(前回からの続き)
私は、そこに大きな疑問を、今まで感じていた。創造活動は、それらの身の回りの、「物理的」なプレッシャーだけでは、作品は生み出せないのではないかと。
「奇跡の14ヶ月」を創作活動に打ち込みながら、11もの作品を書き続けることが出来たのには、他の理由があるのではないかと思っていた。
恐らくそれに至るまでの一葉の人生の中で、自分と向き合いながら創作活動に打ち込む事なしには生きられなかった何かがあったのではないかと、思うようになっていた。
確かなことは分からないけれど、古賀政雄が自殺未遂をしながらも「影を慕いて」を創作したように、一葉にも人生での何かの出来事があったに違いないと思っていた。
それは人との関わりの中でしかあり得ないことだし、壮絶なまでの思い、葛藤、そして体の疼きからくる切なさとの闘いではなかったのかと、そんなことを想像していた。
だからこそ、命を削るようにしながらも、作品を書くことなしには、生き続けることが出来なかったのではないか、極貧の生活の中でも、作品を生み出さずにはいられなかったのではないかと考えるようになっていた。
そう考えると、全ての辻褄が合って、納得出来るような気がした。そして、一葉が幸せを追い求めながらも、幸せを掴むことが出来ずに、命を燃やして、燃え尽きていったのではないかと思っていた。
まさに一葉の心の中は、「炎が凍る」思いだったのではないかと、その時、その言葉に私は辿りつくことが出来のであった。
「奇跡の14か月」の中で、珠玉の作品を生み出しながら、時代を掛け抜け、燃え尽きるように24歳の若さで命を燃やしていったのではないかと思っていた。
本当に一葉の生涯は、「炎が凍る」ような、凄い世界だったのかも知れないと思っていた。
一葉の珠玉の作品群は、その意味で、天才中の天才の作品だということが出来ると思った。
まさに近代日本百年の絶景の文学の世界は、「一葉文学の世界にあり」という感じがしてならなかった。流れるような一葉文学のろう朗読を聴きながら、一葉の作品は、どれ一つをとっても、文学の世界における近代日本百年の絶景ではないかということが出来ると思うようになっていた。
江戸の情緒を残す東京の下町を歩きながら、浅草界隈まで歩き通すことが出来た。台東区の「一葉記念館」は、何と下町の中心地の浅草界隈からも、そう遠くない距離で繋がっていたのであった。
近代日本百年の絶景を文学の世界で考えるとき、私は、文句なく一葉に辿りついて大正解だと思うようになっていた。
それほど一葉の作品群の素晴らしさは、味わったものでなければ分からないのかも知れないと思っていた。
私は、明治期の近代日本の文学も、新たに学び直す必要も出てきたと思った。昔、大正期のロマン派の文学に、感動で震えながら、涙を流していた時代を思い出すけれど、それらの作品につながる前の時代の作品を、学び直す必要があることが、段々分かってきたのである。
近代日本百年の絶景を文学の世界で探していくとき、明治の創成期の中で、近代日本を夢見ながら、時代を掛け抜けるようにして燃え尽きていった一人の天才女性の文学を、再度学び直すことから始める必要があると思った。
これからも、私は、近代日本百年の絶景を探す旅を、あらゆるジャンルを見つめ通しながら、どこまでも歩み続けていきたいと、心に強く決意をしていた。(完)