時間が来たので、名取に出発しました。昨日も大渋滞に遭いましたので、早めに出発、それでも今日も渋滞に巻き込まれ、普通は20分で行く所を、1時間かけて、名取の大学センターに到着しました。
12時の集合でしたが、早めの10時半に出発したので間に合いました。12時から打ち合わせをして、13時前に避難所に出かけていきました。名取市にある大きな中学校の体育館に到着しました。
今回の震災後に初めて入る避難所です。テレビで見た避難所の風景と同じですが、昼食時が終わって、一段落した頃でした。多くの方は、日中の用事に出かけていました。日中のうちに、罹災証明をもらいに行くとか、遺体安置所に探しに行くとか、自分の流された家に探しものに行くとか、それぞれの用事で出ているということでした。
避難民は全部で200人以上いるとのことでしたが、日中なので多くの人数はいなかったけれど、この中で初めての演奏をしました。紹介されてから、演奏を始めました。大学の同行した担当者は、歌詞カードを配布しました。1曲演奏し終わると、気持ちがこみ上げて、言葉が詰まって話せなくなってしまった時、会場の女性から「大丈夫だから、みんな頑張るから」と励まされ、やっとのことで話をすることができました。
それから何曲か演奏しました。みんなよく聴いて拍手をくれました。会場の方と歌詞カードの「ふるさと」「青い山脈」「月の砂漠」「荒城の月」などを歌いました。約40分程度の時間が、あっと言う間に過ぎていきました。
私は以前に、閖上の朝市でライブ活動をしていましたが、何とこの避難所には、閖上の方が多くいました。大津波で閖上の集落が壊滅して、ここにやって来た人が多くいると言うことでした。
演奏が終わってから、わざわざ涙を流して握手を求めてきた女性の方もいました。何か言葉にはならない感じで、ただ握手するだけでした。温かい拍手と、また来てくださいと言われて後にしました。
大学の担当者も涙を流していました。本当に言葉にはならない避難所での演奏活動でした。
終わってから名取市役所に行きました。初めて入る名取市役所、被災地には役場が流された所もありますが、名取は助かりました。たくさんの人でごった返していました。掲示板にはたくさんのメモ紙が貼ってありました。安否や消息を求めるメモが、隙間の無いほど貼ってあります。それは避難所でも同じでした。肉親の安否を求めるメモを読むたび、胸が詰まる思いがしました。
市役所ではヴォランティア証明をもらいました。ガソリンを購入できる証明書です。活動するためにガソリンを購入できる証明書を発行していました。大学の同行者が案内してくれました。その証明書をもらってスタンドに行き、ガソリンを買うことができました。このように活動をする方に証明書を出しているのです。私は燃料が少ない中で、購入できる証明書を頂いたので嬉しかったです。やっと燃料難民から解放されたような気分でした。
帰りも、やはり反対車線は大渋滞でした。燃料難民の長い列が渋滞を作っていました。いつになったら燃料難民がなくなるのか、本当に大変な問題が、まだ続いていることが分かりました。
家に戻って遅い食事をとり、休んでから、銭湯に出かけました。お手伝いさんは行かないと言うので、一人で出かけました。何と今日は行列がなく、すぐに入ることが出来ました。今迄は毎日凄い行列でしたが、今日は女性だけ数名並んでいるだけでした。ガスが復旧してきたので自分の家で風呂に入ることが出来るようになったからでしょうか。気持ち良い銭湯に入って帰りました。
車を飛ばして秋保温泉まで行かなくても銭湯に入れて、時間の余裕ができて良かったです。駐車料金を含めても、時間に余裕ができたので良かったと思いました。
家に戻って休んでいたら、久しぶりの演奏で疲れたのか、眠ってしましました。
21時近くになって、お手伝いさんに夕食をせがまれてから、起き出して料理をしました。今日は、時間が無いので、久しぶりに「トン汁」を作って食べました。
今日は朝から作業で動いたし、避難所での演奏活動があったので疲れたのかも知れません。銭湯に入った後、疲れが出て寝てしましました。
今日も精一杯頑張り、いろんな体験をすることが出来ました。明日は久しぶりのレッスンが入りましたので、音楽活動に頑張りたいと思います。