「五月雨の絶景」・最上川と日本有数のそば処・山形そば街道をゆく | アカデミー主宰のブログ

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 俳人松尾芭蕉の「おくの細道」は、学生時代に読んだ程度で、いくつかの有名な場面しか知識になかった。今まで松島、平泉、山寺等の場面に、芭蕉のイメージを凝縮させていた感じがあったが、今回、山形路を旅して、「おくの細道」の奥深さや芭蕉の残した足跡について改めて考えさせられた。
宮城・松島から石巻・登米を経て、岩手、平泉へと北上した芭蕉一行は、一関から宮城の岩出山、鳴子を経て、山形、尾花沢に入り、「絶景」山寺へと向かうのである。さらに、村山、大石田から新庄、最上川を経て、羽黒山、湯殿山、そして酒田、象潟(きさがた)まで足を伸ばしている。
 そこから折り返して、北陸路を海岸線沿いに福井の永平寺まで辿ることになるのであるが、この宮城から山形への旅路では、特に山形路において多くの足跡を残しているのが分かった。
 私は、芭蕉の足跡は、今まで宮城を中心とした視点しかもっていなかったが、山形では、芭蕉はまた違った観点で評価されているのではないかと思うようになった。
 村山市には、「芭蕉の歴史記念館」があるし、時折目にする「芭蕉のふるさと」などの表示でもわかるように、山形の人たちは、芭蕉の山形での足跡を大きく評価しているように思われる。宮城の印象とはまた違った感じがするのである。

 夏のような暑さの中を、「奥羽山脈・緑の大回廊ぐるり旅」に大急ぎで出かけた私は、山形道から国道13号線を北上し、芭蕉の「最上川」に向かっていた。
 マジに最上川を見たことがないような気がしたし、「五月雨を・・」の句が浮かんだけれど、「実物」に接していなかったように思えたからであった。
 さらに山形は、全国有数のそば処、山形のそばは宮城とは全然違う。前に一度食べて忘れられないそばの味を思い出したが、それに再び出会うことをいつしか目指していた。
国道13号線から大きく西へ入った村山市の大石田、次年子(じねんこ)というところ、国道から山の中へ入ること30分、どこまで行っても美しい五月の新緑が広がっていた。所々に山菜直売の看板も見える。この山深い一本道、村山から大石田を経て最上川に沿った地域、この辺りが、いわゆる山形の「そば街道」なのである。いくつかのそば屋が車窓から通り過ぎて行った。
 ほとんど人家のない小高い丘の上に一軒の農家のような建物が見えてきた。そこが絶品のそば処「七兵衛そば」である。前にそば好きの友と初めて食べてその味が忘れられなくなっていた。メニューは一品だけ(温かいのと冷たいのはあるが)、9割そばのおいしさを味わうことができた。薬味としてのねぎは皿いっぱい、付け合わせは、きくらげ、わらびのおひたし、わらびの煮物、これだけでたくさんである。都会での商売ではないなと感じていた。何とそばは、どんぶりお椀で出され食べ放題であった。どんぶりいっぱい、おおきな器にいっぱい盛られていた。一番食べた人は、何杯食べたか尋ねると、12杯という答えが返ってきた。必死になって食べるが、気持ちばかりが焦ってすぐ満腹になってしまった。「大食い女王」のことが頭に浮かんだけれど、本当に食べられるものではない。それでも何とか3杯を平らげることができた。もう食べられない、本当に満腹になってしまった。
 正午に仙台を出発して、昼食もとらず腹をすかしてきたのに・・・。さらに結構「食べるの好き人間」の私なのに、本当に参ってしまった。この9割そば食べ放題、いろいろ付け合わせがあり、これで1050円であった。これが利益度外としか思われない「山形そば街道」の一郭、「七兵衛そば」であった。
昔の茅葺屋根を改造した農家風の頑丈な作りの大広間で食べるそばの食べ放題、こんな山の中なのに、昼食時や土日は遠くから客がやってくるという。前に仙台の友達が教えてくれた位だから、相当「そば通」には広がっているように思われた。
 山形は日本有数のそば処、本当においしいそばがあるものだという実感に包まれていた。山形はその他でも「食の宝庫」かも知れない。宮城には何でもあると思っていたが、山形こそ素晴らしいと思うようになっていた。そばの他にも漬物や野菜、果物がおいしい。山形の漬物は絶品である。
 最上川近くの東根辺りは、さくらんぼやりんごの産地、尾花沢はすいかの名産地、南に下った赤湯あたりはぶどうの産地、ワインも有名である。また、山形は何と言っても「紅花」(べにばな)の産地でもある。最近は「紅花の宿」の歌が大ヒットしてカラオケ仲間では話題になっていた。
 さらに山形米はブランド米として全国に通用している。山形牛もある。何でもあるのが山形かも知れない。山形は「食の宝庫」ということができる。宮城よりも凄いような気がしてきた。宮城を自慢げに思っていた自分が浅はかであった。

 さて、「七兵衛そば」から村山に舞い戻り、最上川を見たくなった。まだリアルには見たことがなかったからだ。村山には「芭蕉の歴史記念館」があるという。今度は必ず来たい。今回は時間が許さなかったのでパスすることにした。

 最上川は、村山の緑の田園を豊かに流れていた。水を川幅いっぱいにたたえて、すごい川だと思われた。日本三大急流の一つだというが、まだ「舟下り」は体験したことがない。

「五月雨をあつめて早し最上川」は、代表的な芭蕉の句である。
 芭蕉は舟下りでの途中で、水面視線でこの句を詠んだのではないか?「あつめて早し」の視点は、水面視線でしか詠めないのではないか?芭蕉のこの一句に凝縮された実感は、舟下りを体験することでしか実感することができないのではないかと、私はその時、豊かな最上川の流れの中に感じていた。
 さらに、今は5月、芭蕉の実感は、旧暦の「五月雨」だから6月から7月の梅雨の時期、その時期にこそ、今から約320年余年前に芭蕉の体験した実感をリアルに感じてみたいと思わすにはいられなかった。
水面視線からの瞬間を捉えた芭蕉の鋭い感性が、この句にも燦然と輝いているように思われた。
 基点橋(きてんきょう)たもとには、船着場があった。ここから舟下りに出ることができる。
 芭蕉は、もっと下流の新庄市の古口(ふるくち)というところから乗船したという、今度こそ「芭蕉の乗った時期に」、ゆっくり時間をかけて体験してみたいものである。最上川の舟下りが、私の中で大きく膨らんでいった。
「芭蕉体験」は私の中でまだ終わってはいないのである。今度再びまた来たいと心に誓っている私だった。

 まだまだ観たいところがいっぱいあったが、時間に押し出されるように、次のポイントに向かって出発していた。
 「芭蕉」の最上川は、平野の中に点在する村山地方の集落や「芭蕉の歴史記念館」に寄り添うように、庄内平野のど真ん中をまるで山形の「主役」のように堂々と豊かに流れていた。