こんにちは、亜希です![]()
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《ちょうど1年前の記事です》
私は今、夫と子どもの家の近くに住み
別居親として
週の半分くらいを
夫宅で過ごす生活をしています
別居のきっかけは、子どもの連れ去りで
当初、夫宅の住所は秘匿とされていました
(すぐに分かりましたが…)
夫婦の不仲は裁判を経て
悪化するばかりで、壊滅的な状態になり
連れ去り先の夫宅に私が入ることは
夫も想定していなかったし
私自身も、入りたくも見たくもなかったです
それから月日が経って
夫宅に私が入ることになったのは
今から1年前
UMIに出会って1年半が過ぎた頃でした
入りたくも、見たくもない家に入る
本当に怖かったのです
何が怖かったかというと
家の中には、きっと
私が子どもと会えない間に
夫と子どもが日常を過ごした
証拠のようなものがたくさんあって
私ができなかったこと
それを夫がやってきたこと
私が存在しなくても成立した時間や
私がいない子どもの思い出
家に入ってしまえば、私自身
それらに囲まれてしまう気がして
囲まれたら、平静では居られない気がして
怖くてたまらなかったのです
怖い、緊張する、どうしよう
そんな気持ちを抱えた状態のまま
私は夫宅に入りました
でも、実際には…
私の知らないものと同じくらい
私の知っているものがたくさんありました
私がプレゼントしたぬいぐるみ
私が買ったおもちゃ、本、服など
たくさんというか、目立つ場所の
いたるところに見覚えのあるものがあって
拍子抜けしたのです
1番びっくりしたのは
以前、子どもに送ったちょっとしたプレゼントに添えたメッセージカードが
机に丁寧に飾られていたこと
嬉しくて心が震えました
別居親あるあるなのかもしれませんが
私は過去に、子どもに
無視されたり避けられたりこともあります
私と子どもだけの時と
夫がいるときで態度が変わる
私の場合は、裁判が私に有利に傾くたびに
子どもたちが同居親の影響を受けていました
裁判はどちらが親として相応しいか
言葉の殴り合いをやっているような感覚で
裁判を経て、私は盛大に傷つき
癒しても癒しても
簡単にはなくならない深い傷が
私の意識には残りました
夫宅に入れば
お前なんかいなくてもやっていける
お前なんて必要ない
と見せつけられるのではないか
また傷つくことになるのではないか
そう思えて怖かったのです
けれども、私の目の前には
部屋のいたるところに
私と子どもの思い出がいる
私は、その時に理解しました
たとえ、そばにいなくても
たとえ、何もできなくても
たとえ、自分の愛情を直接届けられなくても
母親として
子どもに何をできているかではなくて
母親は存在するだけで
子どもにとっては母親なのですね
あぁ、なんだ
私はいつも子どもの中に居たんじゃん
母親代わりはいても
母親は変えられない
どんな母親でいるかではなくて
もうすでに母親なんだ
そのことがやっと腑に落ちたのです

その1年後、今の私は
鍵も自分で開けて自由に出入りしつつ
今週の半分を夫宅で過ごしています
夫婦の不仲も親子関係も人間関係も
生きづらさ、自分嫌いも
すべて繋がっているから
ぐるんとまとめてひっくり返りました
時間はかかりました
自分に向き合うのがつらい時期もありました
でも、信じてやり続けてよかったと
心から思っています
先日UMIの仲間から、私の変化を
もっとブログに書いてもいいんじゃない
と言ってもらいました
当初の私なんて
捉えグセも多く感情も溜め込んでいて
それはそれはひどいものでした(苦笑)
そう言えるようになったのは
自分をディスっているのではなく
感謝と愛情から来る頑張ってくれた
自分への思いからです
私の経験が
《何かを変えたい》
《今の現実から抜け出したい》
そんな方の背中を押す
きっかけの1つになれたなら
それほど嬉しいことはないと思います
自分が納得する人生を生きる方が
1人でも増えたら嬉しい
と思っています
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