新しいレッスン生の二人のレッスンがありました。二人ともレッスンを受けるようになって、
まだ日が浅く、数回です。
一人は「発表会」に出演し、もう一人は今日のレッスンが2回目です。
仕事が忙しいようで参加は見合わせた方です。
前回のレッスンで楽曲を決めて、楽譜を渡して細かい指摘をしました。今日が2回目のレッスンでした。
何と、細かく指摘したことが、見事に、修正していました。
もう一人の方も、飲み込みが良く、音程も確かで、前回修正したことが直っていました。
レッスンを受けて、客観的に指摘してあげたことを、本人も課題に向かって、
結構頑張ってきたことが良く分かりました。
そして修正したことは、ほとんど直っていて、びっくりしました。
2回目の方は、あまりに見事に直って、素晴らしい歌唱になっていたので、驚いてしましました。
案の定、機械採点をしてみたら、納得の高得点を出したのは、言うまでもないことです。
レッスン、この上達への確かな指標、これには個人でいくら自己流で回数を重ねても、
かなうものではありません。客観的に指導し、指摘し、積み上げていくことの大切さが
ここにあるのです。
昨日の新しい二人のレッスン生の結果から、1回、1回のレッスンの重みと、凄さを感じてしまいました。
それは、決して私が、自分の指導、指摘の有効性を自画自賛するわけでは全くないのですが、
レッスン生が、自分指摘された課題に向かって、きちんと向き合い、取り組んだ結果であり、
そのことが素晴らしいということなのです。
一人ひとり、大志(こころざし)を高く持ったレッスン生が集まってきていること、
優れた才能がレッスンによって、花開いて見えることほど、嬉しいことはないのです。
音楽のレッスンは、眠っていたそんな素晴らしい才能を花開かせ、
本人に、嬉しい気持ちとともに、気づかせることなのかも知れません。
昔、教職時代、子供たちの才能の素晴らしさを、親も知らないでいて、実践活動を通して、親が子供たち
のダイヤモンドの才能に、涙を流しながら感動して、驚いていたことを思い出していました。
そんなレッスン生の優れた才能が見えた時ほど、私が嬉しくなる時はないのかも知れません。