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前回、高校野球の代打の際に審判が行う事について書きましたが、本来は美談にしてはいけないのではないかと思ってます。
それは駅伝でもありましたが、故障等で競技続行が不可能と言っても良いのに、這ってでも襷を繋ごうとする行為があったかと思います、心を打たれた人もいらっしゃると思います、美談で終わってしまってはいけないことだったと思います。
また高校野球では佐々木郎希選手に連投させず、結果甲子園出場を逃した格好になりました監督には賛否両論あったかと思います。元プロ野球の選手ですら投げさせるべきだった、特に本人が投げたいと言っているのだから、などと言ったコメントをしていました。
さて、スポーツとは一体何なのでしょうか?
スポーツマンシップ協会の定義ではスポーツは
運動(身体活動)+ゲーム(ルール+競争+遊び)
=Good Gameをめざしてプレーする身体活動
です。
赤ちゃんが身体を動かしている様をスポーツをしているとは誰も言わないでしょう。筋トレをしている人を見ても同様です。運動だけではスポーツとは言いません。運動にゲームの要素が加わって、つまりは勝敗、競争が加わってこそスポーツです。
しかしながら、スポーツの起源は貴族の遊び、などが発端でもあり、その遊びに勝敗をつけるのは卑しいとされた背景があります。なので、スポーツは勝敗があるものの、それにはこだわらない、という二面性があるわけです。
どうも日本のスポーツ界はそこがすっぽり抜けている気がします。スポーツをまるで「道」のように、それが全て、全てを犠牲にしてこそ価値がある、美しい、みたいな。本当は遊び、でもあるのに。
スポーツはそもそも誰のためにあるのか?
間違いなく、やりたい人のためにあると思います。そこには上手い下手なんてありません。
プロスポーツであっても、確かに上手い人ばかりで競争しているわけですが、本来は遊び、娯楽、の面もあるわけです。だから「楽しもう」というような事も言えるのです。
育成年代であれば尚更、やりたい人が楽しめるように、という価値観が優先されてもいいと思うのですが。
決して経済的価値、つまり学校などの宣伝効果などを担うべきものでは無いと思います。ですから、本当は補欠とか代打だけ、とかではなく、できればやりたい人が全員等しくプレーできる場、環境が整ってくれれば、と思います。それは全員が同じ試合で等しく出場するべき、などと視野の狭いことを言っているわけではありません。
プロに行きたい選手は選考される場を設けても良いのではないかと思うのですが。