昨日と今日開催されたのは、地元の放送局主催の「・・・夏祭り」でした。マスコミ、メディアを大々的に使って宣伝した甲斐があって、かなりの人数を集めていたようです。放送局得意のステージを組み立て、東京から有名な歌手を集め、テレビの実況放送も流しながらの取り組みとなりましたので、どこからともなく数千人の人は集まっていたようでした。仙台には民放が4つありますが、他の放送局は、「沈黙」であることは言うまでもありません。
私は、イベントにはすっかり慣れっこになって、「テレビで十分」とばかりに、行かなかったけれど、夕方会場の周辺を車で回ってきました。日曜日の夕方近くのためか、さほどの混雑ではなかったようでした。
仙台では、これから毎週のようにイベントが開催されるのです。地元の人はすっかり慣れっこで、あまり足を運んでいる状況ではないように感じます。
来週は、仙台駅の周辺の大通りを使って「すずめ踊り大会」が開催されます。
また、8月の6,7,8日の3日間は、「仙台七夕祭り」が開催されます。全国から二百万人以上が訪れると言われますが、地元の人で見学に行く人は、どれだけいるかわかりません。商工会の音頭取りで大々的に宣伝し、観光客が押し寄せる祭りなのです。
中心部の商店街は、ここぞとばかりにお金をかけた竹飾りを作り、競い合うお祭りで、観光客や市民は、ただ見学するだけの祭りです。
「七夕祭り」の中に「星の宵祭り」もあり、パフォーマンスや踊りも見られますが、所詮、全市民的な祭りとは言えないような気がします。それを全国的に大々的に宣伝し、東北の三大祭りと言うから不思議です。
市民参加と言えば、8月5日の夜に開催される「七夕祭り前夜祭」の方が市民の祭りのような気がします。中心部近くの広瀬川河畔で打ち上げられ、メイン道路が観客席になり15万人以上の市民が、花火に酔いしれるのです。
「七夕祭り」が終われば、松島の「灯篭流し花火大会」があり、9月上旬には「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が、また、10月の10日前後の3日間は「みちのくよさこい祭り」が開催され、区民祭りや秋祭りの後は、11月に「ゴスペル祭り」で、街中がステージ化されるのです。12月になると、最後の大きな祭り「光のぺージジェント」が開催され、息つく暇もないほどの、イベントのオンパレードが続いていくのです。
あまりのイベントの多さに、100万の仙台市民も辟易しているのではないでしょうか?市民はいたって冷静で、今日のイベントでも会場周辺は盛り上がっているのに、他はいたって静かな雰囲気でした。仙台の市民はそれぞれの生活に勤(いそ)しんでいるようでした。
私は朝からいつものように、朝市のライブの後は、仙台港のフリマに行ったし、普通だったら、いさんでイベントに駆けつけるのに、他の街のイベントのような感じで受け止めていたのでした。
このように、次から次へとイベントが続きますが、果たして市民側の盛り上がりはどうなのでしょうか?市民は、自分たちの地域の祭りを大切にして、それぞれに取り組んでいるし、七夕祭りもそんなに大規模ではないけれど、自分たちの竹飾りを作って楽しんでいるように見えます。
イベントの街とは言うけれど、実際は、商工会や、マスコミの大宣伝で、踊らされているような気がしてなりません。その辺りが、青森の「ねぶた祭り」や盛岡の「さんさ祭り」山形の「花笠踊り」秋田の「竿灯祭り」と違う側面があることを以前から感じてきました。
ずっと思い続けて数十年経ちましたが、やっぱり変わることはありませんでした。私の両親や兄弟たちも、大きな「仙台七夕祭り」に行くことは結局なかったのです。
東北の夏祭りが近付いて、恐らく市内の「七夕通り」は、一方通行でも、混雑で歩けないほどの観光客で溢れることでしょうが、どの大きなイベントをとってみても、市民感覚はいたって冷やかなものではないでしょうか。
それは、「七夕祭り」を始め、どのイベントも、市民の参加をどこに置くのか、祭りの主体の欠落があるからではないかと思うのです。東北の他の祭りは、あくまでも市民が踊って、跳ねて参加する祭りなのです。そこが仙台七夕祭りと本質的に違うような気がしています。
商工会主体、マスコミ主体の観光客目当て、商人の金儲け目当て、商工会や企業主体の祭りとの本質的な違いなのかも知れません。
年々、市民参加の方向が指摘され、段々その観点もとれれるようになりましたが、仙台市民の本当の気持ちからは程遠い祭りなのでしょう。だから、どの祭りにしても規模は物凄く大きく華々しいけれど、大きければ大きいほど市民感覚からは離れたものになっているような気がするのです。
これは仙台の祭りの大きな矛盾ですが、これは祭りに限ったことではないのです。昔からの様々な歴史の中で培ってきたことにも反映しているのですが、私は、仙台の様相の全てに反映しているような気がしています。生活、人情、人間関係、あらゆる所に、仙台の状況が映し出されているように思うのです。
ここでは一概に述べることはできないのですが、イベントのことからだけでも、仙台の特殊的な土壌や人間性が浮き彫りにされるように思われるのです。
どこにでも裏事情はあるものですが、仙台のような100万都市の抱える問題や課題が、どこまでも私を含めた住民全てに追いかけてくるようです。
夏祭りやイベントを、本当の意味で、主体である市民や地域住民、参加する人々のものに創り上げていきたいものです。