カウンセリングサービス代表の平準司です。
彼女の母親は自分に自信のない人で、いつも人の目を気にしてばかりいました。
そのおかあさんに、「そんなことをしていると、人に笑われる」、「そんなふうじゃ、人にバカにされる」としょっちゅう言われながら、彼女は育ったわけです。
そのため、大人になってからも、彼女はいつも、「世間の人というのは、私を笑いものにしたり、バカにしたりするものだ」という思いを抱えつづけていました。
まわりの人は自分の味方で、応援してくれる人たちだとはまったく感じることができないのです。
そして、つねに「ちゃんとしなくちゃ」と自分を律しながら生きているわけです。
もちろん、ちゃんとするのは悪いことではありません。
しかし、もしも、その行動動機が「ちゃんとしないと怒られる」だったとしたら、いつも気を張りつめて過ごさねばなりません。
社会人となった彼女は、銀行の窓口で仕事をするようになっていました。
そして、「町中の人が自分のことを知っている。そもそも銀行員はちゃんとしていなければならない仕事だ。そうでないと、社会人として失格となってしまう‥‥」と、ますます自分に厳しくなっていったのです。
毎日、そんな思いで生活しているうちに、休日はまったく自分の部屋から出たくなくなってきました。
外に出ると、“社会の目”にさらされるので、襟元を正し、背筋を伸ばして生きていかねばなりません。
たまの休みぐらいは、だれの目も届かないシェルターでひとり羽を伸ばしていたいと思うわけです。
しかし、そんなふうに過ごしていると、困ったことに、出逢いというものがまったくなくなり、彼女は20代後半になっても、おつきあいしたことのある男性がだれもいないという状況になっていました。
誘われてコンパに行ったことはあります。
が、そうした席だと、「いつも以上にちゃんしなくてはいけない」という思いが強くなってしまいます。
まして、結婚して、妻になったり、母になったりするということは、彼女にとって、「もっともっと、ちゃんとちゃーんとしなければいけないこと」を意味するので、結婚したいともまったく思えなくなっていたのです。
ある日、そんな彼女の勤務する支店に、とてもだらしのない男性が転勤してきました。
彼のことを見ているだけで、「銀行員なんだから、もっとちゃんとしなさいよ」と、彼女は無性に腹が立ち、イライラとしていたわけです。
しかし、しばらくすると、「どうして、あんなにだらしがないのに平気で生きていけるのだろう?」と考えるようになったんですね。
そして、「もし、私に彼のハートの強さがあったなら、どんなに生きやすいだろうか」と、彼の生き方に憧れのようなものさえもつようになったのです。
そんなとき、なにかの拍子に、彼は一人暮らしで、掃除を苦手にしており、部屋はものすごいことになっていると聞きつけ、お友だちと一緒に片付けに行くことになったのです。
彼の部屋はもう、彼女にとっては信じられないようなひどい状況だったのですが、丸一日かけ、見違えるようにきれいにすることができました。
すると、彼はたいへんな喜びよう。
彼女にとって、部屋がきれいなのは当たり前なので、「なんで、こんなことで感動できるんだろう‥‥?」と不思議に感じるほどでした。
さらに、掃除のついでに、一緒に行ったお友だちと晩ごはんを作ったところ、これもまた彼はものすごい喜びよう。
その彼を見ていたとき、彼女はいまだかつて感じたことのない大きな喜びを感じたそうなのです。
言い換えれば、彼女の人生に初めて、“敵でない人”が登場したと思ったというのです。
いつも「怒られないように‥‥」と思いながらちゃんと生きてきた彼女。
その心は、喜ぶということがどういうことなのかを、とても長い間、見失っていたようなのです。