六歳になる年、幼稚園に通うことになった。1年保育だった。近所の子供は皆、その前年までに幼稚園に通っていた。
が、私は、幼稚園に行きたくない、と祖父に頼んで、行かずに済ませていた。
そんな中、祖母が「幼稚園に行ってもらえんかね!?」と時々、私に言っていた。
そして祖母は、ついに「バスの定期を買ってしまったので、とりあえず、その間だけ幼稚園に行ってくれんね!?」と、私がいやとは言えない状況を作ってきたのであった。
それで仕方なく、祖母の選んだ幼稚園に行くことにした。そこは、近所のみんなが行く幼稚園ではなかった。
その幼稚園に初めて行き、園長先生との面接があった。園長先生が、「お名前は!?」と、私に聞いてきた。私は、??、と思った。そして、指をさしながらこう答えた。「そこに書いてあります。」と。
すると園長先生は、「そうじゃないでしょ、ちゃんと答えなさい!!」と私に言った。祖母は私の直ぐ後ろに座っていたが、私には何も言わなかった。
以来、園長先生とは、たった1年間という短い期間だったが、度々話をすることになったのである。おそらく、当時の全園児の中では最高回数であったに違いない。
園長室に呼ばれて行った時、園長先生は、「聖書」の何某かのページを必ず私に朗読させた。私には意味はよく分からなかったが、園長先生の言いたいことは分かるような気がしていた。
それは、「ここは共同の場だから、それに歩調を合わせて過ごして欲しい。あなたがみんなに合わせるしかないのだから。」、というものだったのではないかと。
私はいつの間にか、園長室に呼ばれて園長先生と話をするのが楽しみになっていた。行きたくない、と思っていた幼稚園であったが、この「園長室呼び出し」のおかげで、まぁまぁ行けるようになっていたのである。
6月になった。第3日曜日=父の日参観日で、幼稚園に行った。もちろん、私には、父は既にいなかった。大勢の園児は、自分の父親に手を振ったりしていた。私は、祖父母にこなくてもいいから、と、一人で幼稚園に行っていた。
参観授業の中で、先生が目を閉じている園児の一人に目隠しをして、手拍子をする父親の所に行く、というものがあった。
何番目だったろう。私が目隠しをされたのである。私はとっさに先生に小さい声で、「僕の家は誰も来ていません。」と言った。
それを聞いても先生は私の背中を押した。私は手拍子のする方へ歩かざる得なくなってしまった。
手拍子のする方へ行くと、がばっと私は抱きかかえられたのである。急いで目隠しを取ってみると、見たことのないおじさんが私の頭を撫でてくれていた。
後に分かったことであるが、そのおじさんは、園長先生のご主人(園のオーナー)だったのである。
園長先生は、私の家庭環境と、私が祖父母にこなくてもいい、と言って、当日誰もこないことを知り、私の父親代わりになってくれるように、ご主人に頼んでくれていたのであった。
さらに、園のオーナーと祖父は、実は知り合いだったのである。このことは、だいぶ時間がたってから知ることになったのであるが、そのことに関わるエピソードは、またの機会にしたい。
「父の日」の思い出は私にはないけれども、父もかつて通った幼稚園で、その父を指導していた園のオーナーの『腕の中』に抱かれることで、私は、間接的に亡き父に触れることができたような気がした。
園長先生、素敵な「父の日」をどうもありがとうございました♪
<対応年代:幼少>