「おときゅう3」、豊かな日本海沿岸の地域、初めての羽越本線の旅 | アカデミー主宰のブログ

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 秋田市のホテルで日記の更新しようとしたのですが、パソコンが違って、書いた文章を貼りつけることができないでいました。前夜、居酒屋でしこたま美味しい酒を飲んでしまい、少々二日酔い気味でした。朝食の時間がきたので、先に朝食を済ませました。あまり食欲がなかったのですが、食べることができました。バイキング形式でしたが、私はやはり和食系で頂きました。普段ならもっとたくさん食べられるのに、いつもの半分程度で済ませました。いつもは二人分も食べるのですが、今日はさすがに一人分程度でした。それでも食べられたので、すぐに体調が良くなってきました。改めて日記の更新に取り組んだら、なんなく載せることができたのでよかったです。パソコンの使い方が分かっていなかっただけでした。
日記更新の後、出発準備をしてホテルを出ました。気持ち良いホテルで、何でも揃っていました。朝刊の新聞までサービスしてくれるホテルでした。
 駅には特急電車が待っていました。9時10分発の特急「いなほ」で日本海に沿って羽越本線を下ります。私は羽越本線は、生まれて初めて乗車します。秋田から日本海沿岸に沿って下っていきます。海岸すれすれに電車が走り、素晴らしい日本海の風景が広がっていました。昨年の今の時期は、陸中海岸を電車で行きましたが、今年は日本海側です。この年になるまで、一度も羽越本線に乗ったことはなかったのが不思議でした。
 今迄どこかに裏日本というイメージがあって、表日本側に住んでいる私は、どこかに優越意識があったのかも知れません。裏日本というイメージは、決して心をひきつけるものではなかったのかも知れません。今回、日本海側の風景に接して、いかに今迄のイメージが間違っていたかが分かりました。そこには日本海側の素晴らしい風景とそこに生きる人々の暮らしがあり、どこまでも豊かな大地が広がっていました。家々の佇まいも表日本と変わらず、いやそれ以上に豊かなたたずまいが連なり、その向こうには、どこまでも緑の田園地帯が広がっていました。
 秋田から山形県へ、そして新潟県へ、今迄一度も訪ねたことのない名所旧跡、温泉、海水浴場など、本当に日本海沿岸は、豊かな日本の地域なのだと感じました。そんなに遠い距離でもないのに、日本海側にどうして今迄一度も来たことがなかったのだろうと不思議に思いました。これから機会を作って、再びこの地を訪ねてみたいと思いました。
 今回、表日本側が大震災に見舞われ、大きな被害に遭遇したことで、日本海側の地域の豊かさを改めて感じたのかも知れません。そこには広大な日本海と、そこに生きるたくさんの人々の暮らしが続いているような気がしました。
 秋田から新潟までの日本海沿岸は、新幹線のない地域で、何か陸の孤島のような雰囲気があり、いななか行けないような地域のように思われていましたが、羽越本線沿いには、何と思ってもみなかった素晴らしい豊かな地域が広がっていたのでした。
 初めて通る駅を眺めながら、今迄いかに自分の知識が浅はかで、粗末なもので知らなかったかを改めて感じることができました。
 日本にはまだまだ自分の知らない素晴らしい地域がいくらでもあることを改めて感じることができたのです。13時頃ようやく終点の新潟に着きましたが、4時間の日本海沿岸の旅は、私の心を豊かにしてくれたような気がしました。美しい風景と緑豊かな大地に癒された時間でした。
 新潟駅の地下のうどん屋で昼食をとってから、新潟市内に散策に出かけていきました。新潟市も大きな町です。蒸し暑い日でしたが、潮風が吹き抜ける気持ち良い町でした。街路樹が茂り、駅前は花でいっぱいでした。
 新潟駅も大きな駅でした。駅から市内へ、有名な「万代橋」を目指しました。結構離れた場所にありましたが、何とか歩くことができました。信濃川に架かる有名な「万代橋」、 
 今は第3代目の橋になっていましたが、新潟の富の象徴のような立派な橋でした。石造りの6連のアーチ橋で、約300メートル、幅が22メートルの立派なものでした。昔からこの橋の地域を中心に産業が発展してきました。この橋には、日本のその時代の富がつぎ込まれているのではないかと思われるほど立派な感じでした。
 美川憲一の「新潟ブルース」でも歌われたこの橋は、新潟の名所として全国に知られるようになりましたが、リアルに接し、歴史が培ってきた新潟の富の象徴として感じることができたように思われました。
信濃川を見るのも始めて、向こうには近代的な橋が見えましたが、石造りのこの「万代橋」は、何か落ち着い佇まいで、人々が長い橋を行きかっていました。往復1時間以上の距離でしたが、新潟の街を散策しながら、様々な思いを抱くことができました。
 一言で言えば、新潟は豊かな地域だということでした。日本の大穀倉地帯であるばかりでなく、漁業や様々な水産業も発展し、その他特色のある工業が発展しているのです。地域によって本当に違うなと思いましたが、自分の住む地域との違いは、この特色のある工業が盛んであることなのかも知れません。新潟は、日本でも豊かな地域の一つであることを実感することができました。
 汗でびっしょりになりながら、新潟駅に舞い戻ってきましたが、駅近くで冷たいコーヒータイムの小休止をしてから、新幹線に乗り込むことにしました。
 本当は枝線を使って、松本方面に行こうと思ったのですが、駅で聞いたら、枝線は接続が難しいとのこと、時間がどのくらいかかるかわからないとのこと、新幹線で行った方がいいとのアドバイスでした。
マックス「とき」に乗り込みましたが、新潟の新幹線は、これまた違っていました。全て2階建で、横6列なのです。今迄5列のものは、東北新幹線で乗りましたが、6列は初めてでした。
 全車両2階建も始めて、新潟の新幹線はどこか仕様が違っているように感じました。
 高崎で長野新幹線へと思いましたがノーストップなので、大宮で乗り換え、東北新幹線で仙台に戻ることにしました。指定席も「こまち」に取れましたが、「こまち」は、横4列で一回り小さな新幹線でした。いつも「はやて」に乗っているので、ひときわ狭い感じがしました。「はやて」は、横5列のような気がしました。
 大宮で乗り換えたら、次は仙台でした。再びふるさとの街へ戻って来ましたが、あっという間、仙台は近いなと感じました。19時に仙台に到着、地下に駐車していたバイクで家に戻りましたが、東京と仙台はぐっと近くなった感じがしました。
 家で仕事や用足しをしてから、もう1日あるので、再び新幹線の旅に出てみたいと思いました。明日はどこまで行くのでしょう。明日の天気を見てからにしますが、「おときゅう」最後の日を楽しんでいたいと思いました。