W/C「日本カメルーン戦」勝利に人生のノウハウの全てが見える | アカデミー主宰のブログ

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 昨夜日本中を熱狂の渦に巻き込んだワールドカップ、日本対カメルーン戦は、様々なことを私たちに教えてくれているような気がします。
 深夜の遅い時間にも関わらず、多くの日本国民、サッカーファンが熱狂の渦に酔いしれました。こんなことってなかなかないことです。オリンピックの時も、浅田真央の時、熱狂したけど2位、やっぱり勝利したのとは全く違いました。深夜にも関わらず、物凄い人々が熱狂し、全国各地で狂喜乱舞となりました。
 この勝利がどんな意味をもつものか、スポーツの観点だけではなく、私は、今の日本人が忘れかけているもの、過去の遠き時代に置き忘れてきてしまった何かを感じてしまうのです。
そして、その中に人生の生き方の、決してそれてはならないもの、はずしてはならない重要なポイントが隠されているような気がしてならないのです。

 順不同になりますが、思いつくまま箇条書き的に書いていきます。

1 鮮やかなカウンター攻撃・・・どんなに強い相手でも必ず隙はあるものです。耐えて耐えて、守りに守って、一瞬の隙をついてのカウンター攻撃で、勝利することができたのです。1点でも勝利は勝利、勝つことの意味はどういうことか?どんな難しい課題でも、「牛歩の歩み」で進める、「積み上げる」、「継続は力なり」、ある日、大きな課題を達成していることを知ることができるのです。
 勝利は一瞬の隙にあるということです。どんな強い相手でも勝利へのノウハウは、必ずあるということです。どんな難しい課題でも、達成していくノウハウは、必ずあるということなのです。

2 「勝つこと」でしかみんなが一つになることはできないのです。そのことを知る必要があります。「勝つこと」で日本中が熱く燃える、一丸になって盛り上がることができるのです。一点差で勝利したこと、勝利は勝利、それも今までできなかった歴史的勝利なのです。これだけで日本全土が、国民が熱く盛り上がることができる、一丸になることができるのです。これは本当に素晴らしいことです。「勝利」の本当の意味はここにあるのです。
 生き方においても、目標を高く設定すること。その高い課題を達成することでしか、本当の喜びを感じることはできないのです。「二番でいいや、一番じゃなくとも」という「思想」からは、この本当の喜びは生まれないからです。何しろ勝ち負けは、紙一重なのです。「二番でのいいや」という「思想」からでは、こんなに微妙に競り合っている紙一重の空間を、「勝利」に向かって突破できないからです。紙一重は、一瞬の隙をついた1点なのですから。

3 「勝つ」と思わなければ勝つことはできない。最初から「2番でいい、負けてもいい、負けれかも知れない」という考えからは、「意欲の喚起」も含めて、「勝利」は見えてこないのです。
まずは自分が、勝利しようと思うことから始める。マインドコントロールでもよいから、自分に「確信する」ことが重要になるのです。最初から「負けるかも知れない」という考えが少しでもあれば、絶対に勝つことができないのです。ステージでも「間違うかも知れない」と思っていると、これまで練習では99%大丈夫だったのに、本番では1%の間違いが出てしまうのです。必ずそうなるのです。不思議です。恐ろしいことですが本当のことなのです。

4 「2番じゃダメ、1番じゃなきゃ」という「思想」は、勝利するための絶対的な必要条件なのです。本当に1番になる気持ちで何事も取り組むことなしに、「世の中を変えたり」、「先頭に立つこと」「全く新しい作品を創造する」ことなど、できないのは言うまでもないことなのです。生き方の中での課題達成も全くその通りなのです。

 日本国民は、戦後の民主教育の中で、悪い意味での平等意識から、お互いの足を引っ張り合い、高次元の課題で一つになることができなくなってしまいました。私の育った時代の最初の段階は、非常に目標達成への熱い息吹がありましたが、この数十年ではないでしょうか、日本経済発展の歩調の遅滞と深く関係しているような気がしています。「平等」を全ての局面に押しつけてしまい、個性や才能の伸長を押しとどめ、高い目標達成、世界の「最高レベル」まで押し上げようとする徹底的な教育活動が、おろそかにされてしまったのです。「1番を目指す」より、「みんなができるようになる教育」が好まれ、高い目標を達成しなくてもいいという安易な雰囲気が、社会に蔓延することになり、今日に至っているのです。
 私は、今ここで民主教育を否定するつもりは全くないのですが、本当に、国民が熱い想いで一つになること、盛り上がることは久しくなかった、ということを今回のことでとても深く感じさせられたのでした。「たかが1点、されど1点」、1点にはこんな大きな意味があったのです。それが、1点差でも「勝利」ということの中に隠されていることを、改めて知ることができるのです。
 誰でも達成できる低次元の課題ではなく、高い次元の目標達成でしか、本当に多くの人の心を一つにすることはできないのです。「1点の勝利」は、本当にミリ単位の隙間の中を通すほどの困難の中で勝ち取った「勝利」だったということができるのではないでしょうか。  
 だからこそ、日本列島を揺さぶるような熱い想いが、人々の心の中を駆け抜けるこができたのではないでしょうか?
 私は、岡田ジャパンが勝ち取ったこの「勝利」から、本当に今の日本人が忘れてしまって、どこかに置いてきてしまった人生の、生き方の「バイブル」を確信をもって受け止めることができるのです。
本当に、岡田ジャパンは、私たちが忘れかけていた、本当の日本人の「素晴らしさ」、「勇気」、「たくましさ」、「凄さ」、それはとりも直さず「大和魂」なのですが、それを全国の人々に、感動的に伝えてくれたのだと思うのです。だから人々は、嬉しさの中で、「感謝」や「感激」や「ありがとう」の言葉を、口々に素直に呼びかけ合うことができたのだと思うのです。
 本当に素晴らしいこの「ドラマ」を見せてくれた、若き日本の「サムライ」たちに、私は、精いっぱいの想いをこめて、「次の嶺」(オランダ戦)突破への熱いエールを送りたいと思うのです。「できないことはない。必ず勝てる隙間はあるはず」だと・・・。「がんばれ日本!」「日本の全ての人々の想いをのせて世界にはばたけ!必ず勝てることを確信して!」