第34話((食)) | **我が人生の旅路**

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                     英 満(はなぶさ みつる)

 祖父母との三人の食卓、それはいつもいたってシンプルなものであった。
 食事の前には、祖父の話が必ずあって、その話が終わらないとご飯を食べることができなかった。
 今思えば、その後大きくなった私が社会で生きていく上でためになる話をしていてくれていたのであるが、当時の私にとっては、早く終わらないかなぁ、といったしろものの話であった。
 ご飯のおかずは、祖父母が一品で、私はそれにもう一品の二品がおきまりだった。
 いつだったか覚えていないが、祖母に「どうして僕だけおかずがもう一つあるん!?」、と尋ねたことがあった。
 すると祖母は、「○さんは、これから大きくならないかんけ一つ多いと。おじいさんと私はもう大きくならんけ一つでいいと。」、と答えてくれた。
 私は、そうなのか、と納得した。そして、自分もやがて大きくなったらそうしていくんだろうな、と思った。
 両親のいる家庭ではこのような食事環境ではおそらくないのかもしれないが、私にとってはこの環境であったが故に今の自分を構築することができたと思う。
 なぜなら、もし私が他の人と同じような環境であったならば、この歳で今のような生活を送れるようになっていたとは、とうてい思えないからである。
 「粗食」という言葉をあえて使わせてもらえば、私にとっては、「粗食」が普通であり、その生きるに値する食事を美味しいと思えて食べられるように育ててくれた祖父母に感謝している。
 外食など殆どなかったけれど、毎日祖父母の顔を見ながら食事をすることで、私は心の安らぎを得ていたのだと思う。それは、「心の栄養」をそこで十分にとることができていたからではないかと思うからである。
 そう、「心の栄養」はいくら摂りすぎても肥満になることはない、素晴らしいものであり、心は頭へと繋がり、多くの教養というおかずを次々にたいらげていくことを可能たらしめる基になっているに違いない。
 子供の頃から美味しいものをあまり知らず、大人になった後も食べることもなくやり過ごしてきた感はあるが、教養という中々消化しにくい食べ物は、他の人よりは多めに食してきたと思うのである。
 教養というおかずを消化して、「知恵」というエネルギーをこれからも使い、一人でも多くの人に役立てるよう努めていけたら幸いである。
<対応年代:幼少~10代>