今日はいつもと違って、「おじ様」たちが多く来てくれました。たくさんのお客さまの中から選ばれたように、「おじ様」たちが足を止めて、リクエストして聴いてくれました。
「旅館」の方々には、恐らくよだれものかも知れないほど、個性的ないい「おじ様」たちでした。
浜の朝市なので、普段着で来ているひとがほとんどですが、話しかけてくれたり、リクエストしてくれたり、挙句の果ては、一緒に歌ってくれたりと嬉しくなることばかりでした。
「三味線をやっているけれど、今度持ってきて一緒に弾いてもいいか?」とか「サックス始めたので教えてほしいとか」、いい年した「おじ様」たちが話しかけてくれたのです。
アコーディオンの生音がやはり懐かしいようでした。「おじ様」たちは、手元にある私の楽譜本で探しながら、「これを弾いてほしい」とか言われて、嫌とも言えず、皆初見で弾いてしまいまいました。
たくさんの曲の中から、ほとんど懐メロの要望なので、全く初めての曲もありましたが、それを弾くのが私にとっての最も確かなリハビリになるのです。そのことは前から感じていましたので、知らない曲を言われると、集中して楽譜を見て弾くのです。右手、左手、蛇腹と3つの全く別の動きをするアコーディオンですから、脳の前頭前野が活動し活性化するのです。
これほどの脳のリハビリはないなと前から感じていましたが、私にとってアコーディオンは脳梗塞リハビリの救世主でもあるのです。
今日は「おじ様」たちの証拠として、リクエストの曲目を紹介すると、「僕は泣いちっち」「銀座の雀」「俺は待ってるぜ」「影を慕いて」「長崎の鐘」「南国土佐を後にして」「青い山脈」「アンコ椿は恋の花」「湯の町エレジー」「かえり船」「ムーンリバー」などでした。その他ロシア民謡「仕事の歌」「トロイカ」「ともしび」「ウラルのぐみの木」などいっぱいありましたが、曲目がたくさんで忘れました。
古賀メロディーでは「影を慕いて」を、アコーディオンと一緒に歌う「おじ様」もいて、「おじ様」が私の所から離れないで、演奏している私をじっと見つめているのが印象的でした。その「おじ様」は昔「流し」をやっていたと話していました。
曲目リクエストから「おじ様」たちであることがわかるでしょう。いつもは聴いてくれる人は、女性や子供が多いのに、不思議に今日はあまり女性からのリクエストはなかったです。
いつものように最初と最後は、ヒット曲「まだ君に恋してる」でしたが、何回もこの曲はリクエストがありました。
途中近くの屋台から熱々の水餃子の差し入れがあり、私が弾く手を休めている間、アコーディオンを実際に肩にかけて弾く練習をする「おじ様」もいるほどでした。アコーディオンがそれほど「おじ様」たちには懐かしいのかなと感じていました。今はほとんど弾き手がいなくなった「絶滅危惧種」のアコーター、アコニストたち、生アコーディオンはテレビでもほとんど聴けなくなりました。(特に独創アコーディオンは皆無です)アコーディオンの弾き手を、次の世代に育てる仕事だけでも、私のこれからの仕事になるのかも知れないと思うのです。外国ではいっぱいいるのに、日本だけが、戦後のアメリカ文化流入によって「絶滅危惧種」になってしまったこの現実、ここにも日本の歴史的現実的な姿と日本人の特性が隠されているような気がしています。
朝市に来るたくさんのお客さんから、選ばれたように、いい「おじ様」たちに接し、何か新鮮な人間性のようなものを感じて、いい刺激になりました。こんな体験ができるのもライブ活動の醍醐味なのかも知れません。こんな想いは全国の「旅館」の同志にも分けてあげたい気分ですが、音楽をすることの楽しさがこんな所にもあるのです。
快い疲れと汗を残しながら、次の活動場所の「フリマ」へと急いで出発したのですが、心の中が何か満たされた気分になっていたのでした。
今日出会った「おじ様」たちの中に、前に会って、「今度名刺ください」と言っていた人がいて、私も「また会いたいな」と思っていたその「おじ様」に、名刺を渡すことができたのも嬉しさの証拠かも知れません。
仙台の東の海岸線に沿って走る海岸道路を仙台港に向かって走る私の胸に、今日で会った素敵な「おじ様」たちの姿が、何故かいつまでも心に残っているのでした。