大人の休日倶楽部、最終日の旅物語は、春日八郎の故郷、会津坂下町の記念館へ | アカデミー主宰のブログ

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    大人の休日倶楽部いよいよ最終日です。 5日間の日程の中で、毎日様々な場所に移動しながら、旅物語を重ねてきました。

  最終日は、今まで行けなかった記念館や楽曲にまつわる楽曲誕生の場所などをめぐることにしました。

 

   まずは福島市にある古関裕而記念館、それに鏡石町にある楽曲、「牧場の朝」の発祥のモデル岩瀬牧場を候補あげましたが、実際に行く気になれば、高速を飛ばして、車でも行けることがわかったので、1番遠くの車では、なかなか行けない場所を目指すことにしました。

   最後に候補に上がったのが、会津坂下町にある春日八郎記念館でした。兼ねてから行こうと思っていたのですが、今回またないチャンスだと思いました。

   朝早くから準備をして、弁当も全て自分で作って、 9時前に出発することができました。9時23分のやまびこに乗ることができましたqた。郡山で下車し、そこから磐越西線に乗り換え、会津若松でさらにさらに只見線に乗り換えて行くのです。

   地方に行く場合には、乗り換え駅での待ち時間が結構あることのわかりました。

最終的に会津坂下町に到着したのが、既に昼も回って午後13時半を過ぎていました。

   昨日は、福島地方はもものすごい猛暑で、会津盆地もうだるような暑さでした。会津坂下町と言う小さな駅に降り立ったのですが、記念館までの道のりは、移動手段がなかったので、最終的にタクシーを使っていくことができました。

   それこそ地方の田舎の風景、田んぼの真ん中にあるような小さなこんもりとした建物が春日八郎の記念館になっていました。

   こんもりとした樹木も何本かあって、建物の近くには歌碑も立っていました。近くの小さな木造の建物が春日八郎の記念館になっていましたが、お世辞にも立派と言えるものでなく、ほんの小さな民家を改造したような展示室があるだけでした。

   昭和歌謡史上に燦然と輝く、春日八郎の名曲の数々、それに様々な展示物が館内にはありましたが、調度品の数々も、申し訳程度に並べられていたようで、直筆のの楽譜の数々も、もったいないような感じで陳列されていたのが印象的でした。

   他の有名な作曲家や歌手の郷土資料館などを見てきた私にとっては、あまりも意外な光景でした。昭和歌謡史上に燦然と輝く実績から見れば、あまりにもお粗末な感じがしたのは私だけでしょうか。

   それでも館内には、春日八郎の楽曲が流れ、改めて春日八郎の歌唱力の素晴らしさを感じることができました。このままでは春日八郎の名曲の数々は時代から消え去っていく事は、誰の目にも明らかでした。レコーディングした収録曲は、私の知らない曲も含めて何百曲、何千曲もあると言うことがわかり、その素晴らしさを伝えることなしには、昭和歌謡を歌いつぐことができないと感じることができました。

  管理人のおばさんがいらっしゃったので、談笑しながら、陳列さていたアコーディオンを弾かせていただいて、何曲か春日の歌を演奏しました。そのアコーディオンは、春日八郎のバックで演奏していたプロの方の形見の品で、その方が亡くなったので春日記念館に寄贈したと言うことでした。長いこと置きっぱなしにされていたためか、カビの匂いがすごかったのですが、空気を通して演奏してみると、なかなかすばらしいオーディオでであると言う事は、すぐにわかりました。

   このままではこのアコーディオンはダメになってしまうと思い、その管理人にこのままにしておくのかどうかを尋ねていました。その方はアコーディオンを寄贈してくれた亡くなった方の奥さんに電話してくれましたが、アコーディオンは、このままにしておいてはもったいないと言うことを、くどいように話して帰ってきました。

   春日八郎の素晴らしい楽曲の数々、昭和歌謡史上に残した燦然と輝く実績から見れば、なんと春日八郎の歌の素晴らしさを周りの人たちが理解してないことかと、非常にそのもったいなさを感じて帰ってきました。

   帰りもタクシーを呼んでもらい、今度はタクシーで役場まで出かけていきました。会津坂下町の役場に到着し、なんとも昭和の漂う役場庁舎の中で、担当者の方に春日八郎の歌の素晴らしさと、その歌の財産を使っての町おこしの必要性について話してきました。

   役場の職員の方も、皆さん若い方々ばかりで昭和歌謡について理解のある方が果たしてどれだけいるのか疑問でしたが、町としては少しはイベントのでは取り入れているようでしたが、「フランク永井歌コンクール」の実際や、「影を慕いて全国コンクール」などの例を話しながら、春日八郎に関する町おこしの全国的な取り組みの必要性を熱く語ってきました。

   このままでは春日八郎の何千曲もの歌が消えていく運命にあることを実感しなから、何とかこの昭和歌謡を、次の時代に歌い継いでいくことの緊急課題を感じて帰ってきました。

    それにしても記念館で聞いた春日節は、ほんとに素晴らしいもので、珠玉の名曲の数々があることを改めて知ることができました。

   帰りはものすごい猛暑の中を歩き通し、駅での待ち合わせの時間に耐えながら、会津若松まで戻ってきました。さらに会津若松での時間の調整が間違って、なんと会津若松発は19時の列車で郡山に戻って来くることになったのです。

   会津若松市、会津盆地の数々の街は、本当に面積が広く、様々な地方があると言うことがわかりました。

   会津地方には、会津若松ばかりでなく、様々なまだまだ私たちの知らないことがたくさんあると言うことがわかり、これからも機会があったら再び訪ねてみたいと思いました。

 

   郡山で新幹線を乗り継ぎ、仙台に戻ってきたのは21時30分頃になっていましたが、今日1日あった出来事を振り返りながら、心の中は充実した満ち足りた気分に浸っていました。

 

   こうして大人の休日倶楽部、5日間の日程を全て制覇することができました。北海道から東京、そして会津地方と目まぐるしく動いた5日間の大人の休日倶楽部の旅物語は、こうして様々な成果と課題を残しながら、終了することができました。

  行く土地や場所で出会ったたくさんの人々、地方の風物なども改めて素晴らしい思い出として残ることができると思うと、本当に旅に出て良かったと思いました。

  春日八郎の燦然と輝く昭和歌謡の数々を、次の時代につなぎながら、人々の中にこの素晴らしい楽曲の数々を、町おこしも含めた人々の新しい時代への大きなうねりの中に、生かしていきたいと心から強く思っていました。