パソコンを立ち上げ、メールチェックなど済ませました。10時前にレッスン生が来ました。今日は、ヴァイオリンのレッスン生です。週一のペースでレッスンに来ていますが、先週の土曜は、レッスン生の仕事でキャンセルになりました。今週からまた復活です。ヴァイオリンは持参しません。レッスン用の自分のヴァイオリンをスタジオに置いているからです。家でのヴァイオリン練習は、もう1台もっているので、レッスンには、バイク移動なので、ヴァイオリンは持参しません。スタジオにある自分のヴァイオリンで練習をします。
ヴァイオリンの調弦から始め、ボーイングの練習から入ります。ボーイングは、なめらかな右手の移動の練習のために、弓の持ち方、動かし方をチェックするのです。快い響きになるまで何度も練習します。その後はスケールの練習です。イ長調から始まって、今は二長調のスケールに入っています。楽曲もどんどん進んでいます。今日の課題の曲も、何度か弾き、指導を加えて、クリヤーすることができました。
新たな課題を出し、さらにもう一つの課題に取り組みました。今回は、二長調の「ダニー・ボーイ」です。ここまで弾けるようになると、ヴァイオリンが弾ける感じになります。難しい指使いもありますが、次回の課題として取り組むことにしました。レッスン生も一生懸命がんばっているので、上達が早い感じがします。さらに週一のペースのレッスンなので、テンポが早いです。
60歳を超えても、こんな風にレッスンに取り組む人もいて、逆に励まされました。私も久しぶりにヴァイオリンを弾くので、とても気持ち良くなります。ヴァイオリンの音は、人を気持ちよくさせる何かがあるような気がします。私も久しぶりに弾いて何かすがすがしい気持ちになりました。ヴァイオリンのレッスン生が来た時程度しか、今は演奏しなくなりましたが、機会を作ってもっと弾き続けるようにしなければと感じました。
1時間のレッスンがあっという間に終わり、談笑してから帰っていきました。昼に掛る時には、一緒に昼食をと思いましたが、今日は11時に終了したので、コーヒーにお菓子を出して、談笑しました。このレッスン生も、本当に一生懸命取り組みます。5月のレッスン予約をして、月謝を前納していきました。5月は毎週土曜の午前、6月からは土曜は大学の講座が始まるので、日曜の午前に予約を入れていきました。
昼近くに本屋さんが、定期購読の本を届けてくれました。震災関係の新しい雑誌も持ってきてくれたので全部購入し、保存版にしました。今回の大震災の映像が、全て本になっていました。本当に大惨事が起きたことが写真から分かります。これから詳しく読んでいきたいと思いました。
本屋さんとも、震災の話をしましたが、本当に人から聞く話は凄いものです。何とか助かったそうです。お店がある自宅は、海から近いのですが、高速道路で津波が止まったので家までは来なかったそうです。奥さんの兄弟が、福島県の沿岸部、いわき市の久の浜に住んでいるそうですが、家族6人が全て津波にのまれて亡くなったそうです。会社に行っていた息子一人だけが助かったということを聞きました。今回の大震災では、身内や知人の誰かしらが亡くなっているように思いました。宮城県で約1万人もの犠牲者が出ましたが、さらに不明者が、まだ5千人以上いるそうです。本当に大震災の大きさを改めて感じました。
昼を過ぎたので、家に戻って昼食を作りました。本屋さんが持ってきた料理の本を見ていたら、そうめんで作るパスタが食べたくなったので、早速料理して食べました。
お手伝いさんは、既に仕事から帰ってパンを食べていましたが、お手伝いさんの分も作り、少なく分けて一緒に食べましたが、とても美味しかったです。食べたいものを食べるのが、美味しく頂くコツです。そうめんで作るパスタは、あっさりして食欲がわくようなきがしました。
午後からは、お手伝いさんとテレビを見ました。震災関係の特集を見ていたら、集中してずっと観てしましました。また面白い番組もあったので見ていたら、最後まで観てしましました。
夕方になったので、お手伝いさんと銭湯に行くことにして出発しましたが、名取方面は渋滞していたので、方向を変えて東に向かいましたが、途中バイパス近くのスポットに寄っていくことにしました。
昨日テレビで、江戸時代初期の慶長の大津波の時に、海岸線から5キロ奥の場所まで津波が押し寄せた所に、先人が神社を作っていたことを話して、中継をしていました。
そこに寄ってみたら、本当に4号バイパスの近くに「浪分神社」(なみわけ)がありました。今回は東の東部高速道路の法面が、防波堤のようになって、ここまでは津波が来なかったのですが、何と江戸時代の大津波の時には、ここまで津波が来たしるしに、先人が「浪分神社」を立てていたのです。
海岸線から本当に離れた場所に、津波が押し寄せたことを物語る「史跡」を取材していきました。さらにその近くにある「谷風の墓」にも寄っていきました。江戸末期から明治にかけての大横綱、谷風の墓が、ひっそりと立っていました。ここにあることは小さい頃から知っていましたが、小さいころも一度来たようにも思いますが、すっかり変わっていました。地震で石が倒れ、墓石もずれていました。一つの「史跡」として保存されていました。
そこに寄ってから、東に向かい沿岸部の被災地を越えて、松島の湯の原温泉まで、車を飛ばしていきました。途中被災地は、道路は綺麗になりましたが、まだまだ周りは瓦礫が続いていました。舟がまだ道路に放置されていたり、車がまだ片付けられていない所もありました。松島の温泉はとても熱くて気持ち良かったです。この温泉も私の好みの温泉です。
夕方から夜の松島温泉付近は、蛙の合唱ですごい音でした。蛙の鳴き声がこんなに凄いとは思いませんでした。物凄い音でうるさく感じるほどでした。帰りも海岸線の国道45号線を通って帰って来ました。
家に戻って、今日はピラフを作り、インスタントのモズクのあっさりスープ、ヨーグルトで頂きました。お酒も飲んで気持ちよかったです。
今日も、レッスンに取り組み充実した日でした。松島の湯の原温泉にも入り、気持ち良かったです。仙石線はまだ東塩釜までしか開通していませんが、松島付近まで復旧工事が進められていました。線路に新しい砂利が敷きつめられていました。途中壊滅した塩釜の浜は、瓦礫で覆われていました。復旧作業は、まだまだ進んでいないことも分かりました。
復旧が進んでいる所と、まだ手を付けられていない所の差が、はっきりしているような気がします。
ボランティアが不足しているので、学生ボランティアを大々的に募集していました。JR東日本の新幹線が、被災地を支援するヴァランティアのために新幹線料金を半額にする広告が新聞に載っていました。まだまだ被災地は、復旧していないのが実情です。今日も沿岸部を走りながら、全くその通りであると感じてきました。
宮城、沿岸部の復旧はまだまだです。特に郡部に行けば行くほど手が付けられていません。都市部の復旧状況との差が大きいです。大震災は天災なので、復旧は全て国の責任で行う必要がありますが、今の状況ではヴァランティアに頼るしかない状況です。頑張っている方々は一生懸命取り組んではいますが、何とか一日も早い復旧活動を進めて欲しいものです。