こんにちは、亜希です
今は夫婦仲もよく
家族とも円満に日常を過ごしていますが
以前の私は、生きづらさの塊でした
夫婦仲が壊滅的になり
子どもを連れ去られて
裁判で監護権(子どもと同居し養育する権利)
を認められても
子どもを連れ戻すことが叶わない
両親もきょうだいも
本当に心配して親身になってくれたけれども
なかなか子どもを連れ戻せない状況に
「こんなの、連れ去り勝ちじゃないか」
と父が言ったことがありました
その瞬間
私は手に持っていたはずの携帯を
気がついた時には
床に投げつけていました
父はただ
この理不尽な状況を嘆いただけで
私を心配してどうにかしてあげたい
と思う気持ちで
いてくれただろうのに
《連れ去り勝ち》
そのワードが
私の負け、私は勝てない
私も、私のやることも無意味だ
と言われた気がして
わなわなと震えて、号泣しながら
携帯を投げつけるくらい
私には受け入れられませんでした
事実は《父が連れ去り勝ちと言った》
私の解釈は《私には価値がないと言われた》
私が私に見せている世界と事実が
随分とかけ離れていました
そのときの私は
今まで生きてきた中で
無視し続けたたくさんの未消化の感情と
強固なメンタルブロックが意識にあって
反応せずにはいられなかったのです
また、他の方のブログを読んでいると
弁護士が嫌い、頼りない
調停員や裁判官がよくない
などの記載を見ることがあります
私の場合は
驚くほどにみんな良い人でした
本来は立場上、言えないんだけど
と前置きしつつ
私を心配してくれる裁判官までいて
本当に人に恵まれました
だからこそ、自分の不遇さを
誰のせいにもできませんでした
家族も友達も、職場の人も
裁判官も調査官も調停員も
弁護士も、みんな優しくて親切
それなのに、うまくいかない
仕組み上、裁判に時間がかかるから
法律に強制力がないから
そんな理不尽が
社会的に許されていたこと以外は
誰のせいにもさせてもらえない
だから
私はちゃんと自分と自分の人生に
絶望しました
これだけやってもダメだった
こんなに耐えたのに報われなかった
外堀からしっかりと埋められたかのように
今までのやり方(我慢、努力、根性や正しさ)では通用しないことを
ありありと見せつけられたから
相手を変えるのではなくて
自分と向き合う
全然違う方向(UMI)に
舵を切れたのだと思います
だからといって
カウンセリングを受け始めたから
すぐに大きく変わったわけではなくて
《夫のせいで》という被害者意識と
《夫を許せない》という怒りや恨みは
簡単に捨てられないまま
続けるうちに
自分が整い始めて、ようやく
もう大丈夫と思えたときに手離しました
今もゼロではないですが
自分が自分らしく生きるために
支障がない量と形にはなったのだと思います
あまり出てくることはなくなったけど
怒りも恨みも出てくれば気づいて感じるだけ
自分との付き合い方や感情の扱い方が
前よりもわかっているから
心がゆれても
戻ってこられるようになりました
生きづらかったときの私は
明日にでも変わりたくて
寝て起きて子どもが横にいてくれたらと
何度も願いました
こんな自分もこんな人生も
心底うんざりしていたから
明日にでも自分ごと脱ぎ捨てたかった
けれども…
何十年もこの自分で生きてきて
うまく付き合えなくて好きになれなくても
そのときどきの自分はいつだって懸命で
できないなりに悩みながら
最善と思えることをやってきたのだから
明日にでも変われだなんて
「自分に失礼だよね」と途中で思いました
自分を知ることなく、感謝もなく
労ることもなく、仲直りすることなく
そんな過程をすっ飛ばして
変わりさえすればいいなんて
私の場合は
自分がすごく傲慢な気がして
長い人生をこの自分で生きてきたのだから
時間をかけて
少しずつ自分を取り戻せばいい
と思いました
一瞬では変わらないし、別人にもならない
でも、リバウンドはしなくて
自分さえやめなければ着実に進み続ける
けれども、意識の変化から
タイムラグがあって
目の前に実感として現れるのは
少し先の未来です
自分に向き合うきっかけを掴んだなら
続けてほしい
続けるほどに変わるから
納得できるところまでやってみよう
そんなふうに思う方が
1人でも増えたら嬉しいです



