大正ロマン漂う木造多層建築の「絶景」・・山形・銀山温泉 | アカデミー主宰のブログ

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 奥羽山脈・緑の大回廊のぐるり旅の途中で、芭蕉一行が立ち寄った尾花沢から、さらに山深く入った所にある銀山温泉を訪れた。
途中の田園は、5月の新緑の季節、現在は田植えの真最中で、水を張った鏡の田んぼに、細い緑の苗が一面に植えられていた。
 農道には所々にトラックやトラクターのような農業機械が道路に申し訳なさそうにギリギリに寄せられ置かれていた。
 温泉の旅館群(温泉街とは言い難い)は、長閑な田園風景の中の、その奥の突き当たった山間の渓谷に、ひっそりと岩山に寄り添うように佇んでいた。温泉の渓谷には川が流れ、その川と岩山の斜面のわずかな空間に、11数軒の旅館と6軒のお店、お土産屋、8軒の食堂、喫茶店、3か所の共同浴場だけが斜面にギリギリに並んで立っている。民家だけはない。これが建築物の全てである。突き当たりは「白銀の滝(しろがね)」がありその先にはいけない。本当にぎりぎりの狭い空間の中にこれだけの建物が並んでいた。渓谷には川が流れている。もともと道路はなかったようである。だから道路は、歩くだけの道路として、川側に丁度軒を突き出すように構築物として作られているのだ。向かい側には、いくつかの場所で(メインの白銀橋の他8本の橋)橋のように結ばれており、その歩道のわきには小さな机といすが並べられ、あらかもお郊外のカフェのような様相さえ呈している。橋の感覚は約数十メートルか?まさに人間が造った、レトロなミニュチュア温泉街といったところである。
 それ故、車は、温泉宿まではとても入れず、皆、ずっと前の温泉宿のある渓谷入口前あたりに置いていく。旅館専用の駐車場が、温泉入口手前あたりに幾つも並んでいた。
 温泉の宿は、この一帯のわずか11軒の旅館のみ、ほとんどが木造多層構造になっており、大正時代に建てられたような古い景観で、木造の細工が至る所に見られる、まさに日本の木造建築の粋を集めた珍しい多層構造建物の「絶景」を呈しているように思われた。
 果たしてどれだけの職人が、男たちが、こんな見事な建物を造ったのだろう。どれだけ多くの人々が汗水流してここまで築いたのだろう。山奥に数軒の民家しかなかった「おしん」のようなふるさとに、ある日突然お湯が湧き出し、どれだけの時間をかけて、今のような山間の温泉宿になったのだろう。どんな素敵な技をもった男たちが、方々から集まり、細工に磨きをかけ、猛り狂う竿やふぐりをぶら下げながらがんばったことだろう。男や女たちの様々な人間ドラマもあったことだろう。そんな遠い時代のことを思いやっていた。
 一度でいいからタイムスリップして、そんな男たちに出会ってみたいものだ。心ときめくような眼差しと技をもった男たちに出会えるような気がしてならない。銀山温泉の風景の中にそんなことを感じていた。
 温泉は硫黄泉のような気がしたが、あまり匂いはしなかった。以前に入ったことがあり、共同浴場は、熱いけれど、湯上りの気持ちよさでは絶品の温泉であった。
 車で温泉の宿辺りまでは、入っていけないのはわかっていたが、無理して入口付近の「白銀橋(しろがねばし)」辺りに、かろうじて停め、歩いてみた。
 川の両側に突き出た構築物の道路を歩きながら、向かい側の建物を眺めていた。一つ一つの建物が、それぞれ独自性があり、芸術的ともいえる見事な景観を見せていた。
ああ、これがあの大正ロマンの宿、見上げれば、そんな狭い空間に木造の3階建てや4階建ての旅館になっている。
 見事な造りである。そして、入口あたりには、どの旅館にも細工が施されていた。
 おそらく全盛期のころに、宮大工レベルの職人が腕によりをかけて造ったと思われる。曲がったような木の細工が各所にみられた。
 夜ともなれば温泉街は、さぞかしレトロな雰囲気を醸し出すことだろう、そんなことを考えながら片っ端からカメラのシャッターをきっていた。
 ウィークデイの午後だったので、そんなに混んでいる様子はなかったが、週末や繁忙期は、「山間の秘湯」として遠くからたくさんの客を迎えることだろう、そんな雰囲気を漂わせていた。
 歩く歩道には、手すりやランタンなど、細部にわたって細工があり、店の前の川側には「足湯」もあって、段々畑のように木造の細工で造られていた。
 ほんのわずかなこの空間の温泉、温泉の奥は、滝で行き止まりになっている、盲腸線のようなこの銀山温泉、昔からどれだけ多くの人々が癒しを求め訪れたことだろう。
 奥羽山脈の緑の懐(ふところ)にひっそりと抱かれて、佇んでいるのだった。