近代日本百年の絶景、その7、「河津桜と『河津桜まつり』を訪ねて」 | アカデミー主宰のブログ

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菜の花と 春爛漫の 並木道 

        河津の光 色鮮やかに

幾千の 花見の群れの 賑わいに

        屋台の声の 笑顔美し

駅ホーム 並び切れない 混雑に

        年に一度の 春の嬉しさ 

           

228日、まだ3月の声も聞いていないのに、伊豆は桜の満開という噂を耳にして、さっそく出かけていくことにした。

東京駅で、伊豆急に乗り換えるのは、ホームを移動しなければならない。かなりの移動時間が掛かると思われたので、上野駅から京浜東北線で、横浜まで行き、横浜で伊豆急に乗り換える予定であった。違った国電に乗るのも、また気分が違うもので、京浜東北線のブルーの電車で、横浜までやってきた。そこで伊豆急の特急踊り子号に乗り換えようと考えていたが、全席指定ということが分かり、指定券をとっていなかった私は、乗り継ぎの伊豆急に乗ることが出来なかった。

仕方なしに。ホームを降りて、下のビュープラザで並んで指定券を取ろうとしたが、伊豆急の踊り子号は、指定券は、どの列車も全席満席で無理、丁度自由席のある踊り子号があったので、自由席に盛り込み事にした。

でもやって来た踊り子号は、まるで通勤電車並みの混雑で、立ち席もままならないほど、すし詰めの状態で、伊豆に向かうことになったのである。

伊豆は桜が満開という情報は、すでに都内には流れており、たくさんの花見客が押し寄せている状況であった。

伊豆急の踊り子号のすし詰め列車は、熱海で、伊豆長岡の修禅寺行きと切り離され、下田行きは伊豆半島の東海岸を進んで行った。それでも何とか、満員電車で、河津駅まで辿り着くことが出来た。

上野出発が8時過ぎであったが、乗り継いで、河津到着が、何と11時半頃になっていた。

伊豆の河津駅には、多くの花見客が降り立ち、身動きできない状況であった。

それでも伊豆は、とても暖かかで、気持ちよい空気が流れていた。

太平洋に注ぐ河津川の堤防の両側に、何キロにも渡って延々と桜並木が並んでいた。河津駅から、河津川までの程ない距離の両側には、並んでお土産物を売る屋台が、どこまでも続いていた。桜並木を右手に見ながら、左側に屋台の並んだ店を眺め、歩きながら、私は、川沿いの桜並木の鑑賞に出掛けて行った。

物凄い人混みで、屋台で売っている物にも気になりながら歩いていく。

桜並木は、現在満開の状態で、ピンクがかった桜の花に、これまた満開の菜の花の黄色い色が、鮮やかなコントラストを醸し出していた。

途中で猿回しのステージを見学して、猿の妙技の素晴らしさに驚いていた。カメラ持参なので、片っ端からシャッターを切っていた。それほど素晴らしい満開の桜並木が、堤防沿いにどこまでも連なっていたのである。

もう少しで河口という所に、県道が走っていた。そこは橋になっていたが、その県道を行けば、南端の下田に繋がっているようで、案内標識がそのことを示していた。

丁度、昼時になっていた。屋台はどこも満席、丁度橋まで来た所に、ファミマがあったので、そこで食材を買い込み、中のイートインコーナーで食べることにした。

今時、ブームになっているイートインコーナー、コンビニでは、そこで購入したものを、そのコーナーで食べることが出来るようになっていた。

タイムリーに食材を購入し、インスタントのトン汁も食べることが出来たし、サラダ類を購入し、バランス栄養食を頂くことが出来た。最後は、ひき立てのコーヒーを飲んで、ゆっくり休むことが出来た。今どきは、イートインコーナーがトレンディな感じで、最近は多くのコンビニで見られる光景になっていた。

この分なら帰りの電車も混雑するであろうと思い、河津駅に到着した時に、並んで残っていた指定席をゲットしておいたが、帰りの残りの指定席は、1752発のスーパービュー踊り子号しか残っていなく、他の列車は、全て満席の状態になっていた。それでも指定席をゲット出来ただけでもラッキーと言うしかないと思われた。

遅くても仕方なくゲットした踊り子号の指定席は、1752分発であったので、時間には余裕があった。

コンビニで食事を終えて、今度は堤防沿いの桜並木を、川を見ながら逆戻りすることにした。人混みは、七夕の時のアーケードの中のようで、まだまだ人が押し寄せてきていた。  

それでも桜満開の花を愛でながら、人それぞれが楽しい時間を過ごしているように思われた。

河津駅近くまで堤防を引き返してきたが、桜並木は、川の上流に向かって、どこまでも続いているようであった。人混みはどこまでも続いていたが、川沿いの散策は、運動にもなると思い、気合を入れて歩いていた。

どこまでも屋台が続き、伊豆特産の様々な食材や特産品が販売されていた。桜並木が終わるあたりまで歩き通して、今度は、駅に向かって、引き返しながら様々な屋台の品物を見て回っていた。

結構長い距離を歩き続けたので、疲れてきていたが、まだまだ日は高く、帰りの電車まではたっぷりとした時間があった。

歩きながら、お土産のことを考えていたが、最終的には、伊豆の干物に決めることにした。試食で頂いた干物が美味しく、最終的にはこれが最高だという結論に達した。

地方発送を受けるという出店を探し出し、そこで発砲スチロール一箱分の干物を購入して、発送することにした。その他、手荷物にできる分として、シジミの干物やシソヒジキなどの海産物を購入した。全部で、結構な金額になったが、お土産物を購入して、やっとひと段落することが出来た。

まだ時間に余裕があったので、河津駅前の広場にあるモニュメントのある休憩場所で休んだり、近くのコンビニで買い物をして時間を過ごしていた。

16時を過ぎた頃から、駅は、帰りの客でごった返すようになっていた。人数が多くて、ホームに上がれないほどの混みようで、一時改札がストップされる事態にもなった。

到着した列車分だけが改札されても、人々はホームに上がれないようであった。

余りの混雑に、特急には乗れないのは間違いないので、熱海まで満員の普通電車で行き、そこから新幹線で東京に帰るという人々が多いようで、普通列車も物凄い混みようになっていた。

中には気持ちが収まらなく、駅員に怒鳴る客もいて驚いたが、結局、帰りの時間帯は、物凄い混雑の状態になっていた。駅員さんも、日頃は、こんなことはないと話していたが、駅員さんもこれだけの混雑に驚いているようであった。

幸いに1752分発のスーパービュー踊り子号は、何とか大混雑の中で、並んで乗り込む事が出来た。スーパービューという特急列車は、窓が広く最高のロケーションが見られるようであったが、帰りの夕暮れの中では、車窓の風景を楽しむことは出来なかった。

それでも素晴らしいラグジュアリーな車内は、新幹線並みで、新宿行きの踊り子号に座席指定で座ることが出来て、本当に良かったと思った。

新宿到着は、すでに20時を過ぎていたが、帰りの列車では、寛いだ時間を過ごすことが出来た。

「河津の桜まつり」は、本当に最高の人出で、それ以外の時期では考えられないということであった。

今から百年前、偶然、河津桜の原木が発見され、それが昭和30年頃、1955年頃に今の場所に植樹されたのが、段々増殖されて今のような状況になったようであった。

数十年掛かって、人の手によって育てられた河津桜の並木は、まさに近代日本百年の象徴のように、自然の風景の最高の美しさを保っているように私には思われた。

桜の開花が1月下旬からで、2月の上旬からの桜まつりは、日本では最初のものになるのではないかと思われた。ソメイヨシノの桜前線は、この後、日本列島を北上するのであるが、その1ヶ月以上も早い河津桜は、2月の末の段階で、見事なまでの満開の桜を咲かせていたのである。

日本人の自然を大切にしながら。守り育てる心が実った典型であるということが出来ると思った。

今の季節、いち早く春を感じる絶好のスポットとしての河津桜は、自然の風景の絶景とも言えるし、それを人々が品種発見から100年の歳月をかけて育て上げ、今のような桜並木に作り上げたという意味でも、近代日本百年の絶景の一つに数えあげることが出来ると思っていた。

ひと足早い春の素晴らしい桜並木の鑑賞という思わぬ体験は、私の中に、新たな自然への思いを抱かせることになったような気がしていた。

伊豆は、春まっただ中、素晴らしい南国の息吹を、全ての人々に伝えていきたいものだと心に感じていた。