カウンセリングサービス代表の平準司です。
彼女のご両親はともに素晴らしい人格の人たちでした。
周囲からの人望も厚く、しかも美男美女というご夫婦だったのです。
そんな両親をもった彼女は、いつも友だちから「あなたのおとうさんやおかあさんがうちの親だったらよかったのに‥‥」と言われていました。
といっても、どんなすばらしい親であったとしても、子どもから見て、まったく文句がないということはありませんよね。
「パパのバカ! ママなんか死ね!」と言いたいときだって、ぜったいあるわけです。
彼女ももちろんそうでしたが、「こんなに立派な親に対して、文句のある自分は最低最悪だ」と感じ、本来であれば親にぶつけるべき怒りがすべて、みずからへの自己攻撃になっていたのです。
そう、みなさんのご両親のように、ほどほどにダメなところがあったり、困ったところがあったりする人たちなら、心おきなく怒りもぶつけられますよね。
ところが、できすぎた両親をもった子どもというのは、今回の彼女にかぎらず、自己嫌悪を強めたり、自己攻撃をしてしまったりするケースが非常に多いのです。
心の奥にあるのは、両親との“比較”や“競争”です。
そして、「こんなに素晴らしい二人の間に生まれたのに、なぜ、自分はこんなふうなのだろう」と、ひどい劣等感を感じたりするわけです。
さて、彼女が私どもに相談におみえになったのは、恋愛に関するお悩みがあったからでした。
それは、「なぜ、私はいつも、すごく手のかかる男性や、困ったちゃんの男性ばかりを選んでしまうんでしょう?」というものだったのです。
じつはこれもよくあることなのです。
人間性が素晴らしく、見た目がカッコよく、仕事もできるという立派な相手とつきあうと、彼女のようなタイプの場合、家族の間で感じていたような劣等感を感じてしまいます。
そこで、けっしてそのような感情を感じないようにと、「自分より下」と思える相手ばかりを選んでしまうのです。
「もう、ほんとうに、しょうがないわね!」というような相手なら、一緒にいて、劣等感を感じることはないわけですからね。
ただし、「劣等感を感じない」ということと、「幸せである」ということは、なかなか両立しません。
もちろん、彼女だって、カッコよくて、しっかりとした男性のほうが魅力的に感じます。
しかし、「そんな素晴らしい人が、私のような人間を愛してくれるとはまったく思えない」ので、そうではない人を選んでしまうのですね。
彼女は、人格者であり、まわりからの人望も厚い両親からとても愛されていましたが、じつはそのことをウザくも感じていました。
そして、両親に反抗したり、噛みついたりして、「私がこんなふうなのは、すべて親の育て方のせいだ」と考え、いつも母親を悩ませていたのです。
しかしながら、彼女のその悪い態度をつくっていたのは、深層心理の中にあったこんな思いでした。
「この素晴らしい両親を、自分が喜ばせることなんてできるわけがない‥‥」
「こんな私がなにをしても‥‥」と思っていたので、なにかをして喜ばせようなどと考えたこともなかったのです。
そして、それは彼女だけではありませんでした。
彼女がつきあってきた手のかかる男性たちもみな、「こんなオレがなにをしても、彼女を喜ばせられるわけがない‥‥」と思っていたのです。
カウンセリングを進める中で、そのことに気づいてくれた彼女は、「これから、いったいどうすればいいのでしょう‥‥」と私に言いました。
私はこう答えました。
「おかあさんとおとうさんに、死ぬ思いで感謝の手紙を書いて、渡しなさい」
そう、死ぬ思いじゃないと、書くこともできなければ、渡すこともできないわけです。
実際、死ぬ思いで彼女はそれを実行しました。
すると、両親はじつに簡単に大喜びされたのです。
おかあさんは号泣されたそうで、その号泣は「あなたは私の喜びなの」という娘へのメッセージになりました。
彼女は、こんなに簡単に人を喜ばせることができるとは考えたことがありませんでした。
が、自分にもそれができるのだと実感できるようになってからは、男性たちのとてもよいコーチになることができたのです。