私は、舟から回収したタンクから、ガソリンを5リットルをトラックに入れて墓参りに、お手伝いさんは、中心部の大きなスーパーに買い出しに、車に乗って一緒に出ました。
途中でお手伝いさんを下ろし、私は墓参りへ行きました。毎回一緒に行く姉夫婦は、今回は、夫が頭を打って入院しているので、今回はパスしました。私だけで墓参りに行きました。
墓地は、地震後に確認したように、墓石が倒れていなくてよかったです。確認しに来た時には雪が積もっていましたが、今回は雪はなかったです。
墓参りを済ませ、写真を撮影してから、急いで家に戻りました。道路は混雑していないので、スムーズに戻りました。
まだガスが復旧していないので、兄や姉の所では、カセットボンベを使っています。私はIHコンロがあるので、電気が無い時だけカセットを使いましたが、今は使いません。
カセットボンベをキャンピングカーから探し出しました。6本見つけることができました。兄に3本、姉に3本分けることにしました。
お手伝いさんから電話が入って、買い物が終わったので、中心部の待ち合わせ場所で拾いました。家に戻る途中に、カセットボンベを兄の事務所に届けてやりました。お手伝いさんも3本買ってくれましたので、その分も含めて6本を兄に回してやりました。兄の所は、多賀城で、ガスも水道も来ていないので、喜んでくれました。
その後家に戻り、お手伝いさんが買って来た食材を収納しました。今回は、肉や卵など、たんぱく質の食材を購入してくれました。
昼には少し早かったのだけれど、ずっと風呂に入っていないので、昼から温泉に出かけることにしました。早めの昼食で、冷やし中華を作って食べてから、キャンピングカーで出発することにしました。トラックや乗用車にはガソリンはあまり入っていないし、キャンピングカーには、震災前に軽油を入れておいたので、比較的燃料がありました。昨日点検して異常がないことがわかったので、今回はキャンピングカーで出発です。
遠刈田温泉をめざしました。秋保温泉に行くうように、直接、西に向かうのでなく、南に向かってから蔵王町を目指しました。南仙台から名取、岩沼の山際を通って、山を抜ける道を通りましたが、途中で通行止めなので、さらに南に下り、槻木(つきのき)から村田町経由で蔵王町に向かいましたが、結局遠回りになってしましました。
約1時間半以上かけてやっと遠刈田温泉に着くことができました。仙台からは山越えしなければならないので、遠い感じがします。
素晴らしい蔵王の温泉郷なのですが、遠いのでなかなか来ることが出来ない場所です。
昨年秋ごろ来たことを思い出しました。共同浴場「神の湯」は、全館木のぬくもりのする、素晴らしい町の共同浴場です。久しぶりの温泉で、本当に気持ち良くなりました。体を洗って最高の気分、結構たくさんの方が訪れていましたが、それほど混雑していなく、気持ち良い温泉気分を満喫することが出来ました。
帰りは、再び来た道を戻りましたが、途中、槻木(つきのき)から、阿武隈川を渡って、国道25号線で海岸線の亘理まで行くことにしました。大津波の被害の取材を兼ねていました。
仙台から南へは、福島県へ続く、美しい砂浜海岸があります。そこに点在する街々は、今回は閖上の浜までしか取材していませんでした。
新聞では、南の浜も壊滅的な被害を伝えており、北部の岩手や気仙沼、南三陸町が大きく報じられる中、「南も見捨てないで欲しい」という記事を目にしていたからです。
南には、閖上から続く岩沼の浜、仙台空港、そして阿武隈川河口に開けた亘理荒浜(宮城には若林区の荒浜と同じ名前の荒浜が2か所あります)鳥の海、山元、そして福島県新地の磯浜、相馬の海岸まで、多くの海岸線の浜があるのです。
阿武隈川の河口に開けた亘理荒浜まで足を伸ばしましたが、やはりここも完全に壊滅状態でした。閖上浜と同じように街自体が全てさらわれて、瓦礫の山と化していました。ここがいったいどこなのかもわからないほどの壊滅状態でした。
仙台湾の浜は、どこも同じ様な壊滅状態です。道路が何とか通れる状態になってきたので、亘理荒浜から海岸線を北上して帰ることにしましたが、どこも皆、同じ壊滅状態でした。
仙台平野の奥深くまで大津波が押し寄せていました。阿武隈川河口の大橋は無事でした。そこを渡って岩沼に入り、仙台空港を通り、閖上浜まで来ることができましたが、全て壊滅状態の集落がどこまでも続いていました。
仙台湾に面する全ての浜が、今回の大津波で壊滅したことを確認することができました。
震災から10日以上経過して、海岸線の県道も通ることができましたが、道路の両側は全て悲惨な風景が広がっていました。
お手伝いさんと一緒に、どこまで津波が押し寄せたのかなどを話しながら、閖上浜を経由して、やっとのことで4号線に辿り着き、家に帰ることができました。
夕方も押し迫って、18時を過ぎていましたが、温泉の後、宮城の今回の惨状をつぶさに見てくることが出来ました。その中で、決して忘れることのできない惨状を、目の奥に焼きつけることができました。
惨状ルポは終了したので、これ以上の有様を記述することはやめにします。余りに悲惨な風景なので、これ以上記述することができないからです。
久しぶりの温泉気分が、結局、今回の大津波の惨状の見分につながってしまいました。
津波に襲われた地域の惨状と裏腹に、山間部の地域には、冬枯れの野面の中に、やがて萌え出る春への直前の風景がどこまでも広がっていました。
ああ、これが美しい日本の山里の風景なのだと、久しぶりに接したかのように、改めて心の中で思い続けていたのでした。