それにしても余りに段取りが悪すぎます。もうこれで3回も名取に通いましたが、まだ演奏活動は実現していません。大学の担当者任せがいけないのかも知れませんが、自分で勝手に動くのは大変なので控えています。段取りしてもらった所に出向いていくことにしました。
私は、自分の場合、本当のヴォランティア活動にはならないと思っています。ヴォランティア活動は、自分の収入の生活基盤があっての余力の中で取り組むものなのに、私の場合には、現在、音楽での収入の生活基盤が全くないのですから、その状態でヴォランティア活動は、本来あり得ないのです。大学の担当者は、生活基盤があってのヴォランティアですから、段取りでも何でもいいのですが、生活基盤の無い私を使って、それも大学の看板を背負わせて、ヴォランティアで活動させると言うものです。その活動を通して大学の宣伝をすることが見え見えなのですが、ヴォランティア活動の名の下に、一切大学は金銭的なことは無しのようです。だから、本来は大学の看板を背負ってのヴォランティアはあり得ないのだけれど、1回だけは実践してみることにしました。
全く無収入の私を、収入がある担当者が、音楽の演奏活動の部分だけを利用して、私を大学の宣伝活動に使うものなのですが、避難生活者はそんなことは関係ありません。大学に利用されるのはわかっているけれど、避難生活者への気持ちを込めて演奏活動をしたいと思っています。
大学の担当者も、自分の仕事の範囲での活動なので、今日のような状況になったのですが、1度やってみてから結論を出すことにします。
本来私は、現在音楽活動による生活基盤が全く無収入なので、ヴォランティア活動も何もないのだけれど、今回の悲惨な状況の中で、大学の利用でも何でも、できることから実践してみようと思ったからです。
今日も1時間以上かけて行ったのだけれど、空振りに終わってしまいました。帰りは渋滞に巻き込まれなかったけれど、反対車線は、まだ渋滞が続いていました。今日もまだ燃料難民が街に溢れていることを教えてくれました。
家に戻ったら、今日はお手伝いさんが帰っていて、先に適当に昼食を取っていました。私はまだだったので作って食べましたが、お手伝いさんにも、汁ものやサラダを出して一緒に食べました。
午後からの活動は、一緒に手伝ってもらいました。まず、家の書斎の片づけをしました。雑然としていたので、二人で一気に片付け整理しました。二人だと倍以上にはかどります。話をしながらできるので、時間が気になりません。
終わって次の課題に取り組みました。今日は、先日見つけた舟の確認に行くことです。どうなっているか、たびたび確認が必要だからです。軽トラックで出かけました。河川敷には、ちゃんと舟がそのまま残っていました。早いうちに段取りをつけて、舟を回収しなければと思いましたが、果たしてどうやって移動させるかが課題です。これから考えていくことにしました。
その後、2キロ程下流の舟を係留してあった所に行ったら、何と桟橋のポールがなぎ倒された格好で、幾つも残骸となって発見することができました。お手伝いさんと一緒に、桟橋のポールを解体して、回収することにしました。幸い解体の道具も車の中にあったので、それを使ってポールを、1本ずつ外し、回収しました。舟の切れたロープも見つかりましたので回収しました。あの太いロープが、津波の力で切られたのです。舟だけが遠く2キロ先まで流されたのです。津波の力の恐ろしさを改めて感じました。回収したものはトラックに積み込み、家に運び収納しました。二人で必死になって作業に取り組み、泥だらけになってしまったので、家でズボンをはき替えて、やはり温泉に行くことにしました。
仙台の銭湯は、依然風呂難民で溢れています。行列に並ぶよりはと、秋保温泉まで飛ばしました。西道路を直行すれば、意外と早く着きます。最短距離で往復です。秋保温泉共同浴場の熱い風呂に入ってきました。物凄い熱さで有名なのですが、今日は、特に熱かったです。でも入ると慣れて気持ち良くなってくるから不思議です。汗が止まらない程でてきますが、それがいいのかも知れません。銭湯とは全く違った湯あがり気分になるのです。これが温泉の醍醐味なのかも知れません。秋保温泉は、仙台の奥座敷で、遠くないし泉質が素晴らしいのがいいのかも知れません。毎日でも来たくなるから不思議な温泉です。
気持ち良くなり、再び西道路を戻って帰りました。
家では今日もゆったり夕食になりました。食材も、名取の帰りに、業務用のスーパーでたくさんゲットしてきたので、料理も弾みました。ニラの卵とじ汁の他、久しぶりのもやし入り焼き肉、昼に作っておいたポテトサラダ、生野菜サラダなどで頂きました。美味しく食べられるのが最高に幸せだと感じながらの、湯上り夕食でした。当然、お酒は焼酎のミルク割で頂きました。
今日も、お手伝いさんが手伝ってくれて、幾つかの課題を終えました。部屋の整理、舟の見分と桟橋のポールやロープの回収です。ヴォランティアの避難所での演奏活動は明日の課題になりました。
今日も精一杯がんばりました。ガスの復旧が待たれます。ガソリン難民が依然続いています。買い物難民はなくなりました。道路の渋滞が激しくなっています。被災地の復旧活動が進んでいるようです。道路がだんだんきれいになってくることで、そのことがわかります。まだ瓦礫が、両側にうずたかく積まれています。
昨日の新聞で今回の津波での浸水状況が明らかになりました。面積的には仙台平野部分が一番大きいです。一番奥まで津波が到達したのは、岩沼、名取辺りで、国道4号近くまで、海岸から数キロ奥です。その他、多賀城、石巻が広い範囲で浸水しました。大きな河川を津波が上り、河川が決壊したからです。県北のリアス式海岸部分は、面積的にはほんの僅かです。呑み込まれた街の部分だけです。
今回の津波は弓なりになった仙台湾の砂浜海岸の奥深く、一番奥深くそのエネルギーが到達したのが、岩 沼の仙台空港、名取閖上、若林区荒浜、そして仙台港、多賀城地域であったことが、浸水地図から明らかになりました。
流された車は、宮城県の登録車両の1割に上ることが、新聞で明らかになりました。亡くなった方は、宮城県だけで、今日現在で7千人に上りました。いかに甚大な被害であったかが分かります。
そんな状況で3月も最終を迎えようとしています。震災に負けないで、新たな気持ちで春に向かってがんばっていきたいものです。