昨日は、グループレッスンの他に、個人レッスンでの、CDの収録作業がありました。
新曲の収録ですが、FM放送で流すための収録は、無料で取り組みます。
カラオケは、完成版ではなかったのですが、前日制作しておきました。レッスン生と話し合ってからの収録ですが、
カラオケの音楽が気に入ったようで、ピアノ伴奏ではなく、カラオケでの収録になりました。
ピアノ伴奏で、一通り歌い方や細かい部分をお浚いしてから、今度は、カラオケになれる練習をしました。
今回は、新型のシンセで、新しいリズムを使っていたからです。何回か練習して、テンポに遅れないように練習を重ねました。
最後に、収録に入り、今回は2回目にミスなく収録することが出来ました。本人も、最高の歌唱ではなく、完成版ではないと話していましたが、
一応のもので「良し」とすることにしました。
早速収録したデーターを、パソコンを使って焼き上げました。次回のFM放送で流すことになり、本人も参加してくれることになりました。
FM放送で流すCD収録は、レッスンでの収録料はなしで、無料で取り組んでいます。
レッスン生は、次の曲に取り組みたいと話していました。今回が3曲目の収録が終了したことになります。
次回は、さらに別の新曲をレッスンしたいと話していました。
FM放送には、著作権の関係で、既存のカラオケ曲の」歌唱は流せません。カラオケの曲を練習しても、「音楽祭」や「発表会」での披露が関の山です。
それも歌手の歌を覚えての披露に過ぎません。
それでもコンクール参加や目標があればよいのですが、ただ「交流会」で歌う程度では、目標が低すぎます。
歌を覚えるだけでも、レッスンにはなりますが、やはり高い目標を持つことが大切です。
それには、自作の曲でも、どんな作品でも、新曲に取り組み、世の中に向かって披露することが必要なのです。
歌は上手、下手は二の次なのです。個性の表現の一つなのですから、どれが良いという判断規準は人様々です。判断の評価規準は人様々ですから。
どんな内容であれ、その人のどんな歌唱であれ、新たな作品を、実践として披露することが大切なのです。
歌う前に、この曲が良いとか悪いとは、歌い手が判断してしまう必要はないのです。良いか悪いかは、聴いた人が判断することなのです。
自分で勝手に他人を評価し、上手、下手を論ずる方には、世の中に向かって実践していく資格はないのです。
一番重要な歌の評価を、歌う前に自分で決めつけているからです。その方は自分の実践を、自分で閉ざしてしまっているだけのことなのです。
いわば、実践を拒む理由を、自分で理由付けしているだけのことなのです。
実践の評価は、誰にも分からないのです。どこにチャンスが転がっているかは、誰にも分からないのですから。
これからも意欲のあるレッスン生を発掘しながら、その個性を引き出し、実践の披露に結び付けていきあいと思いました。