この1年の歩みと健康志向への取り組み・・私のノウハウ・その2「運動1」 | アカデミー主宰のブログ

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 脳梗塞回復のリハビリのために取り組んだことは、まず、脳の活性化のため「音楽」です。音楽の力は無限大です。「歌の力は無限大」とも言われます。それほど音楽は脳を様々に活性化させることができることが分かってきました。今では前より身体が動くようになったような気がしています。
 食生活の改善なのか、十分な睡眠のためなのか、やっぱりストレスがなくなったことか、前より疲れなくなったような気がしています。
 やっぱりストレスが元凶だったような気がしています。元々タフだった私が、仕事や人兼関係のストレスの中で、酒に依存してしまった結果、食生活の暴飲暴食も伴って、脳梗塞という恐ろしい結果に至ってしまったのです。危なく命を落とす所でした。

 リハビリを始めて、まずは食生活の改善でしたし、ストレスは仕事を続けていましたのでまだまだ大変でした。しかし、それから3年ほど仕事に打ち込みましたが、様々な状況判断の結果、定年には至っていなかったけれど、思い切って退職を決意し、昨年3月退職しました。
 今は、丸1年が経過しましたが、どう変わったかと言えば、ストレスが全くなくなったこと、十分な睡眠がとれるようになったこと、精神的に自由になり、のびのびとした生活を送れるようになったことがまずあげられます。一番変ったことは、あまり疲れなくなったことかな、と今実感しています。
だからと言って気ままな生活かと言えば、そうではなく前よりも規則的な生活になったような気がします。自律的な生活というか、毎日の課題を明らかにして取り組んでいくこと、経済的には前とは違い厳しくなったことは事実です。しかし、今ある音楽の仕事は、前の仕事より主体的に意欲的に取り組むことができるようになったように思います。
 何よりも進んで楽しく、前向きに仕事に取り組めるようになったことです。退職前の自分と随分変わったなという実感があります。

 さて本題の「運動」に入っていきますが、これまでの経過についても振り返ってみます。健康づくりには運動が欠かせないことは誰でも知っていることです。昨年3月退職して、思えばこの1年間いろいろな課題に取り組んできました。
 まず4月~6月頃は、近場の旅行に出かけました。宮城、福島、山形あたりにそれまでやれなかった音楽の取材活動に取り組みました。
 その頃には、前からお誘いがあった音楽の仕事(歌の教室)を6月頃から始めることになりました。2 週に1回のペースでの指導でしたのでハードな感じはしませんでした。
 5月末頃、前から興味があったミシンを使って、「黒猫褌工房」を始めました。工業用ミシンとロックミシンが2台ありましたが、この際ミシン屋さんに勧められてコンピュータミシンを購入しました。高価なものでしたが今ではこれが大正解でした。
 1年間試行錯誤を重ねながら、膨大な量の「黒猫見本」を作ってきました。今のような「黒猫」に定着したのは、HPが完成した11月頃だと思います。
 6月頃は、手頃な釣り舟を購入し、蒲生海岸の七北田川に係留桟橋を作り、蒲生海岸や貞山運河の調査に取り組んでいました。船を持つのは初めてなので、いろいろなことを勉強しました。ある意味で新鮮でした。海辺や川で漁をする人々の生活を知り、世界が広がったような気がしました。貝を採る鋤簾(じょれん)や投網(とあみ)を購入したのもこの頃、使えるように、採り方の練習をしていました。
暑い夏の頃から、初めてHPの作成に取り組み始めました。どうせやるなら最高のソフトでということで、アドビの「ドリームウィーバー」を購入し、学習ソフトも購入して取り組みましたが、やはり専門外で「頓挫」してしまいました。結果は、簡単な「ホームページビルダー」で作成することにしました。
新しい音楽の仕事(ライブハウスかカルチャー教室)を模索し始めていましたが、なかなか実現できませんでした。
 秋からは、それまで2週に1回のペースに加え、「アコーディオン教室」の指導が加わり、これまでの歌の指導に加え、毎週1回のペースになっていきました。週1での「教室」は全然きつい感じはしないで、むしろ楽しい感じでした。
11月頃、新しい仕事の模索と同時に「黒猫工房」のHP化をしましたが、HPはやはり自分だけでは無理で、友達の協力によって何とか公開することができました。
新しい仕事の模索は、「ライブハウス等」の具体化なのだけれど、物件の模索が迂余曲折し、11月にはもう少しの所で実現化する所までいったけれど、ある理由で立ち切れになってしまい今日に至っています。
まだ物件探しの段階ですが、様々な条件を考慮して、実現に向けて取り組んでいる最中なのです。
そんなこんなのこの1年、1月頃からふとしたことでスイミングを始めることになったのです。そのきっかけは、マッサージを止めたことでした。それまで過去3年位、週1のペースでマッサージを受けていたのです。リハビリの効果もありましたし、職業柄、肩こりや肩甲骨のあたりが痛むので、友達がマッサージ店を開業したこともありずっと通っていました。
 ところが1月頃から、それまでのマッサージ料金が倍に値上がりすることになり、たまたまスイミングを見つけたのです。
 1月からスイミングに通うようになって段々肩こりも取れてきました。初めの頃は、本当に息切れが激しく、プールの片道もやっとでした。週3~4回のペースで、現在5カ月が経過しましたが、それまで痛くて上がらなかった腕が、軽々と上がるようになりました。
水中歩行から始めてきましたが、今では何往復しても大丈夫、息切れしなくなりました。今のメニューは、水中歩行を5往復、平泳ぎ5往復、自由形5往復、その他5往復程度で1回約800メートル~1キロの課題を、無理しないでできるようになりました。
 でもあまりハードにはしないようにしています。体がちゃんと知っていて、多いと後から疲れが出てくるからです。
 私は、高校時代、水泳部に所属し選手でしたから、大会に出場し、何千メートルと泳いでいましたが、30年ぶりに始めた水泳は大変でした。本当に最初は、片道だけでも息が苦しくなりました。それでも「昔とった杵柄(きねづか)」というか、段々取り戻してきました。何よりもフォームを体で覚えていたことです。私は、ハードに速く泳ぐことより、きれいなフォームを心がけてきました。今では、周りの人からもほめられるようなフォームで泳げるようになりました。
 ブレスト(平泳ぎ)が学生時代の専門でしたら、これはすぐに思い出し感覚も戻りました。自由形は、最初はなかなか腕が伸びず大変でしたが、今ではストロークも十分伸びるようになりました。
水中歩行は、健康づくりにとって非常に重要です。水に入るとすごい水圧がかかり、浮力で体重が地上の10分の1ほどになります。(半身で2分の1、胸までで3分の1、全身で10分の1)水中運動療法という言葉もあります。これが足腰に非常にいいのです。水中で自由に足腰を動かし歩行をすること、これがスイミングの基本なのです。これだけ30分程度するだけで健康には十分です。それだけするために来る人々もいます。
 だから私は最初は、必ず水中歩行を5往復するのです。あとはゆっくり好きな水泳を、フォームをきれいに心がけて泳ぐこと、あまり急いで泳がないこと、合計1時間程度で上がることにしています。その後は、サウナと風呂に入り体を温めます。とても気持ちいいです。
 もう5ケ月もそうやって続いているのです。本当に前より疲れなくなった気がしています。
スイミングに通うのが嫌にはならないのはなぜか?私は水泳が元々好きなのかも知れないと思うのです。小さいころから、遠くのプールに通ったこともありますし、高校時代は水泳部に入り、毎日泳いでいたこともその表れではないかと思うからです。
「好きこそものの上手なれ」と言いますが、私の「音楽」もそうかも知れません。
好きなことは本当に上達が早いものです。知らずしらず上達していくから不思議です。