近代日本百年の絶景、その3、「フランク永井の世界、『国道18号線』と軽井沢を訪ねて」(前編) | アカデミー主宰のブログ

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ビロードの 魅惑の歌声 一筋に

         明日への息吹 行く手照らして

 

ムード歌謡 低音魅力の 声筋に

         選び出されし 星の砂から

 

歌い継ぐ 歌コン目指して 全国区

         僅差勝負は 紙一重ほど

 

首(こうべ)垂れ 稲穂色ずく 絨毯(じゅうたん)に

         集いし歌声 遥かに流れ

  (フランク永井の音楽業績を讃え、かつ「歌コン」を参観して)

 

昭和の日本歌謡史に、燦然と輝くフランク永井の歌声は、歌い継がれて、今や「歌コン」の全国コンクールが開催されるまでになっている。昭和の歌謡界を代表するフランク永井は、宮城県大崎市松山町の出身で、まさに地元の生んだ昭和の巨星とも言うべき存在である。

フランクの歌う楽曲は、どれも昭和を代表する素晴らしい歌唱の楽曲として、今に歌い継がれている。

最初、米軍のキャンプでジャズを歌っている所を、作曲家、吉田 正に見出され、歌謡曲を歌うようになり、一躍大スターとして、脚光を浴びるようになった。歌う曲は、オリジナル曲だけでも相当な数に達していると思われる。

ヒット作品は、1957年(昭和32年)の「東京午前三時」、「13800円」、「夜霧の第二国道」、「有楽町で逢いましょう」から、最後のレコーディングになった1985年(昭和60年)の「六本木ワルツ」まで、本当に休みなく大ヒット曲を出している。映画は、フランクの歌の題名で4本が制作され、主題歌や歌手役などで実際に出演している。

その他、日本レコード大賞関係では、受賞曲6曲を数え、大賞の他、歌唱賞、作詞賞、記念賞、特別功労賞など様々な賞を受賞している。中でも、大賞には、「君恋し」が、第3回のレコード大賞に輝いている。(1961年、昭和36年)

その他の受賞も幾つか数え、輝かしい実績を残している。NHK紅白歌合戦には、1957年(昭和32年)の第8回初出場以来、1976年(昭和51年)の第27回に同じく第8回の初出場の島倉千代子と共に史上初の20回連続出場記録を樹立し、その後、1982年(昭和57年)まで連続26回出演した。

 

昨年、偶然「歌コン」に、当スタジオのレッスン生が出場することになって、急遽、フランク永井の作品をレッスンするようになり、改めて彼の作品を聴くようになった。

「歌コン」にも、実際に観客として参加し、現状を把握することが出来た。それ以来、フランク永井の作品に、段々傾倒するようになり、何枚かのCDを片っ端から聴くようになっていた。

昨年の11月からは、次の年の「歌コン」を目指して、個人レッスンやグループレッスンを始め、意識的に指導し、取り組むようになってきていた。

そんな中で出会った作品が「国道18号線」であった。この作品は、1964年(昭和39年)の作品で、最初の作品を出してから、7年目の作品であった。後期の熟練した歌声よりも、フランク永井の、初期の素朴で正統的な段階の発声を、歌声で聴くことが出来る。

最初CDで聴いて、何て素晴らしいメロディ-なのだろうと思った。楽譜を探したが、見つけることが出来ない。どこで探しても手に入らなかった。仕方なくCDから、忠実に採譜して、楽譜を作り上げた。

今の時代、なかなか楽譜を探すのが難しい時代である。大ヒット曲は、出版物の楽譜集で探すことが出来るが、大ヒットまでは及ばなかった隠れた曲は、今は楽譜は、殆ど見つけることは出来ない。ネットでも購入出来ればよいが、殆ど出ていないのが実情である。

マイナーな曲は、どこを探しても無いのが現状なのである。仕方なしに採譜と言う方法で楽譜を作り上げることで、分かったことが沢山あった。

 

この楽曲は、昭和39年、丁度、日本の高度経済成長期、経済が飛躍的に発展ていして行った時代に創作された楽曲であった。サラリーマンが中流化して、都会で住宅を築いた富裕層が、軽井沢などの避暑地の別荘を求め、避暑地の開発が、飛躍的に進んだ時代であった。

全国の国道網が整備され、首都圏から避暑地への交通が、車社会の発展によって、飛躍的に便利になっていった時代であった。

そんな時代を背景にして、この曲は、まさにタイムリーに生みだされたのである。

大人の恋愛をストレートに扱った題材で、そのロマンシズムに溢れたメロデーは、たとえようも無く美しいと思った。それをフランクの声と松尾和子のハスキーな声のコラボでのデュエットソングとして、歌われたのである。

当時としては、この斬新な内容を、ストレートに、東京と避暑地を結ぶ恋として、「国道18号線」を通して描かれていたのである。

この作品は、当時、大ヒットにはならなかった理由もあった。当時は、歌謡曲の黄金時代を迎え、様々な流行歌手の大ヒットソングが巷に溢れていた時代でもあった。フランクも同様の大ヒットソングを次々と出していた状況があったのである。

この「国道18号線」は、その後隠れたヒット曲として、当時のサラリーマンや避暑地を訪れる人々の中で、静かに広がっていったのである。

この作品は、フランクの透明感ある声の特色が出ているように思う。松尾和子のハスキーな発声とは対照的に、フランクの腹式呼吸が見事に駆使された共鳴発声の素晴らしい響きが、得も言われない魅力になっているような気がする。

松尾とのコラボも素晴らしい限りであるが、フランクの声の透明感が、一層引き立つ楽曲になっているような気がする。(後編に続く)