能登からふるさと、仙台へ、終着駅は始発駅! | アカデミー主宰のブログ

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 朝起きたら、能登は一面雪でした。それも湿ったボタ雪が、一面の銀世界を作り出していました。夜明けも遅いようです。朝6時を過ぎても真っ暗でした。ホテルのパソコンが、宿泊部屋ではネットに繋げることが出来なかったので、ノートパソコンを1階のラウンジまで移動させ、朝の作業を済ませました。昨夜のうちに部屋では、日記の下書きをしておいたので、その作業の続きでしたが、やはり借り物のパソコンでは使いにくかったのですが、何とか済ませることができました。
 朝の輪島行きの特急バスに乗る予定でいましたが、この雪では無理だとわかり、少しゆっくりしてから出発することにしました。ホテルでモーニングサービスの朝食を食べてからの、ゆっくりとした出発です。
 和倉温泉からの能登巡りの旅は、この豪雪の状態では無理のようです。大体宿のおばさんに能登の話を聞いて、簡単に回れる地域ではないことが分かりました。とても広い地域なのです。観光素材は何でもあるようです。昔から育まれた豊かな地域であることも分かりました。能登は1週間ほどかけて、ゆっくり周遊する地域かも知れません。今度は車で1週間ほどかけて、巡る必要があるなどと考え、今回は大雪なので、能登周遊を止めて、金沢に戻る事にしました。
 朝にゆっくり宿のおばさんと話をしてから、和倉温泉8時42分発の電車で金沢に向かいました。七尾駅で乗り換え、金沢で七尾線の旅を終えました。金沢駅には、新潟行きの特急列車「北越」が待っていました。福井方面も考えましたが、これ以上遠くに行ったら、帰ってこれないと考え、新潟行きの特急列車に乗りました。
 能登は、和倉温泉までしか行けなかったけれど、能登は、1日で回れる地域ではないです。広さは東京都と同じ程度の広さなのです。観光資源も何でもあります。私は遠くからの人間で、能登のことはほとんど知らなかったのですが、こんなに素晴らしい何でも揃っている地域も珍しいことも知りました。
日本中探しても、こんなに何でも揃っている地域は無いのではないかと思えるほどです。今度は、夏にでも1週間程度かけながらキャンピングカーで巡る地域かも知れないと思いました。単なる「ぶらり旅」では、巡れない程の地域なのだと思いました。特急「北越」は、北陸の豪雪地帯の中を、新潟を目指していました。
 金沢から富山へと、北陸本線の旅は、この地域はいかに豪雪地帯であるかを教えてくれました。地域ごとに若干の雪の量は違うけれど、今は一面雪に覆われ、吹雪いていました。特に富山、魚津、糸魚川を過ぎて、新潟に入ると海岸線ぎりぎりに列車が走り、冬の日本海の風景が広がっていました。
新潟方面に向かうほど、段々雪の量が増えてくるように思われました。特急「北越」は新潟行きですが、車掌さんに聞いたら。長岡駅で上越新幹線乗り換えできることが分かったので、新潟までは行かず、長岡乗り換えで、上越新幹線「トキ」に乗り込みました。
 2階建ての新幹線でしたが、この辺りもまさに豪雪地帯です。見渡す限り雪景色が広がっていました。車内放送では、大雪のために在来線が運転見合わせていました。それほど大雪に見舞われた北陸地方、本当に雪深い地域なのだと改めて感じさせられました。
 越後湯沢駅を過ぎて、トンネルを幾つか過ぎた所で、うとうとしていたので気付かなかったけれど、目を開けたら突然雪のない世界が広がっていました。遠くの山には雪が見えるけれど、辺り一面は全く違う雪のない世界なのです。豪雪地帯が突然消えて、別世界が広がっていました。
 関東平野が既に広がっていました。高崎を抜けて大宮まで、新幹線が弾丸特急のように駆け抜けていきました。越後湯沢と高崎の間で、世界が全く変わることが分かりました。北陸地方は、今年は豪雪に見舞われています。在来線が止まるほどの大雪に見舞われていました。やっと雪のない世界に戻ってきました。本当にびっくりするような銀世界だったので、ある意味ホッとしたような気分でした。
 大宮で、東北新幹線「はやて」に乗り換え、帰途に着きました。乗り換え、乗り換えで、食事もできない状況なので、全て弁当を車内で食べる状況でした。乗り換え時に購入した弁当ですが、これでは問題であることが分かりました。ほとんど野菜が入っていないのです。野菜不足になることは間違いなしです。長岡で買った弁当でも、大宮で買ったおにぎりとみそ汁でも、テークアウトはできるのですが、野菜が不足しています。いつもいかに野菜を豊富に食べているかがわかりました。家に帰ったら野菜を十分に補給する必要があることが分かりました。
 大宮では、今回初めて指定を使いました。せっかくなので八戸辺りまで行こうと「はやて」の指定をとることができましたが、福島県に入った辺りから、また銀世界が広がっていました。携帯で天気をチェックしたら、八戸は曇りでマイナス4度、仙台でもマイナス1度と、今日は寒い一日なのです。八戸には昨年の今の季節は行ったのですが、それでも物凄く寒かった記憶があります。八戸までの指定はとりましたが、このような寒さでは無理と考えて、仙台で下車することにしました。
 大宮15時22分発、仙台着が16時38分で、大宮の次の停車駅が仙台だったのです。1時間16分で仙台着でした。新幹線が走るようになって、実際の地形と新幹線ダイヤでの、日本地図が変化していることは間違いないです。今の新幹線ダイヤでの、日本地図がどう変化しているのか見てみたいものです。実際の距離とはまた違った形になるのではないでしょうか。大宮、仙台がわずか1時間少々なのです。
 幸い仙台が近くなるにつれて雪がなくなってきました。仙台はいかに雪が少ない地域かが分かります。やっとふるさとに帰って来た感じで安堵感がありました。八戸まで行って買い物してこようかとも思いましたが、買い物は仙台駅にすることにしました。
 仙台駅で降りて正解でした。仙台も物凄く寒く感じました。八戸まで行ったら大変な寒さだろうと思い、行かないで正解だったと思いました。仙台駅には各地のお土産物があるので、そこでお土産を幾つか買ってから、駅の東口の地下駐輪場まで下りて、バイクで帰ってきました。バイクに乗っても空気が冷たくて、手袋をした手もかじかむほどでした。空気が冷えていました。やっとのことで17時半頃に家に帰りました。
 八戸まで行ったら帰りは22時頃になるでしょうが、行かないで良かったです。行ったら益々寒くて厳しかったでしょうから、今回は、厳冬のため「ぶらり旅」をここで終了することにしました。
 家に戻って、早速スーパーで野菜をたくさん仕入れて、夕食は野菜中心に料理して食べることにしました。風呂も新しく沸かして入浴剤を入れて、ゆったりとした時間を過ごしました。やっぱり家は寛げて、食べたいものをゆっくり食べることができて、家の有難さを改めて感じることができました。
 旅は素晴らしいのですが、食生活が偏ってしまうのが赤信号でした。体がダメになってしまうからです。3日間でもそのことを感じました。バランスのとれた食事が最も大切であることが、今回の旅で実感として理解することができました。
 様々な出来事があった「ぶらり旅」、一つ一つが新たな経験でしたが、遠く金沢能登まで足を伸ばし、安房鴨川の暖かい空気に触れて、東京の新しいゲイスポットを見分することができました。これらの大きな収穫を、またこれからの生活に生かしていきたいと思います。
 ふるさと仙台での生活が、何かやはり自分の全てなのだと思い直した旅でした。やはり落ち着く仙台での生活、これからも大切に積み上げていきたいものです。私にとっての仙台、「ぶらり旅」の終着駅は人生の始発駅なのです。