(前編からの続き)
この曲の楽譜を採譜して明らかになったことがいくつかあった。拍子は4拍子で、調はGm(ト短調)、Am(イ短調)より、キーが2個下である。フランクの作品のキーは、この曲と同じ調の曲が多いということも分かった。
音域は、主音をドとすると、下のファから上のソまでの1オクターブ、プラス1音(全音)をカバーし、音域がかなり広いということである。
実音で言えば、下はC音から、上はD音までで、ちゃんと表現したいならば、結構、発声練習が必要な曲になると思った。
かなり発声の練習をしないとこの楽曲を歌うのは厳しいのだけれど、それをフランクは、見事な腹式呼吸の共鳴発声で歌っているのである。
低音は、無類の素晴らしい魅惑の低音で、しかも、高音部も綺麗なファルセットのような共鳴発声で歌っているのである。私は、この高音部の共鳴発声に、フランクの真骨頂の一つであることを感じたし、その歌い方にこそ感動していたのかも知れないと思った。
一方の松尾は、ハスキーなヴォーカル発声で、見事に感情を素直に表現している。この音域は、女性でも低い方であるが、男性は、女性より、普通キーは3個ほど上で歌うのだが、フランクは、低いキーのままで、それが自分のキーなのである。
松尾もこのキーが自分のキーのようで、二人の歌唱は、息が合って、とてもしっくりしていると思った。
都会と避暑地の間での人間模様の恋を、「国道18号線」で繋ぎながら、都会風のタッチで見事に歌い上げていた。Utubeでは、ラテンリズムにアレンジされた「18号線」も聴いたことがあったが、やはり最初の収録の、オーソドックスなリズムの歌唱が、最高に素晴らしいと思った。
いつしか「国道18号線」が好きになり、カラオケでも歌うようになっている私であった。
今回の旅行で、「富岡製糸場」を皮切りに、近代日本百年の絶景に関わって、訪ねようと考えていたが、フランク永井の作品は、総じて、全ての作品が、音楽と言う無形の文化財として、近代日本百年の絶景なのではないかと考えるようになっていた。
いつしか新幹線を乗り継ぎ、「国道18号線」に接しながら、軽井沢の空気を感じてみたいと思うようになっていた。決断をする前に、すでに私の体が動いていたのかも知れない。
大宮から長野新幹線で、軽井沢に向かっていた。「あさま」は、初めて乗る新幹線で、ゴールドメタリックが重厚な感じを醸し出していた。
昔、信越本線が走っていた辺りは、既に廃線になり、盲腸線になっていた。新幹線は、昔の難所、いろは坂のようなヘアピンカーブの碓氷峠を通らず、離れた場所を一気にトンネルを突き抜けて進んで行く。安中榛名を過ぎると、峠を越えた先に、軽井沢駅に停車した。
流石に、冬の夕暮れは寒さが一段と厳しかった。冷たい空気が駅の外一杯に流れていた。
峠を越えてきたこの軽井沢辺りは、夏は恐らく格好の避暑地として、気持ち良く涼しい土地なのかも知れないと思った。避暑地の意味は、恐らく、ここにあるのではないかと思った。
新幹線のガラス造りの駅を下りたら、ここでまたもう一つ驚いた。2階の駅から下までは、ハの字形に階段が伸びていたのである。まるでチャペルの階段を思わせるような造りになっていて、下まで繋がっていた。その向こうには、LEDのライトアップが、駅前通りを青白く、見事な造形で飾っていた。
駅の周りに出れば、真っ先に飛び込んできたのには驚いてしまった。何と避暑地の別荘斡旋の不動産屋が、駅前から軒を連ねていたのである。今でも避暑地としての開発が進めれているのかも知れないと思った。別荘を持ちたいと思う人々の需要が、今でもきっとあるのだろうと思った。
そして駅から少し歩いた先に、何と「国道18号線」が、軽井沢の街を横切るように続いていた。やはり軽井沢へのアクセスの主要道路なのだと思った。
東京から高速を使って、あるいは新幹線で、1時間程の距離にある軽井沢、避暑地として、地の利に優れているのは言うまでもない。気候が名実ともに避暑地なのではないかと思っていた。
なるほど「国道18号線」の舞台は、このような背景の中で描かれていたのだということを、実感として受け止めることが出来ように感じていた。
もっと時間があれば、あるいは、季節も暑い時期であれば、避暑地への散策を兼ねながら来てみたいと思っていた。
軽井沢は、信州そばの発祥の地であると言うので、夕食にその信州そばを頂いてから、愛憎の都、今日の宿泊場所を目指して、新幹線に飛び乗り、東京へと飛び帰って行った。
「国道18号線」と軽井沢の世界は、私の中で、こうして音楽の世界と完全に重なることが出来たのである。「百聞は一見にしかず」、本当に体験することにより、物事を深く、深く理解することが出来たように思った。
素晴らしいフランク永井の世界を感じながら、帰りの新幹線の中で、デジタルプレーヤ―のイヤホンを通して、今迄とは違った気持ちで「国道18号線」を聴いている私であった。(完)