舟のおじさんは新しく自分の舟をゲットして、自分の桟橋を新たに作ることにしたそうです。河川敷に行ったらその作業を始めていました。おじさんに私の助かった舟を診てもらいましたが、大分傷んでいるようです。流された場所から重機で運んで貰った時に、ついた傷もありました。外からは大丈夫そうでしたが、結構壊れている部分も多く、修理だけで相当掛ることが分かりました。
おじさんの結論では、新しい舟を買った方がいい、と言うものでした。私も修理を考えましたが、実際見て見ると傷んでいる部分が多すぎる感じがしました。やはり廃船しかないのかなと思いました。河川敷に長く置いておくわけにもいかないので、方策を考える必要がありました。
おじさんから聞いて、荒浜近くの廃船にする舟を置いてある場所に行ってみましたが、同じような目に合った舟が並んでいました。持ち主が分からなくて、瓦礫業者に集積場所に運ばれた舟でした。舟に張り紙があったので関係機関に電話をしたら、既に業者による処分作業は終了しているとのことでした。
再び河川敷に戻って、おじさんと相談しましたが、舟の処分は自分でするしかないことが分かりました。費用も自分持ちで大変ですが、修理するよりは安く掛ります。
幾多の奇蹟を残しながらも、再び修理して使用することは難しいことが分かりました。とても残念だし、名残惜しい気がしますが、これも成り行きかと諦めることにしました。方策についてはまた少し考えることにしました。
河川敷を後にして、今度は蒲生にあるバイク屋に立ち寄りました。前に預けておいて津波に被ったバイクをどうするかを話に行きました。今回までに修理にはどの位かかるかを調べておいてもらいましたが、津波に被ったバイクは、修理だけで中古バイクを買う位かかってしまうことが分かりました。これでは無理だということで、廃車にして、バイクは、故障車の状態で欲しい方に売ってもらうことにしました。何と走行距離はまだ4900kmの400ccのバイク、どこも傷は無いのですが、津波に被ってエンジンがやられているとのことでした。津波に被ったバイクは、塩水なので本当に修理が難しいということでした。廃車にするしかないので、ナンバープレートを外してもらって、午後から私が手続きに行くことにしました。
家に戻ったらお手伝いさんが帰って来ていたので、昼食にあんかけ焼きそばを作って食べてから、今度は、陸運事務所にバイクの廃車の手続きに行きました。
幸い陸運事務所は、案外近い場所にありましたが、何と物凄い人で混雑していました。今回津波で流された車の処理や新しい車の手続きなどで、ごった返していました。
それでも書類を持参したので、廃車の手続きを教えてもらいながら、幸い早く提出することができました。無事に車を駐車し、早い手続きで14時前の提出でしたが、帰りに証明書を貰うまで2時間半も待たされてしましました。待合場所で待ちながら、途中寝てしましました。証明書を貰ったのが16時30分過ぎでした。でもバイクの廃車の手続きが終わったのでほっとして家に帰りました。
家に帰って、お手伝いさんと外に風呂に行くことにして、秋保温泉を目指しましたが、仕事の帰宅時間の渋滞と重なってしまい、仙台市内から出ることができません。仕方なく南に進路を換え、市内の抜け道を通って南に下りましたが、どこも渋滞していましたが、やっと名取のスーパー銭湯まで行くことができました。
温泉ほどの気持ち良さはないのですが、広々としたお湯やサウナに入って気持ち良かったです。銭湯に入れただけでもよかった感じがしました。帰りは渋滞の終わった4号バイパスを通り、帰りにスーパーで半額セールの食材を買って帰りました。
時間が押していたので、買って来た惣菜を中心にして夕食にしました。夕食は、しめ鯖の刺身、きんぴらごぼう、ジャガイモの味噌炒め、ポテトサラダ、唐揚げにインスタントのサムゲタンのスープ、ご飯で頂きました。久しぶりにビールを購入、美味しく頂きました。
今日は、朝から忙しく動きましたが、津波で助かった舟は、結局傷が大きく、修理は無理、廃船の方向で歩み出すことにしました。またバイク屋に預けていて津波を被った私のバイクは、修理にはバイクを買うほどかかることが分かり、残念だけれど結局廃車にして、故障車として売ることにしました。廃車の手続きも何とか終えることができました。
津波に被災した人がたくさん訪れていた陸運事務所では、立ち話のまた聴きの中で、今回の津波の話をいくつか聴くことができました。本当に人々は様々なことに遭遇しながら、車を流され、甚大な被害を受けているのだと思いました。私も被害を受けましたが、私などまだまだ良い方だと痛感しました。
今日は、残念なことがありましたが、こんなことでは負けてはいられないので、これからもがんばっていこうと思いました。