私もあんな生き方ができたらな?とか呆れた感じです。「放りだし」「次期選挙に出馬せず」、これでこれまで爪のかけらでも信じていたことが、完全に崩壊してしまいました。
政治家としての資質もない、「ぬけがら」だとわかったのです。それでもいいから、総理になった以上、「世の中にちゃんと仕事して責任をとれ」「仕事をしてからやめろ」と言いたいです。
単なる「おぼっちゃま」、「マリオネット」で、「信条」「決断力」はおろか「人間的な思考」さえもありません。「宇宙人」と呼ばれる所以ですね。やはり生活環境なのですね。庶民感覚には程遠いのですね。幸夫人と「総理ごっこ」をして戯れていたに過ぎないのですね。
でも今は、もう次へと情勢は展開しています。もう過去の人です。あまりにも国民が幻想を抱かせられましたね。全くの凡人、金持ちの御曹司、政治家としての信条も決断力もない、抽象的な「友愛」精神のロマンチストだったのですね。
政治家としての最低の義務と責任のかけらもなかったのです。やめれば済むものではない。次期選挙に立候補をやめたから済むものではない。
国民や取り分け沖縄の人たちをどこまで侮辱すればいいのか、いやそれもわからないのかも知れない。
「国民が聞く耳を持たない」どころか、自分が国民の声が聞こえないだけのことなのです。
何たるこのざま、何たるこの日本の政治状況、単なる幼稚なバカ者だったのですね。
日本国民はこんな人を総理にしたのかと情けなくなってしましました。要するに、放り出しても痛くない、御曹司の「おぼっちゃま」、国民の声が聞こえない「耳ツンボ」だったのですね。情けなくて仕方ないです。
私はそうは絶対なりたくないからがんばるのです。額に汗してがんばっている国民と一緒に歩いていきたいから、どんなことがあっても生きるのです。「放り出したり」「次期出馬しない」と言って政治的に「自殺」するわけにはいかないのです。前に進むのです。進むしかないからです。放り出すことはできないからです。
私は、こんな情けない日々の中でも、落ち込まないで、前に向かって「音楽」で新しい世界を探していきたいと思うのです。
国民の怒りを通り越した絶望の中でも、国民の願いをきちんと受け止めて、それを「音楽」で表現していくことを止めるわけにはいかないのです。
退職して、自分で歩き始め、最近やっとそのことがわかってきました。
私は、あの人のようにはならない。それが「最低でも県外」と言って、国民とりわけ沖縄県民を結果的に「騙した」人への、今できる私の最低限の「抗議」「主張」そして「返答」なのです。