lec410.愛されるにふさわしいあなた | カウンセリングサービス 仙台オフィシャルブログ

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カウンセリングサービス代表の平準司です。

 

失恋をしたとき、みなさんの多くは「なんで?」ではなく、「やっぱり‥‥」と思うことのほうが多いのではないでしょうか。

 

なぜか、「やっぱり‥‥」なのです。

 

心のどこかで、「私はふられるのにふさわしい」とずっと思っていたようなのです。

 

理由は人それぞれで、「パートナーと私じゃつりあいがとれない」などと思っている人もいますし、「この私に幸せなんか似合わない‥」と、まるで人生哲学において「失恋という罰が私にはふさわしい」と思っているようなケースもあります。

 

どうも、失恋したときには、「私には幸せになることよりも、罰せられるほうがふさわしい」と思ってしまう心の力学が働きがちであるようです。

 

 

そして、「自分は愛されるにふさわしくない」、「罰せられるにふさわしい」という思いがあるときに、新しい出会いがあり、おつきあいが始まったらどうなるでしょう?

 

彼がどんな人であるかには関わらず、彼のことを疑ってしまうと思いませんか?

 

こんなときは、「私を愛するために、私の人生に登場した人」ではなく、「最後の最後、私にアッカンベをして逃げる人」というように感じてしまうわけです。

 

つまり、彼がどれだけあなたに愛を送ってくれたとしても、あなたは彼のことを疑いつづけます。

 

そのために、彼を試しに試すというようなことをしてしまい、彼は疲れ果て、あなたのもとを去っていくわけです。

 

そして、あなたは一人つぶやくわけです。

 

「ああ、やっぱり‥‥」

 

失恋にはいろいろなパターンがありますが、このように、あなたの独りよがりから来る失恋というのは、じつはものすごく多いものです。

 

恋愛の初期段階の失恋は、ほとんどこのパターンだと言ってもいいほどです。

 

「ほんとうに、こんな私でいいの?」とか「こんなオレでほんとにいいのか?」というようなことを、あなたはパートナーに聞いたことはないでしょうか?

 

これこそが、「自分は愛されるにふさわしくはない」という思いから、相手の愛を疑い、受け取れないときの典型的なパターンなのです。

 

このときの深層心理には、「あなたは、とんでもなくひどい、ほんとうの私のことをまだ知らないのよ」というネガティブな自己概念があります。

 

その中には当たっている部分もあるのかもしれませんが、でも、それ以上にあなたは「すばらしい魅力をもっていて、愛される価値がある人」だということをあなた自身が知らないのです。

 

あなたは自分の中にある「愛されない」という思い込みで自分自身を見て、一方、パートナーはあなたの中にある「愛されるにふさわしい部分」を見ています。

 

それぞれの見ているものが一致しないわけです。

 

そして、ケンカが始まるわけです。

 

あなたが手放すべきものは、この「自分は愛されるにふさわしくない」という思いなのです。

 

そして、もし、パートナーにふられたときに「え、なんで?」と思うことができたら、失恋の傷はほぼないといえそうです。

 

「こんなにあなたを愛している私、こんなにおトクな私をふるなんて、信じられない。バカじゃないの、もったいないわねぇ。見る目がないわ」。

 

そんなふうに心から思えたなら、傷ついたり、落ち込んだり、「もう、恋なんかしない」と大事なものをドブに捨てる決断をすることもなくなるでしょう。

 

そして、さっさと次のパートナーへと向かっていけるはずなのです。

 

「愛されるにふさわしい」。

 

あなたのまわりの人は、きっと、あなたのことをそう扱ってきたはずです。

 

そういう目で、もう一度、人生をふり返ってみてもらえませんか?