lec396.コミットして自由になる(前編) | カウンセリングサービス 仙台オフィシャルブログ

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カウンセリングサービス代表の平準司です。

 

男性でも女性でも、独身のみなさんにカウンセリングをすると、意識的には「結婚したい」と考えていても、深層心理には結婚に関するネガティブなイメージを多数もっていることがよくあります。

 

そして、それらが、「もう少ししてから、結婚しようかな‥‥」の「もう少し」という部分をつくりだしていたりするようです。

 

ネガティブなイメージをつくっているもののなかでも、いちばん大きいのが、「一人のパートナーに決めなければならない」ということへの恐れであるようです。

 

心理学用語に“コミットする”というものがあります。

 

これは「一人の人に決める」、「この人とやっていくと決める」ということです。

 

ところが、私たちはしばしば、「もっといい人がいるのではないか?」と心のどこかで考えてしまい、そのために、いまのパートナーに集中できなくなってしまったりするのです。

 

「彼に決めた」と思った瞬間に、「でもなぁ~」と思い、「でも、やっぱり彼しかいない!」と思ったものの、「でもなぁ~」と思う‥‥、私たちはどうやら心の中で、こんなことをくり返しているのです。

 

こうさせているのは、自分の決断力やものごとの見方に対する自信のなさだったり、彼への不信感や不満だったりするのですが、あなた自身、彼に決めていないので、それが彼に投影され、彼も自分を選択していないのではないかと感じるわけです。

 

さらに、「コミットすると、自由が失われてしまう」という思いが邪魔をしている場合もよくあります。

 

 

私が独身のころ、心理学の先生からさんざん言われていたのは、「コミットすると、自由になれるよ」ということでした。

 

しかしながら、実際に結婚するまで、私もこの言葉のほんとうの意味がまったく理解できなかったのです。

 

それこそ、結婚し、一人の人に決めてしまうと、自由になるどころか制限されて、とても不自由になるのではないかと考えていました。

 

それはまるで、鳥カゴにとじこめられた小鳥のようなものだと感じたわけですから、なぜ、コミットすると自由になれるかということがまったく理解できなかったわけです。

 

そう考えていた私が、うちの奥さまにほんとうにコミットしたのは、たぶん、結婚式のひと月ほど前のことだったと思います。

 

べつに、それまで浮気をしていたとか、結婚式のひと月前に愛人とやっと手を切ったとか、そういうことではぜんぜんないのですよ。

 

私は9月の15日に結婚したのですが、そのひと月ほど前にうちの先生のセミナーがあり、私も参加していました。

 

そして、そのセミナーの最後に、「なにか忘れ物をしていませんか?」というセッションがあり、そのとき、私はものすごく大きな忘れ物をしているような気がしたのです。

 

そして、「いったい、なんなんだろう‥‥?」と自分の心に問いかけてみたところ、奥さまにプロポーズしていなかったことに気がついたのです。

 

情けない話なのですが、つきあいも3年ぐらい経ったころ、奥さまのほうから、「いったい、どういう気でつきあっているの!」と追い込みをかけられたのです。

 

で、その当時、大きくなりはじめていた体を小さくし、「マジメに考えております‥‥」と結婚に至ったようなしだいだったので、ちゃんとプロポーズしていなかったのです。

 

「これは、ちゃんとプロポーズしておかないと、一生、言われてしまう!」と、そんな不純な動機から私の重い腰が上がったわけです。

 

結婚ひと月前ですから、わが家にはもう嫁入り道具一式が届いており、新婚旅行のチケットも手元にあり、完璧に逃げられない状態が整っているわけです。

 

ここまで整った状態で、プロポーズをしようと思ったにもかかわらず、私の心はたいへんなことになっているわけです。

 

心臓が破裂しそうになり、ひと前であがるという経験が人生でなかった私がパニック状態になりました。

 

奥さまを前に、「げづごんじでぇえぇぐだぐだ~~」と何語をしゃべっているかもわからないような私。

 

「えっ、なになに?」と私の意味不明な言葉の連呼を、なんとか理解してくれようとしている奥さま‥‥。

 

やってみてわかったのは、こんなふうに、ぜったい結婚してもらえる状態になっているにもかかわらず、私は「ものすごく恐かった」ということです。

 

どうも、自分で思っていた以上に「捨てられる」ということにビビッていた様子。

 

だからこそ、コミットはせずに、万が一、捨てられたときのための保険をたくさん掛けておこうともどうも思っていたようなのです。

 

しかしながら、ぐだぐだのプロポーズを奥さまに快諾してもらった途端、私の心は八月なのに五月晴れ! 

 

すっかりうれしくなってしまったのです。

 

まるで、「捨てる神あれば拾う神あり」の拾う神と出会ったかのような気分になったわけです。

 

さらに、いつも心のどこかに「浮気したいな」という思いがあったからこそ、「制限される」というイメージが出てきたのだということが判明しました。

 

不思議なもので、コミットし、「この人とやっていくのだ!」と思った瞬間から、私の頭の中はとてもクリエイティブな感覚でいっぱいになり、「二人でどんなふうに楽しくやっていくか」という発想しか出てこなくなったのです。

 

「この人とやっていく!」と決めることで、私たちははじめて疑いの壁を越えることができ、そして、「二人でどうやっていくか」というふうに方法を考えるようなモードになったとき、私たちはほんとうに自由になれるのです。

 

そして、さらにもっと自由な気持ちになった話は、また次回、お話しましょう。

 

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次の月曜日が元旦のため、続きの記事は明日公開します。