奥羽山脈ぐるり旅No2 と「歌声バスツアー」実現へ | アカデミー主宰のブログ

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仙台ミュージカルアカデミーの旬な日常情報をお届けします。
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ライブ動画も掲載しました。検索は、ユーチューブで「仙台ミュージカルアカデミーライブ&発表会、花は咲く 荒浜」です。

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 今日も朝から暑い日です。東北地方も梅雨が明けた模様です。日記更新の後、味噌汁、卵、ハム入り野菜炒めで食事を済ませて、お弁当を作りました。おにぎりの他に、タッパーにレタス、大葉や梅干を詰め込みました。八戸で買って来たイワシのマリネを、真空冷凍のままで持参しました。今日は月曜なのだけれど、朝からオフでした。これまでは用事があって、午後からのドライブばかりだったので、思い切って朝から出かけることにしました。
 今日は、昨日エアコンを診てもらったキャンピングカーを試すことにしました。高速道路は、本来は乗用車の方が乗り心地はいいのだけれど、どこまでいけるか、果たして暑い夏でも大丈夫かを試してみることにしました。必要なものを積み込んで、一応スタジオにだけは寄ってみました。メールチェックだけは、済ませたいと思ったからです。
 スタジオに寄ってから即出発しました。今日入るインターは、今迄、若林ジャンクションの近くで東部道路と南部道路が交差する辺りだったので、東北道に入る方法を知らず、使ったことがなかったのですが、ここからが一番近道だと、先日分かりました。長町インターから入って、東北道に向かいまいました。キャンピングカーも調子がよいようです。 
 エアコンは、今迄調整していなかっただけで、完全に動きました。涼しい風が出ることが分かりました。東北道から山形道に入って、一昨日イントラと月山街道を目指したように、山形に向かいました。キャンピングカーは、ディーゼルエンジンなので、乗用車ほどスピードが出ませんが大丈夫のようです。
山形北インターを過ぎたあたりに、山形中央ジャンクションがあったので、ここから中央道路に入り、北に向かいました。山形中央道路は、現在は東根まででしたが、そこで下りて、東根のサクランボ畑の中を北に向かいました。途中、「サクランボ東根駅」(正式名称)があったので、珍しいので駅に立ち寄り見学をしました。駅の中に図書館があったり、駅前にサクランボのモニュメントがあったり、この街は、全てがサクランボ一色でした。 
 現在収穫の時期で、至る所にサクランボ農園がありました。サクランボは東根のほんのこの地域だけで作られているようです。最上川の近くの平野で、気候が関係しているようですが、山形ではこの地域だけがサクランボの生産地なのです。サクランボ畑の中を国道13号線で北上、最上川が流れる村山市辺りまで来ました。前に来た時に気になっていた「最上徳内記念館」に入ることにしました。歴史で習ったような思い出がありましたが、正確には記憶していませんでした。
 最上徳内は、江戸時代後期の探検学者でした。1750年代から1830年代を生きた方で、18世紀のから19世紀の日本の北方探検に関わった偉人でした。鎖国の時代に、北方からのロシアの進出の中で、蝦夷地を探検し、樺太、千島列島まで、初めて探検し、地図を作ったのです。アイヌやロシアと協調しながら、当時の北方文化を日本に伝えました。北方領土を探検し、初めてエトロフ島に「大日本択捉府」の標柱を立てました。いわば北方領土探検の先駆者で、間宮林蔵にも大きな影響を与え、後の間宮海峡の発見につながったそうです。最上徳内は、この村山の地で、貧農の家庭に生まれ、学問を通して、日本の北方探検の先駆者として、幕末の日本外交に大きな影響を与えたのでした。シーボルトとの交遊も深く、シーボルトの「日本」の著書の中で、高い評価を受けているそうです。
 北方領土の問題が叫ばれている今日、江戸時代後期に、このような先駆者がいたことを知ることができました。北方領土問題は歴史的に見ても、全く日本の領土なのに、不法にロシアが占拠していることが分かります。歴史的に見ても、北方領土は、完全に日本の領土であることが分かりました。もっともっと最上徳内の業績を知り、人々に伝えていかなければと思いました。
 記念館は、村山市の中央にありますが、2階には、昔の山形の民家が移築されて保存されていました。またアイヌと協調し、アイヌ文化を日本に伝えたこともあり、同じく2階部分にはアイヌ小屋が復元されていました。中には、アイヌ文化がわかる品々が展示されていました。北海道に行かなくてもアイヌ文化に接することができました。
 村山市は、郷土から出た偉人としての最上徳内の業績を、しっかり受け継いでいるのだと思いました。
 気になっていた「最上徳内記念館」を後にして、国道13号線のそばにあった道の駅「むらやま」で昼食をとりました。ここは美味しいバイキングの食事があり、前に来た時、食べ放題で食べ過ぎた所でしたが、弁当を持参したので弁当を食べました。丁度イワシのマリネが解凍した状態になっていました。マヨネーズのサラダとイワシのマリネとおにぎりで美味しく頂きました。八戸のイワシのマリネは絶品でした。解凍して冷たく、酸味が美味しかったです。切るのは包丁ではなく、料理はさみを持参しました。韓国料理のようにはさみを使って切りました。イワシのマリネが、こんなに美味しいものだと、初めて知ったような気がしました。
 尾花沢まで行くと、高速道路があったので、そこから高速道路に入り、新庄に向かいました。どこまで行っても緑の田園が続いていました。新庄で、高速道路を下りて、国道47号線で酒田に向かいました。途中、道の駅「とざわ」に立ち寄りましたが、ここは全て朝鮮風の建物でした。高麗館というのがあって、まるで朝鮮に来たかのような朝鮮風の建物が並んで、最上川を見下ろしていました。珍しい道の駅で、売っているものは全て韓国のものでした。
 そこからさらに47号線を最上川にそって進んでいくと、古口という最上川渡船場がありました。「戸澤藩船番所」と書かれたのぼりが立っていました。幾つもの船番所や昔風の建物があって、現在はここが最上川舟下りの乗船場になっていました。観光客用の様々な掲示がなされ、船下りの名所として現在は栄えているような気がしました。
 生憎月曜日で、観光客はなく、船下りの舟がいくつも係留されていました。
 乗船場は、何と浮き桟橋の上に建物が建っていました。最上川の水位で上下するそうです。先日の大水では、随分水位が上がったそうですが、浮き桟橋の上にあるので大丈夫だったそうです。よくも考えた見事な仕掛けだと思いました。古口は最上川の舟下りの乗船場として、土日や祝日は賑わっているような気がしました。船頭さんと話したら、さすがに震災の時期はほとんど人が来なかったそうです。最近また人が増えてきたそうです。時間がなかったので舟下りはしなかったのですが、舟下りの料金は、下るだけで一人1900円だそうです。舟下りの後は、バスで乗船場に戻れるそうです。舟下りの料金も結構いい値段ですが、完全に観光スポットとして、多くの観光客が訪れているようでした。
 ここから酒田までは、40分程度で行けるのですが、14時半を回っていたので、帰る時間が気になってきました。酒田は次回にすることにして、古口から引き返すことにしました。
 国道47号線を、新庄から、今度は奥羽山脈を越えて宮城県に向かいました。新庄盆地は山深い地域にたくさんの温泉がありました。瀬見温泉、赤倉温泉など、その他にもいろいろな名前の温泉が点在していました。古口に向かう途中には、最上川の近くに、肘折温泉への表示がありました。名前だけは聞いたことがあるけれど、一度訪ねてみたいものだと思いました。
 山形はひなびた温泉の宝庫だということも分かりました。山深い新庄盆地の最上町を通り、宮城県側に入ると、そこにはまた違った温泉郷がありました。県境の山形県側にある松尾芭蕉が立ち寄った「封人の家」を過ぎると、宮城県側には、中山平温泉郷、そして鳴子温泉郷が広がっていました。途中には紅葉の時期には全国に有名な「鳴子峡」もありました。鳴子温泉、東鳴子温泉を過ぎて、今日は、川渡(かわたび)温泉に寄って入ることにしました。共同浴場で硫黄泉の物凄く熱い温泉でした。でも我慢して入るとさっぱりするから不思議です。地域のおじさんたちが入りに来ていました。観光客には知らないようなひなびた共同浴場ですが、私は前に来たことがあり知っていました。200円の温泉代も各自が箱に入れるだけです。温泉に入ると気分がすっかり変わり気持ち良くなりました。
 大崎市の古川インターから、東北道にのって帰ってきました。途中、富谷ジャンクションから仙台港に向かいました。仙台港北インターは渋滞していたので、仙台東インターで下りて家に帰りました。高速道路を使うと本当にたやすく旅行ができることが分かりました。東北道は仙台の西部を通るので、富谷ジャンクションから、仙台北部道路から利府ジャンクションで三陸道に入る方法が、仙台の東部に出られるので便利なのです。丁度高速道路が、様々な高速道路によって環状線のように繋がっているので、行きやすくなりました。家の近くから高速道路に入り、近くのインターで下りることが出来るのです。
 高速道路を使った、奥羽山脈ぐるり旅、昨年はもっと小さく周りました。尾花沢から抜けるコースでしたが、今回は、国道47号線を回りました。また一つ貴重な経験をすることができました。
 家に帰って、車を入れ換え、スタジオに行きました。案の定、連絡がいくつか入っていました。留守電やメールでしたが、「歌声バスツアー」のお知らせでした。以前にバス会社へ「歌声ツアー」の企画を提案していたのですが、それが実現することになったのです。9月のことですが、「歌声ツアー」として募集して温泉旅行をしてくるものです。
 これから若干日程の調整がありますが、岩手県の花巻温泉までの「歌声バスツアー」になっていました。これもまた大きな楽しみです。バス会社に取り上げられたのも驚きですが、また楽しい旅行ができるのもいいです。旅行が出来て、音楽が出来て、しかも仕事でお金も貰えるのなら、一石三鳥です。東京ではこのような企画が大ヒットしていると聞いて私が提案したのが取り上げられたのです。全国チェーンのバス会社ですが、これがまた大きく成功すればいいなと思いました。
 そんなメールが入っていましたので、私の略歴プロフィールや画像を送りました。募集のページに載せるそうです。インターネットで見られるかも知れません。
 家に帰って、夕食タイムです。今日は高速道路での帰りに、三本木インターに寄って、「かき揚げそば」を食べてきたので、あまりお腹が空いていませんでした。「かき揚げそば」も値段が高くなった分美味しくなったような気がしました。蕎麦が上質になったのではないかと思いました。夕食はビールと焼酎、それに「手作り市」の女川のお店で買った「昆布とサンマの煮漬け」「烏賊と昆布の煮漬け」が冷凍されていました。それを解凍して酒のつまみで頂きました。それだけで十分でした。ご飯は多くなるので控えました。
 明日からまた、音楽の人生が始まります。歌声ツアーが採用されたことで、またやる気が起きてきました。人生、嬉しい想いをたくさん集めていきたいと思いました。