朝食が終わって、おじさんが話していたイベントに、私も行ってみることにしました。毎月8日に開催されるイベントですが、家からすぐ近くの陸奥国分寺の境内で行われるものでした。近くにあってもほとんど行ったことのない、有名な陸奥国分寺は、桜の木が生い茂って、今は緑の林の中で「手作り市」をやっていました。びっくりする程のたくさんの店が並び、皆手作り品や産直品を売っていました。段々人が増えてきて、10時過ぎには一杯になってきました。行列ができるお店もありました。産直品が好きな私は、南の丸森の農家から野菜を、石巻の女川から来た人から魚を買いました。
美味しいものが一杯あって、試食をしながら、たくさんの買い物をしてしましました。国分寺の境内は広々として、駐車場もあり、街中にありながら、緑が一杯で素晴らしい所でした。震災でほとんどの灯篭は倒れていましたが、有名な山門は昔のままでした。また江戸時代建立の薬師堂が、今でも健在で、豪華な桃山様式の文化を今に伝えていました。
たくさんの方々がお参りをしていました。ここは桜の名所でもありますが、今は葉桜の季節、所狭しと、桜の木が生い茂り、隙間を縫うようにお店が続いていました。お店と言っても皆、簡易テントのお店で、様々な手作り品が並んでいました。手作り品や産直品もこんなに種類があると思う程、たくさんのお店で、毎月開催されるイベントだけあって、多くの人で混雑していました。私も車との間を何回か往復して、買った物を車に積み込みました。
家に戻って買った品物を収納してから、スタジオに向かいました。今日はレッスンがないのですが、課題がいくつかありました。「カラオケ大会」や「おさらい会」のチラシ作成、明日のレッスンの楽譜のコピーなどの作業を、パソコンやコピーの機械を使って短時間で終えました。
一段落した所で、家に戻り、遅い昼食を作りました。今日は久しぶりに塩ラーメンを作りました。もやしやニラを入れた塩ラーメンは、何とも言えない美味しさでした。私は外のラーメン屋には行く必要がないと思いました。麺もタレも業務用の食材店から購入したものを使っているからです。昼食の後は、今日買った「ずんだ餅」「おはぎ餅」も食べました。甘党ではないのに、何故か食後でも食べられるのです。甘党は別腹だということが分かりました。仙台の名物「ずんだ餅」はまた格別です。何度でも食べてみたいと思いました。
午後は、少し休んでから、兄の事務所に行きました。兄嫁が「炊き込みご飯」を作ったので、お裾分けに取りに来るように連絡があったからです。事務所には兄嫁と事務員がいましたが、コーヒーを頂きながらいろんな話をしてきました。先日、鮪の塊を入れたあげたクーラーボックスに「炊き込みご飯」が入っていました。悪くならないように保冷材も入っていました。クーラーボックスごと頂いて帰りました。
帰り途、16時を過ぎた頃で、まだまだ日も高かったのですが、暑い銭湯に入りたくなったので、銭湯に寄って来ました。仕事を辞めた頃には、東京の旦那衆のように、15時頃に仕事を終えてから、日も高いうちに銭湯に入る暮らしを夢見ていたのですが、今日はそのことを思い出していました。
あの頃は、旦那衆の豊かな暮らしを夢見ていましたが、今は全く違う自分になっていました。日の高いうちは、力の限り仕事をしていたいと思うようになったからです。就職して仕事をもっていた頃の気分と、仕事に対する考え方が、180度変わっていることに気づきました。今では旦那衆のような生活は望みません。自分の好きな音楽の仕事で、精一杯働き、充実感を得ていきたいと思いました。
20年も前の時代に、あの頃、月に2回も東京に通って、旦那衆の暮らしを真似していた自分が恥ずかしくもなりました。和服を着飾り、気取った格好で、浅草や上野のスナックを飲み歩いていた自分がありました。新幹線通いなので、1回5万円程使っていたので、年間で120万円位を浪費していた時代を思い出していました。そんな時代もあったのですね。
「東京かぶれ」の時代、その分、母親の世話も出来なかった自分を、今では後悔しています。少しでも母親の近くに寄り添ってあげられなかった自分を恥じています。
またその以前の時代も、仕事にかこつけながら、5年間も連続で、年末年始の全ての時間を、グアムやサイパンへの航海クルーズに参加し、スタッフの名前を背負いながら仕事にかこつけて、家を空けてしまったこと、母親はどんなにか寂しかった事だろうと・・・、取り返しのつかない後悔だけが、今でも身を責めています。
どんなに詫びても、取り返しのつかない若気の至り、母親には、その後5年間の介護の生活を尽くしたことで、許してもらうことができたでしょうか。東京にも全く行かなくなったことと、5年間、誠心誠意介護に尽くしたことで、少しでも私の過ちを許してくれるでしょうか。どんなに詫びても詫びきれない感情だけが、今でも私の心を責めるのです。どこまでも後悔の念だけが追いかけてくるようです。
そんな日を思い出しながらの、銭湯日和でしたが、暑い湯に入って気持ち良かったです。
さすがに銭湯には、時間的に、隠居暮らしの中高年が多かったです。そんな暮らしを夢見ていた自分があったことを、不思議なほど懐かしい目で思い出していました。
銭湯の後は、スタジオに戻って明日の「ヴォーカル教室」の荷物を車に積み込んでから家に戻りました。音楽のレッスンは、教室によって毎回持参する物が変わります。幾つかのキャリーバッグに入れているので、その度にバッグだけを積み替えています。今日は「ヴォーカル教室」のバッグとデッキを積み込み家に帰りました。
夕食は、風呂上がりなのでビールが美味しいです。あまりお腹は空いていなくても、飲み始めると食が進みます。今日は「浅漬け名人」似の甕で作ったカブ、白菜、キャベツの漬けものを、サラダ感覚で食べながらのビールは最高でした。ビールは富谷のおじさんが届けてくれたものです。その他、今日の「手作り市」の産直店で買った蕗と油下の煮ものを作りました。蕗は筋の皮をはいで、長時間水に浸してから料理をしました。蕗と油下の煮ものは、酒のおかずに最適です。メインは、今日女川産直のお店で買った、サンマの昆布入り蒲焼でした。冷凍状態でしたが自然解凍させて食べましたが、味が浸みて絶品でした。美味しい味付けになっていました。最後はご飯の〆になりました。漬けものはほとんど塩を使わなくても美味しくなります。浅漬けの素の液体を少しかけただけで、数時間で美味しくなります。遠赤外線を使った浅漬けは、サラダ感覚で野菜を食べることができるので、これは重宝だと思いました。私は毎日食べる分だけ漬けることにしています。
漬け方は、野菜を刻んだらビニールパックに入れます。その中に少しだけ浅漬けの液体を振りかけるだけです。遠赤外線の落とし蓋の上には、2個の重しを重ねるだけです。1時間でも漬かるようですが、私は2~3時間で食べることにしています。甘ければ少しの醤油で、マヨネーズでも美味しく頂けます。生野菜より食べられる感じがします。毎日新鮮野菜が食べられるのが嬉しいです。
ヨーグルトも自家製なので、食べ物を自家製にすると、非常に安く済むので、節約にもなります。私は少しずつ節約術も学んでいるのかも知れません。
毎日が新しい発見の連続です。粋な旦那衆の生活でなくても良いから、毎日を、新鮮で豊かな暮らしを築いていきたいと思いました。