こんにちは、亜希です
今回は
「私がやらなければ」
を手放すとどうなるか
最近の私の話からお伝えします
移住して約半年
移住する前の私は
数年、実家にお世話になっていました
子どもが荷物ごと消えて居なくなった家に
私をおいておけなかった母が
連れ帰る形で実家生活がスタート
今回、私が実家を出たことで
家族間に変化が起こり
今まで実家と疎遠になっていた
きょうだいの1人が自分から
親の面倒を見始めました
私にとって
これから高齢になる親のことは
やっぱり気がかりでした
今は元気だけど弱くなった部分も
長く付き合っている持病もあって
それなのに
重度自閉症のきょうだいの
送迎や通院、施設とのやりとりなどは
ずっと変わらずにこなしている
そんな両親を見守るために
何かあればすぐ動けるように
近くにいたい気持ちもありました
そんな気持ちもありつつ
自分は子どもたちのために何をしたいか
どういう存在でありたいか
自分の気持ちを優先した結果
今に至ります
「私がやらなければ」の気持ちは
「きっと大丈夫に」変えて置いてきました
そうして、しばらくすると
親がLINEをしても既読無視
家に来たら?と声をかけても
なかなか来ない
盆と正月に一瞬実家に現れるかどうか
そんな関係が
数年続いていたきょうだいが
親に連絡を取ったり
実家に顔を出すようになりました
へーと思っていたら
どうやら、最近は親の体調を気にかけて
色々声をかけていることを知りました
「自分がやらなければ」を手放すと
誰もやらなくてもいい状態になったり
ほかの誰かがやるようになったりします
でも、手放す時点では
どんな動きになるか結末はわからないので
「ここが動き出したか」
と驚きつつも
「よかった」と心から思いました
皆さま、モビールはご存知ですか?
天井からぶら下げる↓こんな感じの
家族ってモビールみたいに
全員でバランスを取り合っています
だから
1人に何かがあって重さが変われば
しばらくは揺れるけど
バランスを変えてどこかで安定します
それに、きょうだいは他のきょうだいと
同じポジションはとりません
1人が親に反抗的なら
1人はよく話を聞く子になったり
2人とも反抗的みたいなことにはならない
私の友達に
「うちのねぇちゃんヤンキーなんよ」
という子がいましたが
その子自体は普通で
ヤンキーの姉はいるとは思えない子でした
親の面倒を見そうな私のポジションが
空いたことで
きょうだいの1人が
そこに入ったのでしょうね
親としても嬉しいでしょうし
(今まで疎遠だったから)
きょうだいとしても、親に何かをして
あげたい気持ちがあったのだと思います
「自分がやらなければ」
と握りしめることをやめたら
もっといい結末が来るかもしれない
「自分にしかできない」を疑ってみたら
そんなこともなかったな
と気づくかもしれない
共通しているのは
実際に手放してみないと見えてこない
ということです
今手にしている役割を
何か1つ手放してみませんか
手放したくないのは
やらない、やれない誰かのせいではなく
手放したくない理由が意識の中にあって
「自分がやらなければ」
「自分がやるしかない」
現実のように見せているのかもしれません



