一瞬の力も大切、続けていく力はもっと大切、この1年の総括 | アカデミー主宰のブログ

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仙台ミュージカルアカデミーの旬な日常情報をお届けします。
HPには更新が面倒で記載できない、日々の出来事情報を織り込みます。ご期待下さい。
ライブ動画も掲載しました。検索は、ユーチューブで「仙台ミュージカルアカデミーライブ&発表会、花は咲く 荒浜」です。

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 今日は、朝早くにお手伝いさんが多賀城に出発、私は朝食の後、お手伝いさんの昼食のおにぎりを作って、置いてから、キャンピングカーで出かけました。  
今日は、久しぶりにキャンピングカーを乗る日にしていました。別に旅行に行くわけではないけれど、バッテリー保持のため、時々乗る必要があるのです。今日は、蒲生の近くのバイク屋に行きました。マイバイクを委託販売にしていたのですが、津波に被ってしまいました。泥をとってきれいにして、直るかどうか点検してもらうことにしていました。行ってみたら一生懸命復旧作業をしていましたが、まだバイクを点検してくれる状況でないことがわかりました。塩水を被ったから、修理は無理という雰囲気でしたが、またそのうちに寄ってみることにして、今日は帰ってきました。新しいバイクなので、廃車にするのはもったいない気がするので、何とか今後修理したいと考えているのですが、果たしてできるかどうか、もう少し時間と様子を見ることにしました。
 バイク屋を後にして、蒲生、岡田の集落や荒浜方面に行きましたが、道路は通じているのですが、周囲は酷い状況でした。すっかり壊滅した瓦礫の風景がどこまでも続いていました。しかも、荒浜方面は、今でも通行止めで入っていくことはできなかったので、迂回して帰ってきました。本当に、震災すぐ後もそうだったけど、全く同様の悲惨な光景を見てしまい、心が痛みました。まだ復旧どころか、何も始まっていない感じがしました。でも所々に新しい電信柱が立っていました。松林の方面では、今日も重機が音を立てて動いていました。

 家に帰ったら疲れてしまったので、横になったら、テレビを付けたまま眠ってしまいました。昼が過ぎて、お手伝いさんが帰ってきたので、野菜炒め、味噌汁など昼食を作って、一緒に食べました。
 食事の後は、お手伝いさんと一緒に、流された私の舟を見にいくことにしました。お手伝いさんが帰って来る時、河川敷の瓦礫の清掃をしていたのを見たと言うのです。行ってみたら、周りの瓦礫は綺麗に片付けられていましたが、舟は少し移動されてちゃんと置いてありました。先日行った時に、マジックで所有者をはっきり明記してきたために、処理をしないで置いておいてくれたのだと思いました。本当によかったです。そのうちに移動して、係留地に置くことを考えなければなりません。
 その後は、再び蒲生公園方面に行きましたが、瓦礫を積んだトラックがひっきりなしに通り、一般車両は通行止めになっていました。蒲生公園は、今は瓦礫の置き場所になっているのでした。蒲生から仙台港を回って、給油してから帰ってきました。
 夕方になって、今日も風呂に入りたくなったので、近くの銭湯に一人でいきました。お手伝いさんは一人で家にいました。
 帰ってから、いつものように夕食を作って食べました。今日は、餃子定食です。他に野菜サラダ、味噌汁を作って頂きました。

 「塵も積もれば山となる。」この1年、今迄毎日書き続けてきた日記、随筆が、年間365日分が2冊に製本されました。最初はどこまで続くかわからなかったけれど、何と年間ほとんど休みなく続きました。人間の力って本当に凄いし、自分がこれだけ出来るとも思わなかったので、ただ驚いています。僅かな日々の積み上げ、牛歩の歩み、ウサギとカメのような歩みが、少しずつ着実に歩むことで、多くの課題を達成できることを知ることができました。
 本当にこの1年を総括すれば、様々な成果を確認することができます。それが全て2冊の本に納められているのです。私にとっては、この1年は、本当に充実した大きな成果を勝ち取ることができたように思っています。

 この1年、様々な文章を書いてきました。最初は、仙台の青葉祭りや私の住んでいる宮城の「絶景」をシリーズで書いたりもしました。5月には、「旅行記」や「文芸評論」などにも取り組みました。たくさんの「紀行文」や「随筆」を書いたのを覚えています。6月になると「ノウハウ」シリーズを書きました。様々な種類のノウハウを書いたものです。
 6月末から7月始めは、「大人の休日倶楽部」の旅をしました。霧の函館から太宰の津軽、そして陸中海岸全制覇の旅物語は、今となっては、最後の思い出の陸中海岸紀行になってしましました。震災前の美しい陸中海岸の姿を、余すことなく旅することができ、写真に収めることができました。これは今となっては本当にかけがえのない貴重な経験になってしましました。八戸から石巻まで余すことなく、全ての海岸線を列車で下り、眼下に広がるリアスの海の景観を見ることができました。
 7月には、新たにスタジオが見つかり、開設の準備が始まりましたが、大家さんの好意で、新しくスタジオを創設してもらい、結局9月1日の開設になってしましました。これも今年の実現した大きな出来事でした。このスタジオを基盤として、音楽活動を始めることができました。
 また、今年は、東北の「夏祭り」にも出かけていきました。青森ねぶた、盛岡さんさ、山形花笠、仙台七夕、閖上花火、仙台花火などに出かけ、様々な思い出と、人々の熱い想いを感じることができました。祭りはどれも素晴らしいもので、どれも最高でした。本当に東北の祭りに接して良かったと思いました。

 黒猫関係のHPは、すでに前年の11月から始めていましたが、これはパソコンイントラに制作してもらいました。8月には、新しいスタジオのHPも制作開始しました。パソコンイントラのおかげで制作できたものですが、内容や文章など、共同作業で制作をしました。この頃からHP制作の勉強を始めていました。
 9月からは、スタジオが開設し、忙殺される毎日になりました。スタジオ内の備品の整備にも取り組みました。今迄の音響機材の整備の他に、今年は何と通信カラオケの装置も購入することができ、音楽スタジオとしての全ての機材を揃えることができました。さらに、スタジオ内にステージを設置し、カラオケ演奏スタジオとしても使うことが出来るようになりました。
 また、コーディネーターに依頼し、スタジオの模様替えも実施し、一応スタジオ営業が出来るような内装にすることができました。余りの忙しさのためか、疲れのために9月末に腰を痛めてしましました。余りのハードワークだったのが祟りました。健康管理の課題が明らかになりました。何とか整骨院に通って治すことができましたが、今年の大きな課題になってしましました。
 11月頃から、新しい形の黒猫製作の研究を始めました。最終的に新型黒猫N06まで製作することができました。研究内容は、オーソドックスな黒猫製作から出発し、段々前布上幅を狭めていきました。リフトアップ効果を保ちながら、量感、立体感のある黒猫を制作することが目標でしたが、最終的に、外国のストリングス風の黒猫にまで仕上げることができました。これは実に画期的なことでした。なぜなら今迄のように、平面的な黒猫製作ではなく、生地の幅は、これまで以上に約24cm以上使いながらも、前布上幅は1cmまで狭めるというものです。必然的に、瓢箪の形のような立体的な黒猫の形に製作することができたのです。これを新型黒猫として、新しいHPに掲載し、全国に向けて製作販売をすることにしました。今では注文の半分以上は、新型黒猫の注文が来るようになりました。それは日本全国、どんな工房でも製作していない、独自の形を追求したからだと思っています。新型黒猫は、今迄の黒猫の形に飽き足らなかった人々に共感を呼んでいるようです。

 12月には、スタジオ内に、さらに新しいDTM機材を構築することができました。パソコンで音楽製作ができるシステムですが、パソコンイントラにソフトを覚えてもらい実践できるようになりました。
 年が明けてから、仙台黒猫のHPを自力で制作に取り組むようになり、3月初めまで掛りましたが、何とか今迄の黒猫のHPに代わって、全く新しい黒猫のHPを制作することができました。これは私にとって本当に今年度の大きな成果だったように思います。長年の願いをこれでかなえることができたからです。 
独立独行で進めて来たHP学習を、パソコンイントラの協力を受けながら、何とか自力で制作できたことは、本当に大きな自信になったような気がします。

 1月には、「大人の休日倶楽部」で、房総紀行、東京の下町の探索、そして長野、能登への旅まで、出かけてくることができました。
 音楽指導関係については、昨年の4月からカルチャーセンターでヴォイトレとヴォーカルの講座を始めるようになったこと、大学のオープンカレッジでは昨年から、うたごえ教室の他にアコーディオン教室2講座に増え、持つことができました。年間通して指導し、今年の2月には、初めての演奏会を大成功させることができました。うたごえサークルは、最終的に会員50名近くに達したことも特筆することです。
9月から始まったスタジオでは、レッスンスタジオとして様々なレッスンを実践してきましたが、ヴォーカル、ヴォイトレの他に、アコーディオンやヴァイオリンの個人レッスンも受付け、実践を重ねてきたことも大きな事でした。
 うたごえ教室やカラオケサロンを実践してきましたが、あまり成果を残すことができなかったのは、今後の課題として残りました。
 その他、演奏活動では、様々な演奏活動に呼ばれるようになったことです。毎月平均1回程度の演奏ステージがありました。その度に演奏曲を設定し練習を積み上げ、発表することができたことも大きなことでした。結婚式場のような大きなステージもあり、2月からは温泉のライブステージもスタートしました。1~2ケ月に一度程度で、ライブ活動を重ねていくことになりました。
 大震災が起きてからは、避難所回りの演奏活動も入り、何回か経験してきました。様々な人々との触れ合いで、音楽活動を通して、人々に届けられる喜びを感じ取ることができました。
 10月からは、FM放送局からのお誘いがあり、週1回のトーク番組を持つことになりました。6ケ月間の番組でしたが、何とか楽しい番組を毎回収録することができました。もう一人の相棒との共同番組でしたが、今年の4月以降は、私の一人の番組で新たにスタートすることになり、既に1回目の収録を終え、実際の放送も始まりました。放送関係の仕事は初めてなのですが、また一つ大きな仕事が増えた感じがしています。放送の反響の大きさに驚いています。その番組は、私のスタジオがスポンサーになることで、自由に宣伝もできるようになりました。メディアの広報力の大きさに、驚くような日々が続いています。

 今年度の大学のオープンカレッジの講座は、うたごえ教室の他に、アコーディオンは何と3つの講座を持つことになりました。カルチャーでも引き続き講座を実践しますが、さらに増える可能性もあります。
個人レッスンもさらに増やしていかなければなりませんが、演奏活動も増やしながら、大きく羽ばたいていきたいと思っています。
 さらに、カルチャーセンター主催の被災地支援のキャラバンにも参加します。遠くの被災地にまで出かけて演奏してきたいと思います。
 この1年の様々な成果の上に立って、冊子のタイトルのように、さらに未来に向かって旅立って行きたいと願っています。
 この1年の総括は、簡単には、まだまだまとめ切ることはできませんが、一応の区切りとして終えることにいたします。
 「一瞬の力も大切、でも続けていく力はもっと大切、日本の力を信じてる」まさにこれが今の私の実感なのかも知れません。