終わってから家に入り、荷物を整理、旅で出た洗濯ものを洗濯機に入れ、他の物は、明日の移動のためにそのままにしていました。汗をかいたので、シャワーを浴びてすっきりしてから、パソコンに向かって課題をこなしました。日記の整理や画像のアップなど細々な作業をしてよかったです。
3つのサイトへのブログの更新も終わり、15000ヒットへの対応を済ませてから、ゆっくりと遅い夕食を頂きました。自分の家での夕食は、食べ物や飲み物に気兼ねがないので本当に良かったです。冷蔵庫にある食材のあるもので、夕食を頂きました。ビールに焼酎も結構頂きました。油下小松菜の煮浸しや肉と野菜の蒸し物、つけ麺で夕食を済ませました。パソコンでの作業がかかり、遅い食事でしたが、ゆっくりと頂きました。疲れていたのか熟睡することができました。
朝早くに目が覚め、いつものように日記の更新をしてから、今日の準備を始めていました。「おときゅう」は4日目、今日が最終日になりました。
今回は、車付きのハードキャリーバッグを持参したので、荷物は余裕で入りましたが、引きながらの移動でした。今日は最後の1日なので、椅子付きの背負いのリュックにショルダーバッグだけにしました。荷物を必要な物だけにして、入れ換えて準備をしてから、朝食を冷やし中華で済ませました。納豆や野菜を入れた具沢山冷やし中華で、ジャム入りヨーグルトを一緒に頂き、朝食を済ませて、軽やかに出発していきました。
荷物がリュックとショルダーだけなので、バイクに乗って、いつものように駅の地下駐車場に停めてから、勝手知った新幹線乗り場への移動、全てが旅慣れたスムーズな移動でした。思えば仙台駅も随分便利になったものです。東口の地下駐車場から、地下の連絡通路を通って3階の新幹線乗り場まで繋がっているのです。仙台駅も東京並みに大きくなったものだと改めて感心しました。旅行の時以外はあまり訪れることのない駅ですが、本当に広々で立派になったことを実感していました。
新幹線乗り場に着いてから、行く先を考えていました。先にあった列車で行く先を決めることにしました。「はやて」が先なら八戸へ、「やまびこ」が先なら平泉を考えていました。
9時34分の「やまびこ」が先だったので、即乗車、最後の日は、まず平泉に向かうことにしました。
新幹線を、一関で下車、在来線で平泉に向かいました。新幹線からたくさんの人が下りてきました。先日世界遺産への登録のニュースが入ったので、急に観光客が増えた模様でした。あまりの多さにびっくりしていました。
平泉駅は、ほんのささやかな小さな駅です。そこにたくさんの人々が下り立って、観光のブームが始まっているように感じました。街の人も世界遺産の登録を歓迎しているように、至るところにその表示が溢れていました。駅からのバスも超満員でした。物凄い客が平泉に押し寄せ始めていることを実感しました。平泉の観光地は、駅からこの地域に散らばっています。バスやレンタサイクルの自転車で移動しますが、歩いての移動もできるようです。
バスに乗って、毛越寺を通って中尊寺まで行きました。中尊寺で下車、月見坂を歩き始めていました。900年の杉木立の中、結構しんどい坂を上り詰めたところに、奥州三代の至宝、金色堂は立っていました。そこまでは、様々な歴史的なたたずまいがありますが、一つ一つ写真を撮りながら、汗だくで進んでいきました。
金色堂は、階段を上った所に全て覆いの建物の中にあります。そう言えば昔、平泉を訪れたことを思い出していました。高校3年生の頃だったか、同級生と3人でドライブ旅行をしました。当時友達の家で軽自動車を購入、友達が免許を取得したので、3人で泊まりがけで出かけました。宿泊は友達のおじさん宅が平泉の隣の前沢にあったので、そこに泊まったのを思い出しました。
当時、金色堂を訪れた時は、中に入れなかったようです。その頃、昭和の大修理があって、金色堂は内部が解体されて修理していたことを今思い出しました。今回の宝物殿での解説ビデオで、当時は丁度修理中だったので、金箔の金色堂を見ることが出来なかったのだのを思い出しました。
だから実際に見るのは、今回が初めてです。金色堂までの月見坂は、歩いたこともあり、景色は知っていたのに、光輝く金色堂の思い出だけはなかったのです。今回初めて実際の金色堂を眺めて、その素晴らしさや、藤原三代の栄華の凄さを改めて感じることができました。まばゆいばかりの金色堂、全て装飾の限りを尽くしたその美しさは、この世の物とは思えない浄土の世界を表していました。細かい部分までは見えなかったのですが、宝物殿のビデオで見て、その凄さを実感することができました。昭和37年から始まった大修理は7年も掛ったそうですが、全部解体して当時のままに再現したそうです。柱1本1本に至るまで、限りない細工が施されているのです。螺鈿(らでん)と呼ばれる漆の生地に貝殻をはめ込んだ模様は、当時の細工の技術の粋を集めて製作されたものでした。今回初めて見る金色堂は、全面金箔で覆われ、当時の栄華がそのまま再現されていたのでした。見事なまでの金色堂の凄さに、「世界遺産登録」も思わず納得している自分がありました。「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり・・・・・」で始まる奥の細道の一節、松尾芭蕉の「平泉」は、見事な文章のながれで、その時代の感動をそのまま伝えていました。
三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡*は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。泰衡*等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる*。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
卯の花に兼房みゆる白毛かな 曾良(うのはなに かねふさみゆる しらがかな)
兼て耳驚したる二堂*開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念とはなれり。
五月雨の降のこしてや光堂(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)
松尾芭蕉の「五月雨の降り残してや光堂」の実感も、今の私でも何となくわかるような気がしました。
奥州三代の至宝、「平泉」の世界遺産の登録で、観光客がこの期間で20倍にもなったという地元の人の話を聞いて、この観光客の多さに納得していました。
中尊寺からは、炎天下のなかを歩いて移動しました。バスに乗っている暇がなかったからです。途中の店で、幕の内弁当の昼食を食べてから、また出発です。弁当も炊き立てご飯で結構美味しかったです。毛越寺まで歩いたのですが、浄土庭園には、入らず周りの景色だけで十分でした。毛越寺から平泉駅まで歩いて、結構な道のりなので、歩いてくたくたになりました。昼食を食べた弁当屋でTシャツに着替えても、すぐに汗で濡れてしまうほどでした。結構たくさんの方が歩いて移動していました。
平泉の駅で休憩してから、14時34分発の列車で一関に、そこで再び新幹線に乗り換え北に向かいました。
15時10分の「やまびこ」が来たので盛岡へ、そこでさらに16時26分発の「はやて」に乗り換え八戸に向かいました。八戸は、昨年の「おときゅう」で訪れ宿泊しました。
そこの飲み屋で出会った男が忘れられず、また会ってみたいと思いました。もしかしたら会えるかもしれないという淡い期待をもって向かいました。八戸駅は、潮風が吹き抜け、気持ち良い感じでした。
昨年出会った人いるかも知れないと思いながら、店の前を通りましたが、確認することはできませんでした。何か2人、別の人がいました。中に入って何かを食べてもよかったのですが、お腹も減っていなかったし、居酒屋の駅前海鮮食堂なので、酒を飲むなら入ってもよかったのですが、時間が押していました。八戸には1時間の滞在が限度でした。
別の人を2人確認できたことは、もしかしたら辞めたか、今日が休みなのかも知れないと思い納得しました。来てみて、今日はいないようだということを確認できただけでも、心が納得しました。
今度来るときは八戸に泊まって、酒を飲みに出て、尋ねて詳しいことを確認しようと思いました。それだけで十分納得することができました。本理想との出会いは、それまでのお楽しみにすることで、遥々やってきた自分を納得させることができました。
また会えたら本当に良かったのですが、違う人が2人確認できただけで、妙に納得してしまったのです。
駅前のお土産市場で、八戸の海産物をしこたま買い込んでしましました。何か今迄、本理想のことを考え続けてきたことが、一区切りがついたようで、また新たな一歩を踏み出すような気持ちでした。
そう思ったら、急にお腹が空いたような気がしたので、八戸駅で立ち食いそばを食べてしまいました。
八戸駅では、1時間の滞在でしたが、「おときゅう」での最後の課題の確認ができてよかったです。また新たな一歩を踏み出すことができるような気がしました。
18時1分発の「はやて」の指定席を確保してから、再び仙台に向かって出発しました。
今日は、世界遺産に登録され湧き立つ「平泉」と、昨年来の思い「八戸の本理想」を確かめに行きました。「おときゅう」4日間を、精一杯過ごすことができました。様々な所で様々な景色に出会い、また一つ学ぶことができました。
今回の4日間の旅は、東京、奥多摩、新大久保、上野、そして青森、五能線、秋田、羽越本線、新潟、新幹線で大宮経由仙台へ、仙台から平泉、そして八戸で旅を締めくくることができました。
4日間、本当に長い旅でしたが、様々な地域で人々と出会い、多くの経験を積み上げることができました。
また今日から、新たな人生のスタートです。音楽人生は、アコーディオン教室のレッスンから始めていきます。黒猫人生の新たなスタートでもあります。
今回の「おときゅう」で学んだ全てのことを、これからの人生や、新たな作品作りに生かしていくことを誓って「おときゅう」の結びといたします。