駅近くの北上川のほとりに車を停めることが出来たので、そこから持参した折りたたみ自転車を出して、駅まで行きました。たくさんの人々が大会を見学していました。車を置くために時間がかかって、最後の幾つかの演目だけしか見ることができませんでしたが、見事な踊りを見ることができて本当に良かったです。16時過ぎには大会は終了しました。
18時からは、大通りを会場として、さんさ踊りの大群舞があるのですが、車が駐車できなかったこと、余りの人の多さに圧倒され、結局は、メインイベントの大群舞の踊りは見ることができませんでした。しかし街を車で移動しながら、盛岡の夏祭りは、本当に人でごったがえし、地域の祭りとして完全に定着し、人々が参加しながら楽しんでいることが分かりました。
物凄く汗をかいたので、携帯で調べて、市内の銭湯に入ることにしました。盛岡の街のど真ん中にも古びた銭湯があるのです。汗を流し気持ち良くなりましたが、市内にはキャンピングカーを停める駐車場を見つけることができませんでした。
また、突然、車の右ウィンカーのライトが点滅しなくなったので、郊外のカーショップを探して、修理しました。街中には車は停められないので、高速道路のサービスエリアに行くことにしました。
再び盛岡インターから高速道路に入り、暗くなってきたので、盛岡界隈で最も大きなサービスエリアの岩手山SAに入りました。暗くなって来たので、ここで泊まるしかないと思いました。夕食は、SAの食堂で「葱味噌ラーメンセット」を食べました。お腹が空いていたので、美味しかったです。食事が済んでから、SA内のコインパソコンでネット掲示板へのコメントの書き込みが出来ましたが、10分100円では短かったです。
SAにはたくさんの車が停まっていました。高速道路のSAで車に泊まる人が多いことが分かりました。その他にも、トラックもおびただしい台数が停まっていました。エンジンをかけながら休んでいるようで、騒音が凄いので、なるべくSAの端の方に車を停めて泊まる準備をしました。SAでは酒が売っていないので、酒なしで眠ることにしましたが、どこか神経が張って眠れなかったような気がしました。それでも疲れは取れたのか、朝にはシャキッとしていました。
2日目の朝は、5時前に起きて、出発の準備し、5時過ぎには、青森に向けて出発しました。岩手山SAを5時過ぎに出発し、青森着は、大体7時過ぎでした。青森中央でインターを下り、前に行ったことのある青森駅を目指しました。駅に目指す途中、面白い光景を目にしました。国道4号線と国道7号線がぶつかる地点です。青森港に向かって右側が国道4号線で下北半島方面、左側が国道7号線津軽半島方面の表示が大きく出ていました。何と太平洋側からと日本海側からの国道がぶつかる地点、国道の終点の地点でした。やっと青森まで到着したという実感でした。そこから青森駅は、実際には青森港の外れに、海に突き出すように位置しているのです。昔青函連絡船があった当時、そのまま連絡船に乗れるようになっているのです。青森駅は青森港の中央部から見ると西側に位置し、真東に向かって駅が面していました。何となく青森市の街の形が分かって来たような気がしました。
近くで朝食を食べようと思いましたが、やはり駅周辺は、駐車場がありません。それに朝だというのに、昨夜のねぶた見物の名残か、道路という道路には、シートが引かれたり、椅子が置かれたりで、ねぶたの見物席が作られていました。そうです。ねぶたが始まって、毎日大賑わいの様子ですが、私は昨年ねぶたを見たので、今回は別な見学を考えていました。
市の郊外まで車を走らせ、やっと朝定食の朝食をしてから、今度は津軽半島の五所川原方面に出発しました。国道7号線で弘前方面に向かい、途中浪岡町の道の駅に寄って買い物を済ませました。あたり一面のリンゴ畑は、見事なものでした。その他、道の駅では、メロンや手焼きせんべい、その他新鮮野菜や果物など何でも売っていました。青森県には道の駅は、至る所にあることを前に聞いたことがありました。宮城県の感覚では、到底考えられないほど、道の駅が整備されているような気がしました。
浪岡町から、津軽自動車道路に乗って、終点の五所川原まで行きました。そこから昨年来た太宰治の斜陽館がある金木町まで、国道339号線を北上しました。津軽半島の広々とした田園や山並みが広がり、津軽半島の大きさや奥深さを感じることができました。
金木町の斜陽館の傍を通り、どこまでも北上します。津軽半島の突端の龍飛岬までは、金木町からでも60km以上あります。昨年来た太宰治の生家がある金木町は、津軽半島のほんの入口だったということがやっと分かりました。だんだん調子が乗って来ました。朝食の朝定食を食べたのに、お腹が空いてきましたので、コンビニでおにぎりやお茶を購入して車の中での食事です。
途中に燃料を補給し、どこまでも339号線を龍飛岬を目指しました。途中十三湖の方面に向かう道と分かれ、中泊町を経由し、龍飛岬を目指しました。海岸線ギリギリの道路から分かれて、山道に入りましたが、行き方を間違えて小泊部落に寄りました。一夜干しの烏賊を焼いて売っていましたので、食べたら肉厚の絶品でした。大きな肉厚の烏賊が200円で食べることができました。こんな最果ての土地にも小さな漁村が点在していました。
食べてみないと分からないような美味しさでした。ここで龍飛岬までのルートを教えてもらい、さらに山道を進みました。海岸線沿いの昔の道路は、断崖絶壁で落石の危険からか、途中から新しい道路が作られていました。山道を縫うように登るヘアピン道路でした。
龍飛岬まであと数キロの場所に、眺望台がありました。そこに車を停めて見学をしました。
遥か津軽半島の海岸線や日本海が眼下に広がっていました。
旅はここまでは絶好調でした。しかしこの後誰も予想だにしなかった、恐ろしい事態が発生したのです。そんな展開になるとは、神様が与えた試練だったのでしょうか。今考えても心の中で整理が付かない程の試練を経験することになったのです。