こんにちは、亜希ですハート




ふと誰かと比較している自分に気づいて


私は誰かに認められたいんだなと思いました




心とか意識のことを書いている側なのに


こんなことを書くのはどうなんだろうと


一瞬よぎりましたが




でも、これが今の私なのです




過去の私は、誰かと比較しながら


できるようになりたい、何かを手に入れたいともがきながら




別の誰かに、何かすごい人に、何かを成し遂げたら、、


この生きづらさから逃れられるのではないか


抜け出せるのではないかと思っていました





そうやって生きてきて


自分の仕組みを知り、私が大事にしてきた考えや思いを知り


それでもいいし、それ以外でもいい


少しずつ視点を広げることで、生きづらさを解消してきました




認められたい気持ちを緩めてはきたけれど、無くなるわけではなくて


もう少し緩めていきたいけれど


今の私はまだ、誰かに認められたい




そうだとしたら、誰に認められたかったの?


それは、やっぱり自分の母親なのです




認められたかった


褒められたかった


もっと褒められてもよかった




子どもたちを見ていると


見て!聞いて!褒めて!そう言ってもよかったのだな、と思いながら


私はどこかで言うことを諦めてしまったな、と思います




どんな私でも、見て、聞いて、褒めてもらってよかったはずなのに


親がそうしてくれないのは


私の努力が足りないからだと思い込んでいました



認めてほしい私に気づかない母に


まず自分の気持ちを伝えることをしてもよかったのに



忙しそうだから、大変そうだから、邪魔をしてはいけないから


気づいてもらえないのは私の努力不足で




私さえ頑張ってもっといい結果を出せば


いつかきっと気づいてくれるはず


子どもの私はそう信じて疑わなかったのですね




頑張ることを繰り返すのに、本当に欲しいものが手にはいらない


それは私の頑張りが足らないせいだと責めることをループしてきました




でも、、



私が目指す目的に届くかどうかは、自分次第ではあるけれど


相手が認めてくれるかどうかは、自分次第ではないのです




誰かの私に対する評価や判断は、私がダメだからでも努力不足ではなくて


相手は私とは視点も違えば、背景も違って、その時はそう言った(思った)だけで


相手には相手の事情があります




認められたいのに認められない理由を、自分のせいにしていたけれど


今私が私にできることは、認められたかった自分に気づいて


自分で自分を認めることだと思います




認められたかったね


認められない気がすると自分の努力不足のように感じるね


でもそれは、相手次第なんだよ


これからは、認められるために頑張らなくてもいいよ




これからは、自分のために

やれること・やりたいことをやっていこう





認められたい欠乏感をエネルギーに頑張ってきた過去の私がいて、今の私があるのだから


それは私の一部であり続けます




どこかに追いやるのではなくて、そんな私をそのまま受け入れて進んでいく


今はそんなところを目指しています




自分の努力量みたいなものが大きいことに気づいたのは


UMIで出会ってきた仲間のおかげです




ずっと足らないと思ってきたので(笑)


自分には当たり前すぎて見えないのです




最後まで読んでくださり

ありがとうございますお願い




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※名前を《せり》から変更しました