グループレッスンの成果、その上達の秘訣、「積み上げ学習と継続性に有り」 | アカデミー主宰のブログ

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仙台ミュージカルアカデミーの旬な日常情報をお届けします。
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ライブ動画も掲載しました。検索は、ユーチューブで「仙台ミュージカルアカデミーライブ&発表会、花は咲く 荒浜」です。

 昨日は、3名のグループレッスンがありました。4名のグループですが、1名が欠席でした。
グループレッスンでは、発声の基本的な指導の後、歌集の曲を使い、愛唱歌をリクエスト形式で毎回数曲歌います。
カラオケを伴奏に使う場合もありますが、レパをなるべく増やすためです。なかなか知らない曲には、進めないので、
たまには歌唱指導もします。昨日は、メディアでは聴くことが出来ない、うたごえの曲を歌唱指導しました。
少しずつ、毎回1曲程度、知らない曲も歌唱指導することにしました。

 その後は、課題曲の練習です。このグループは、毎回課題曲を設定し、一人一人がカラオケで歌えるようになるまでレッスンします。
今回は、前回に引き続き「麦の唄」でした前回は、一人で歌うまでには行けなかったからです。難しい部分が幾つかあり、
なかなか定着しなかったからです。

 今回は、大分上達しました。一人で最後まで歌えるようになりました。細かい修正も行いながら、確実に一人一人が歌えるようになりました。
「麦の唄」のように、中間部に何回も転調するような、難しい個所がある曲でも、積み上げれば上達するものです。
前回より格段に上達していました。

 音程の難しい個所も積み上げ学習によって、クリヤー出来るようになるのです。
どんな難しい曲でも、この積み上げ学習が、音楽ではポイントなのです。だから難しい楽器であろうと、ピアノの指の動きであろうと、
この積み上げ学習を徹底すれば、誰でも出来るようになるのが、音楽学習の特色なのかも知れません。

 音感の違いは、誰でもありますが、出来ないということは、全くあり得ないのが音楽なのです。
音痴だから、出来ないと諦めている方は、自分で自分を縛って、暗示にかけ、閉ざしているに過ぎないだけのことなのです。
誰でも出来るようになるから不思議です。これは事実で証明することが出来ます。

 「麦の唄」のように、細かいアナリーゼが必要な曲でも、誰でも一人で歌えるようになるから不思議と言うより他ありません。
これは、系統的な積み上げ学習の力によるものなのです。「積み上げ学習、恐るべし」と言ったところでしょうか。

 このようにして今回、「麦の唄」は終了し、次回は新たな楽曲を設定し、進むことになりました。
このグループは、様々なジャンルの曲に、毎回挑戦し、学習を積み上げていくグループで、かなりの継続学習によって、大分上達もしてきました。
昨年の「杜の都音楽祭」では、全員が素晴らしいステージを披露してくれたのは言うまでもないことです。

 今年も益々楽しみになりましたが、このグループの素晴らしいところは、「継続性」があるということでしょうか。コンスタントにレッスンに取り組み、
学習を積み上げていることです。この「継続性」も音楽学習には大切なことなのです。

 線香花火のように一気に取り組むのですが、あっという間に気が冷めるように続けなくなるのでは、どんなに素質があっても上達は無理です。
難しいからと言って、他の理由を探して辞める方もいます。それでは永遠に他の課題を探し続けることになります。

 この「積み上げ性」の他には「継続性」も、音楽学習での上達には、大きなメルクマールになることも重要な視点なのです。

 上達する個人やグループには、必ずその原因と理由があるのでrす。きちんと継続的に積み上げているからこその結果なのだと、
昨日の「麦の唄」の学習から、また一つ学ぶことが出来ました。

 今日の「歌う会」でも、この「麦の唄」を、前回に引き続き歌唱指導します。難しい部分がまだ定着していないからです。
「歌う会」では、細かい指導をしませんが、それでも学習は、積み上がっていくのです。積み上げ学習の凄さを、そこにも感じてしまいます。

 音楽学習の上達の秘訣は、何とこの「積み上げ学習と継続性に有り」だったのです。

 これは、個人の資質を理由にして否定することは全く出来ないほど、凄いことなのだと改めて実感することが出来ました。

 音楽的に素晴らしいのは、素質が素晴らしいからではなく、この学習の系統的な積み上げを、持続的に取り組むからこその結果だったのです。

何というこの逆説的な定義の素晴らしさを、全ての音楽学習者に理解欲しいと思いました。