「二番じゃ嫌なんです。一番じゃなきゃ」・・私の「歌声教室」 | アカデミー主宰のブログ

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仙台ミュージカルアカデミーの旬な日常情報をお届けします。
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ライブ動画も掲載しました。検索は、ユーチューブで「仙台ミュージカルアカデミーライブ&発表会、花は咲く 荒浜」です。

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 私の教えている「歌声教室」は、今年度はどうしたわけか人数がどんどん増えてしましました。昨年6月から出発した大学の生涯学習教育の一環として、市民向けに実施する「教室」なのですが、6カ月毎の講座として隔週で毎回1時間半のレッスンを実施してきました。昨年は多くても二十数名程度までだったのだけれど、今年度に入ってどんどん人が増えてきました。今は40名を超えて嬉しい悲鳴をあげています。
 内容は、「思いっきり歌を歌うこと」、1冊の歌集を中心にして、たくさんの曲を取り上げ毎回精一杯歌ってきました。
 私の1時間半のレッスンの特徴は、毎回十分な柔軟体操から始めます。ラフな服装で来ていただき、フロアを使って全身のストレッチをします。筋を伸ばすことでリラックスが図られ、歌う準備ができます。
次にただ歌うだけでなく、気持ち良く声を出すための「発声」をきちんとすることにしています。歌う姿勢、呼吸法から始まり、ロングトーン、レガート、腹筋のトレーニングからスタッカート唱法など一通り実施してから始めることにしています。
 そして毎回2曲以上の新曲に挑戦するため、楽譜を印刷して渡しています。立って歌う時の姿勢ばかりでなく、座って歌う時の姿勢にも気をつけ歌うようにしています。何曲か歌集の曲を歌った所で、新曲を一通り教え歌います。
 また、特徴と言えば、1時間半しかないので、必要ない会話はしないこと、どんどん歌うようにしています。一番多い時は30曲、40曲も歌うことがありました。
 歌う中で、気がついたポイントを、その都度指導し改善することです。その都度ピアノを止めて実施しますので、改善されどんどん良くなっていきます。
 一番の実感は、声が伸びるようになったこと、響きが豊かになってきたことが感じられます。今年度は、最後に「演奏会」をしようという話が持ち上がり、何となくそんな雰囲気になってきました。
午前10時開始だけれど、私は9時過ぎに行き準備することにしています。会場は事務局の方が事前に準備してくれているので、そんなに早く行く必要はないけれど、楽譜印刷の時間や資料の準備等で早く行くようになりました。
 学校のような音楽の指導時間なら5分前に行って時間内をこなして帰ればいいのだけれど、「病気」を通して音楽に対する考え方が変わった証拠なのかなと思っています。
 音楽指導が、仕事としての義務感から出発するのでなく、音楽活動が、そもそも好きだということから出発しているからかも知れません。全然義務感とかでなく、自然に準備して身体が動くようなったのです。
 早く行って身体を動かしているうち、メンバーも段々早く集まってくるようになりました。今では9時半頃には20人近くの人が集まり柔軟体操から始めるようになっています。早く来た人にはサービスとして、発声指導など準備運動をするようにしています。10時ジャストに正式に始めますが、その時は全員が揃ってレッスンを始められるようになっています。始まりと同時に再度準備運動、発声指導から入っていきます。中盤で1回休憩5~6分、お茶タイムを取りますが、そのほかはぶっ通しで歌います。あっと言う間に90分が過ぎて講座が終わりますが、全員が精一杯歌い切ったという実感を作り出すことを目標にしています。それが達成したかどうかは、私は最後の挨拶で感じることができるのです。最初と最後には必ず「よろしくお願いします」「ご苦労様でした」の挨拶をしますが、その時の会員の反応でわかるのです。響きの良い声で「ありがとうございました」が返ってくるからです。それだけで私は講座の充実感を感じることができるのです。汗でびっしょりになる位集中し、ピアノを弾き通しの時もあります。
 先日は、講座の中盤で、新しい作品紹介で私のミニコンサートを実施しました。一番新しい作品、三春の日本三大桜、「滝桜」と自由民権運動の青春群像を讃えた「あの人のように」と水の事故で殉職した教師を歌った「あなたのように、あなたの生き方」、栗駒地震の復興音頭「震災・栗原・復興音頭」の3曲でした。伴奏は自分で制作したカラオケでした。作品が完成して間もないこともあり、歌い込みが不足していたのか、50点程度の演奏でしたが、びっくりするような拍手もいただきました。
 2曲目の「あなたのように」では、歌っている途中に楽曲の世界に入り込んで、歌えなくなるほど感きわまってしましました。どんな場合でも相手に内容を伝える「歌い手」としては、歌に溺れることは、禁のご法度なのだけれど、それほど歌の世界に入り込んでしまったのです。何とか最後までは歌いましたが、やはり実践の歌い込みが不足していることが明らかになりました。バラードを歌う時には、心してかからなければならないと痛感しました。事前の歌い込みが最も重要であることがわかりました。
 次回はこの歌を含めてレッスンして、会員の総意があれば、コンサートの演目にしていきたいと考えています。
 そんな「教室」のレッスン風景の中で、仙台にはいくつのサークル、合唱団があるかわからないけれど、「仙台で一番の充実した教室にしょう」と呼びかけから、会員から「仕分けられますよ」という声が返ってきました。「二番じゃ嫌なんです。一番じゃなきゃ」と言いましたら大笑いになってしましましたが、私は本音でそう思うのです。二番じゃ嫌なのです。一番じゃないと、それが私のこれまでの音楽人生の信念だったような気がするからです。どんな場合にも、どんな条件でも、私は無意識のうちに「一番」だけを目指して励み実践を重ねてきたような気がするからです。
 どんな実践活動においても、あまりに「一番」だけを目指すうちに、低レベルでの協調関係を重視する職場の雰囲気やそれを重視して職場管理にあたらなければならない、当地域の管理職の人間関係から遊離してしまったのかも知れません。やはり「全国37位」のレベルの雰囲気で仕事をする必要があったのかも知れません。それに耐えきれなくて退職してしまったのかも知れません。しかし、私は今、そのことを全く後悔はしていません。
 それは今でも全く変わっていない。退職をしても全く同じ感覚だから、とっさにそんな言葉が出たのかも知れません。だからもうのんびり悠々自適で過ごしても良いものなのに、今でも毎日課題を設定して課題達成に向けて生きてしまっているのかも知れません。

 そんな気持ちで過ごしている私の「歌声教室」、一人一人が歌を通して元気になり、生き生きとしてきたような気がしています。来年の「演奏会」まで長丁場になりそうですが、音楽を生きる糧にしながら、明治の時代を限りなく輝きながら駆け抜けたたくさんの青春群像に学びながら、また教え子を助けるために殉職した教師群像のように、一瞬一瞬をときめき輝かせながら精一杯生き抜いていきたいものです。