近代日本百年の絶景、その4、「吉田正の世界と『吉田正記念館』を訪ねて」 | アカデミー主宰のブログ

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尋ね来し 常陸(ひたち)の海面(うなも)の 
           まばゆさに 
生み出し調べの ふるさと想ふ

 

朝一に 降り立つホームに 流るるは

        心愉かしき 「寒い朝」かな

 

ガラス張り 見渡す駅舎の 彼方には

        煌めく常陸(ひたち)の 大海原よ

 

バス降りて 尋ね歩いて 「記念館」

        汗ばむ肌に パノラマ雄姿が

 

歩み来て 調べ辿りつ 「足跡」に

        その偉大さに 我を忘れて

 

シベリヤの 想いを胸に 第一歩

        創作(つく)る調べは 心に浸みる

 

幾千の 想いを胸に 羽ばたかん

        創作(うみ)出す調べは 幾多の賞に

 

その調べ 幾多の歌い手 育てなむ

        歌唱史上の 輝く星に

 

(吉田正の業績を讃え、かつふるさとの「記念館」を訪ねて)

 

 

上野発の、朝7時半丁度の特急「フレッシュひたち」で1時間45分、常磐線の列車には、窓越しに、朝の光がまぶしく降り注いでいた。急に春になったような、明るい春の陽射しのような柔らかな光が、電車を包むと同時に、常陸(ひたち)の大海原が、現前に広がってきた。ここは、まるで湘南のようにポカポカ陽気なのではないかと思うほどの、海面のきらめきがどこまでも続いていた。

常磐線の特急で、日立駅に降り立ち、再び驚いてしまった。ひなびた地方の駅舎かと思っていたのが、間違いであることに気付いた。その駅舎は、全面ガラス張りで、どこまでも続く海岸線から、遠くの水平線まで見渡すことが出来る。駅舎には、広々としたガラス張りの展望の場所までが設置してあった。駅のホームでは、発車のメロディーに、吉永小百合の「寒い朝」のメロディーが流れていた。

 

全面ガラス張り駅舎を出たら、駅前にロータリーが整備されていた。そう、ここは日本の大企業の一つ、日立製作所の本拠地がある町であることは、すぐに理解することが出来た。

駅前の作りや街並みの佇まいに、さびれた地方都市のイメージとはかけ離れたものを感じたからであった。駅前から直角にのびて、6号線まで続く数百メートルの道路には、桜の古木が両側一面に立ち並んで続いていた。さぞかし桜の季節には、見事になるのだろうと思っていた。

 

駅前からバスで、神嶺(かみね)公園前で下車、そこから公園を目指して歩き始めた。目標の「吉田正記念館」は、長い結構急なスロープを上り切った向こうに、聳え立っていた。広い駐車場の向こうまで、何とか、汗ばみながら歩いて、辿り着くことが出来た。

歩いてきた背中の向こうには、常陸(ひたち)の海がどこまでも限りなく広がっていた。まさに大パノラマの頂上に、その「記念館」は、レンガ色の色調を基本にして、近代的な建築様式で建っていたのである。

 

やっと辿り着いた、「吉田正記念館」、入場料は無料で、誰にでも公開していた。5階建ての「記念館」は、実に合理的に設計されていた。中央にエレベーターがあり、それぞれの階では、テーマごとに資料や説明がなされていた。何と全館に、吉田正の作曲した音楽が休みなく流れて、気持ち良い雰囲気を醸し出していた。

 

まず1階には売店やインフォメーションがあったが、私は、まず5階に上がって展望カフェから眺めてみることにした。上ってみたら、まさにカフェからが素晴らしい景色が、360度の大パノラマで広がっていた。

手前には遊園地のアトラクションらしきものが並んでいた。そしてその遥か向こうには、常陸(ひたち)の海が、水平線の彼方まで広がっていたのである。

 

素晴らしい景観、これかこの「記念館」の「売り」なのではないかと思うほどの素晴らしい風景が広がっていた。汗ばむ体を休めるように、一日10食のワッフルを注文したら、飲み物付きで、とても素晴らしい温かいワッフルとクリームのスウィーツを頂くことが出来た。飲み物付きなので、アイスコーヒーを注文したが、それがワッフルに合って、とても美味しく感じられた。

 

流れる音楽を口ずさみながら、少しずつ階を下りて、彼の「足跡」を見て巡って行った。何と素晴らしい「資料館」であることか。パソコンで作曲するコーナーも設けられていた。どんなソフトを使っているか気になったが、後でスタッフに聞いても、それは教えられないということであった。そのソフトが気になっていたし、今は、マイクで歌うだけで作曲出来るソフトがあることも分かって大きな刺激になった。

何と4階のここは、「吉田正の作曲教室」であった。パソコンを使って誰でも作曲が出来、かつ印刷出来るようなシステムになっていたのである。資料も沢山展示されていた。片っ端からカメラのシャッターを切っている私であった。

題して、「歌謡界に貢献した1970年代以降の足跡と作品を紹介」、というタイトルが付けられていた。

 

3階に下りれば、「昭和歌謡の黄金時代を築いた1960年代の足跡と作品を紹介」、というタイトルで、様々な「足跡」の資料が陳列されていた、何とそこには、吉田正の居間も再現されていたのである。

ヘッドフォンをつければ、門下生が語るエピソードやヒット曲を視聴することが出来る装置も置かれていた。私は、迷わず、フランク永井の部分を全部視聴することが出来た。本当にどこにでもデジタル機器を駆使した装置が並んでいた。

 

2階は、「都会調歌謡曲を開拓した1950年代の足跡と作品の紹介」、というコーナーであった。様々なレコードジャケットが壁一面を埋め尽くしていた。何とレコードジャケット690枚が吉田メロディーの歩みを象徴的に表現していた。

偉大な業績を残した「足跡」が一目で分かるようになっていた。

 

1階の戻り、ブロンズ像を眺めながら、本当に素晴らしい「記念館」を訪ねることが出来たと言う実感に包まれていた。売店では、思い切って、「吉田正楽譜集」と「フランク永井資料集」を購入し、旅の記念にすることにした。

 

1時間半を記念館で過ごし、吉田正の生涯の素晴らしさを、実際の資料を通して学ぶことが出来たように思ったし、これからも一層の研鑽を積みながら、「吉田正」を学んでいきたいと思った。

 

列車の時間が気になっていたので、歩いて帰るわけにもいかず、そこからタクシーを呼んで貰って、一気に駅に向かって帰って行った。結構な距離があることも分かった。

駅前で下り、一気に特急で東京に戻り、それから新幹線で帰ることも考えたが、しばらくは常磐線を北上し、この地域の風景を味わいながら帰って行きたいと思った。

帰りは、ゆっくりこの地域の風景に触れることにして常磐線を北上し、いわきから列車を乗り継ぎ、郡山経由で帰途に着くことが出来た。

 

今回の「吉田正記念館」は、茨城県の日立市にあり、なかなか行き難い場所にあるが、来て見て本当に良かったと思った。こんな場所から、生まれた郷土の偉人の凄さが、何となく分かったような気がした。これからも様々な音楽を学ぶ中で、吉田正の音楽にも触れながら、一層の研鑽を積んでいきたいと思った。

 

吉田正の音楽は、今でも人々の心に息づいている昭和歌謡史に残る一つの大きな絶景なのだと、その時思っていた。近代日本百年の音楽を語る時、吉田正の音楽は、その輝かしい昭和の黄金期を作ったとう意味でも、私たちの心の絶景に数えられるものだと強く感じた。

近代日本百年の絶景を、自らの研鑽と修行の一環として、私は、これからも、どこまでも自分のふるさとのように探し続けながら、生きていきたいと、心の中で強く思っていた。

この「吉田正記念館」への素晴らしい散策とその中で学んだ沢山の成果を、近代日本百年の絶景を探す、今回の旅の〆くくりにしていきたいと思った。(完)