長野には、11時頃到着、車中では、うとうとしていましたが、降りてみたら銀世界でした。トンネルを越えれば雪国でした。川端康成の雪国の世界がそこに広がっていました。長野は、冬季のオリンピックが開かれた土地なのか、駅は新しく整備され見事な景観を呈していました。東口と西口の善光寺口に分かれ、私は善光寺に向かって出発しました。長野に来たら善光寺ということが頭にあったし、駅前に案内板もあったので、すぐに市内バスに乗り込んで善光寺に向かいました。雪がまだ積もっており、駅前には鳩の群れ飛んでいて、人が近づいても逃げない鳩が印象的でした。
バスは10分程度で善光寺前に到着、そこから善光寺までの道のりは、両側がすべて善光寺観光客向けの商店が並んでいました。大きな山門が立ち、中には木彫の仁王様が両側に立って、度迫力をもって迫ってきました。いくつものお地蔵さんも並んでいました。雪の積もった中での参拝客も結構多く、名の知れた観光地であることが分かりました。どこまでも歩いて、やっとのことで大きなお寺の大伽藍に到着、見事なのは大きさばかりでなく、歴史的な由緒あるお寺であることが分かりました。月並みに賽銭を投げ入れお参りをしてきました。ここにも鳩が群れをなして遊んでいました。食べ物をあげるなり寄ってきて、身体にもとまるくらいです。人を恐れない珍しい鳩でした。言葉は話さないけれど、えさをおねだりする気持ちがよくわかりました。そんな善光寺へのお参りの旅を終えて、バスに乗って長野駅に舞い戻ってきました。
昼が過ぎたので、駅前でボリューム定食を食べてから、新潟方面に行こうと思ったらタイムリーに、JR「しなの鉄道」がありました.12時45分発直江津行きの普通列車で北陸を目指すことにしました。
だんだん雪が深くなってきます。山を林を縫うように登っていく登山鉄道のようです。最高地の平野には、雪にかぶった家屋連たん区域があって、今度はそこから段々下って、北陸の直江津方面へと続いているのでした。
直江津からは、新潟行きに乗ろうか考えてきましたが、丁度直江津に降り立ったら、特急列車金沢行きが待っていました。特急「はくたか」、昨年も乗った列車でしたが、新潟をやめて金沢に足が向いていました。
直江津発14時22分発でしたが、若干遅れて出発、雪の日本海を眺めながら北陸本線を一路に西へ向かいました。雪の量が段々多くなってきます。魚津、富山を過ぎて、金沢まで、特急「はくたか・ホワイトウィング」は、雪の中を飛ぶように通り抜けていきました。金沢駅からは、またいろいろな列車が出ていましたが、昨年行かなかった能登半島を目指して、七尾線に乗り込みました。小さな編成の通学列車で、たくさんの学生が乗り込んでいましたが、結構長い時間列車に揺られて七尾に到着、そこで再度乗り換えて和倉温泉駅で下車しました。
乗り換えを重ねて、着いた時刻が18時頃で、辺りはすでに真っ暗になって、雪が降っていました。あちこち探しても仕方がないので、駅前のビジネスホテルに宿をとり、夕食は宿で教えてくれた近くの居酒屋で済ませました。雪が降ってきて、能登の雪景色を見ることができました。
能登半島は、物凄く広い感じがします。伊豆半島や房総半島は、実際に歩いて広さを実感することができましたが、能登半島も相当な広さなのではないかと思います。
さて明日は能登半島めぐりの旅から出発しますが、冬の能登も何となく趣があってよさそうです。
今日も上野発の能登、和倉温泉行きで終了しましたが、明日もまたこの「ぶらり旅」を続けていくことにしましょう。
「ぶらり旅」のポイントは、決して予定を立てないことです。宿泊も事前には予約しないことです。それによってあらゆる制約から解放され、その場で決めることができます。かなり冒険もありますが、予約の制約からは免れることができます。あらゆる感性を自由にして旅を続けることがポイントなのです。
「ぶらり旅」の勧め、これが今回の私のテーマでした。すべてのストレスや制約から解放され、その場で行き当たりばったりに、行く先や宿を決めていく楽しみとスリル、これが頭を自由にし、創造力を掻き立てることができるのです。
また新しい「作品」へのイメージもわいてきます。船村徹の演歌巡礼の旅ではないけれど、そんな旅を続けていきたいものです。明日はどんな旅になることやら、私にもまだまったく知る由もないものなのです。それがまた堪らない旅の楽しみなのかも知れません。
行く先々に駅で、街頭で素敵な見慣れない人に出会います。どこでどんな生活をして暮らしているのだろう、などと想像をしながら思い巡らすこともできます。本当に様々な暮らしが日本列島の津々浦々にあることを実感できるのです。そこの暮らす人々のことを想像するだけでも楽しいものです。素敵な顔立ちの男のもたくさん出会うことができました。風景と溶け合った男たちの中に私は日本の美しい叙情を感じることができるのです。何ともいえないあの雰囲気や表情の中に、日本人の本当の美しささえ感じることができるのです。日本人にしかないあの大和体型の調和のとれた男たちの姿の中に、日本人が脈々と培ってきた大和魂さえ感じることができるのです。本当に素晴らしい、素敵な男たちに出会うために、私は、今日も旅を続けているのかも知れません。
日本全国、まだ見ぬ大和体型の男を探して、これからも私の「男巡礼」の旅を続けていきたいと思うのです。