きょうだい児で
子の連れ去りにあった別居親で
子どもに会えませんでしたが
UMIに出会い、人生と生き方が変わりました
今は小児がんで入院する子どもと
きょうだいのために夫と協力しつつ
カウンセラーの勉強をしています
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私、お話を聞いていて思うんです
せりさんが本当に子どもらしく
(親に)甘えられた時間って
どれくらいあったのかなって
ほとんど無かったんじゃないかと思うんです
4回目になる先輩カウンセラーとの
カウンセリング(私が受ける側)で
そんな風に言われました
相談なんてしない、自分で解決する
心配も迷惑も掛けたくない
役に立たなければ
困った人は助けなければ
そんな気持ちで、それが当たり前だから
何も疑問を持たずに生きてきました
重度自閉症のきょうだい児だということ
典型的な優等生だったこと以外
ブログにはあまり書いていませんが
ただ、ずっと生きづらかったです
でも、自分のことしかわからないから
私が悪いとか、努力が足りないとか
みんなこんなもんだとか
誤魔化しながら、来たんですね
けれども、それ以外の考え方や捉え方がある
それが分かると見えてくるものがあります
我慢しなくてよかった
1人で解決しなくてよかった
できない、やりたくないと言ってもよかった
寂しい、苦しい、つらい
ありのままを感じてよかった
不平不満も言ってよかったし
分からないを答えにしてもよかった
できる私、心配かけない私
手のかからない私、親の自慢の私
〇〇な私
結果、そうなることは
あるかもしれないけど
どれも要らなかったし
どれも目指さなくてよかった
そうでなければ、愛されない
嫌われる、ダメだと思われる
その思い込みがますます厳しくなって
どんどん追い込まれていきました
今までの考え方や捉え方を手放していくと
そこに隙間ができて
別の考え方、捉え方が入ってきます
嫌われると思っていたけど
そうじゃなかった
酷い扱いだと思い込んでいたけど
相手なりの愛だった
最初は、え?嘘でしょ、みたいなものから
そうかもしれない、になって
だんだんそれを裏付ける証拠が見え始めます
これも、あれも、それも
見えなかっただけで、愛情だったんだ
みたいなことが起こり始めます
私、受け取り拒否がひどいんです
例えば、私の親が孫(私の子ども)に
してくれたことって山程あって
それってどう考えても
私(娘)のためなんですよね?
(まだ疑ってますw)
私を応援していて力になりたいから
ずっと疑う余地なく
孫に会いたいからとか、可愛いからだと
思っていました
私の中であり得なかったんです
私の為だなんて
心配や迷惑をかけたらいけない
と思い込んできたので
親が私を心配したり気にかけたりするなんて
私の中であり得ないことになります
だから、UMIを受けて言われるまで
気づかなかったし、最初は拒否しました
そんなはずが無い、と
理解したくなかったんです
心配される=私はダメ、になっていたので
心配されていることを理解することは
私はダメだと認めることになりますからね
無自覚から自覚し始めて
心配をかけてはいけないなど
自分の中のルールを緩めて
今は、少しずつ受け取れるものは
受け取るようにしています

自分が愛されるはずがない
それは、私の思い込みでした
貴方様は、どうでしょうか
私は今、過去を見直しています
見えなかったもの、気づかなかったことを
受け取ることを始めました![]()
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過去の私が諦めずに続けてくれたから
ここまで来られました![]()



