旅立ちました
長らくブログを更新出来ず、みなさまにはご無沙汰しております。
長年病気と戦ってきた父親が先月末に旅立ちました。
平均寿命までは時間があり、まだまだ一緒に居てくれると思っていました。
家に帰ると 「おかえり」 と迎えてくれた父親がもういません。
話したいことがたくさんあるのに、これまで話していた父親がいないと思うと涙が出ます。
入退院を繰り返していたので、退院して家に戻ってきてくれないかなと思ってしまいます。
父は肺の難病で、私はその病名を聞いてもどんなものなのかが理解できませんでした。
大学病院で診てもらっていたので、お医者さんがなんとか治してくれるだろうと思っていました。
現代医学では病気の進行をわずかに遅らせることしか出来ず、今年に入って在宅酸素療法をはじめました。
最初は酸素を機械で取り込めるので安心していましたが、しばらくすると酸素を
機械で取り込んでも息苦しそうに胸をさするようになりました。
元気なときは家の中に父親の声が響いていたので、
「おとうさん!声でかいよ!」
とよく言っていたものですが、今はその大きな声がもう一度ききたいです。
父はどんなに辛い状態でも、「とうさんはいいから先に風呂に入れ。とうさんは後でいいから。」
と言い、ケーキを買ってきたときは 「みんなが好きなものを食べて。とうさんは残ったのでいいから。」
と何より家族が先で、自分は最後にしていました。みんなが心配して
「おとうさん遠慮しないで体がつらいんだから」 と言っても 「いいからいいから。」 と笑顔でした。
何より病気がちだった母のことを心配して
「とうさんは、かあさんを最後まで看取ってからいくから。とうさんは100歳まで生きるぞ!」
と度々口にしていました。父は母のことが大好きで、いつもうれしそうに 「おかあさん、おかあさん」
と声を掛けていました。お見舞いにきてくれた父のお兄さんの話では、父は母との結婚を決意したときに
「この人と結婚できないなら家族の縁を切る!」
とまで父の両親に言ったそうです。今年に入ってから、父は倉庫の中を必死になって何かを探し、
結婚式の写真を手にして出てきました。その写真を見てとても大事なものを見つけたという様子で
「あったよ~!」 と長い間うれしそうに目を細めて写真を眺めていました。
数年前に私が 「家族旅行にいかない?」 と誘ったときには、病気のためか 「とても行く気持ちになれない。」
と言っていた父親が、「今年は旅行に行くんだ。」 と何度も言うようになりました。
それが実現するのも間近と思っていたのですが、6月初めに救急車で運ばれ、私が病院に行ったときには
寝たきりの状態で、ほとんど口も聞けない状態でした。
今年は資格を生かして一部講義が出来ることになったので、意識もうつろな父に
「お父さん、講義が出来ることになったんだよ!」
と報告しました。呼吸が苦しく返事が出来ない父親は、左手の人差し指と親指で、グッ!のポーズをしてくれました。
父は講義が出来るようになることをずっと応援してくれていましたので、
「講義が出来るようになったのもお父さんが応援してくれたおかげだから!」
と父親の耳元で話すと、うなずいてくれました。病院から帰りましたが不安でいっぱいでした。
その週は特に仕事が忙しく、仕事に追われている最中に病院から携帯に電話が入りました。
「お父さんの血圧が低下しています。急いでご家族で病院に来てください。」
看護士さんの必死な声が響き、絶望と祈るような気持ちで会社を飛び出し病院に向かいました。
途中携帯で家族と連絡を取り、病院に到着しました。
病室に行くと、そこには目を閉じて苦しそうに呼吸をしている父の姿がありました。
「お父さん!お父さん!」 と呼びかけても返事はありません。
看護士さんから、もう会話をすることは出来ないと告げられ、「お父さんとおしゃべりがしたい!」
と大声で泣きました。話せなくなる日がくるとは思いもしませんでした。
それでも最後まであきらめたくないと、紫色になった父の足をずっとマッサージしました。
「お父さん、元気になったら旅行に行こうね。」 「沖縄でよく行っていたブルーシールアイス食べようね。」
とずっと話しかけていました。父は集団部屋に居たのですが、ずっと話しかける私に
看護士さんが気を配って特別に医務室に父を移動してくれました。
点滴でむくんだ手足を少しでも楽にしたいと、妹と交代で父をマッサージし続けました。
返事はなくても、父に話しかけました。元気なときには恥ずかしくてなかなか言えなかった言葉
「有難う」 「お父さん大好きだから」 を繰り返し言いました。
同じ病気を持つ患者さんのご家族の方が、帰り間際に私に
「どうか無理をなさらないで下さいね。ご家族が倒れられたら大変ですから。」
と声を掛けてくれました。「有難うございます。お気をつけてお帰りください。」 と私が言うと、
にっこりと笑って帰っていかれました。
父が意識不明になって2日目、マッサージをしながら話しかけていると、父親の口が動きました。
明らかに何かを伝えようとしています。しかし声を出す力も残っておらず、父親が何を伝えたいのか
残念ながら分かりませんでした。ただ、父親が一生懸命伝えようとしてくれていることを無駄にしたくなくて
「お父さん、有難う。気持ちは伝わったよ。」 と言いました。
父のお兄さんが病気の中、4時間もかけてお見舞いに来てくれました。
「お父さん、お兄さんがきてくれたよ。」 と話しかけると、お兄さんは、
「いや、いいんだよ。疲れているんだ。そっとしてあげて。」 と言っていました。
そして父の手をやさしく触りました。お兄さんといとこが来てくれたので、にぎやかな病室となりました。
父もなつかしいお兄さんの声にほっとしたのではないかと思います。
3日目、父の日を迎えられたことに感謝をし、父の着替えにと水色の甚平をプレゼントしました。
意識のない父親の手をとり、甚平に触れさせました。
「お父さん、いつもありがとう。父の日のプレゼントだよ。やわらかい生地だから着心地がいいよ。」
と話しかけました。父に数年前にも甚平をプレゼントしたことがありますが、父はとても大事にしてくれました。
マッサージをしながら父に話しかけていると、父は体を震わせました。
体の力を振り絞り 「あ」 と言いました。
全身全霊の一言でした。
元気だったときの父親が話していた会話の中の 「あ」 と同じでした。
「お父さん、ありがとう!お父さんの声が聞けてうれしい!最高のプレゼントだよ。」 と大声で言いました。
「お父さんは元気になっているから、後はあせらず回復させようね。」 と話しかけました。
すると、意識のない父親が、呼吸を吸うのも苦しい中、
ハッ ハッ スゥー ハッ ハッ スゥー
と二酸化炭素を吐き出す動作をしはじめました。それを見て私は 「お父さんえらいよ!がんばってるね!」
と呼びかけました。この二酸化炭素を吐き出す動作に、父親が生きようとしているのがはっきり分かりました。
--------------------------------------------------------------------------------------
この一週間前、機械による酸素注入は、酸素が体に取り込める半面、肺の機能が著しく低下している
状態では二酸化炭素が吐き出せず、二酸化炭素が体に溜まると先生に言われました。
二酸化炭素が体に充満すると意識が薄れていくと先生から告げられたのです。
それを聞いたときは絶望の淵に突き落とされましたが、あきらめてはいけないと父親の病室に行き
「お父さんの肺は悪くなっていないけど、二酸化炭素を出さないと元気になれないから、
今は辛い状態だけど、ちょっとでも二酸化炭素を体から出してね。」
と父に伝えました。それを聞いた父親は一生懸命二酸化炭素を吐き出そうと
ハッ ハッ スゥー ハッ ハッ スゥー
と二酸化炭素を出す努力をしてくれました。父にとってそれは苦しかったに違いありません。
--------------------------------------------------------------------------------------
父が生きようとしてくれている。
父が元気になるまで毎日マッサージをして父を支えようと思いました。
この日は20時まで父に付き添い、病院から駅までの送迎バスで駅に向かいました。
20時最終バスに乗ったのは私一人でした。
運転手さんが、「遅くまで勢が出ますね。お疲れ様でした。」
と声を掛けてくれました。父のことで不安がいっぱいだった私は、運転手さんに
「父がもう意識がないのです。出来ることをしてあげたくて。」 と返事をしました。
「それは申し訳ないことを聞きました。」 と運転手さんが申し訳なさそうに言っているので、
「いえ、誰かに話したかったので、話しかけてもらえてうれしかったです。」 と答えました。
運転手さんは、
「看病していると相手のことを考えて自分のことを忘れがちですが、ご自身を大事になさってください。
このことを頭の片隅にでも入れていただければ。」
と言ってくれました。とても思いやりに溢れた言葉に涙がにじみました。
家に戻り、父親の状態は安定していると母、妹、弟に伝え、みんなで安堵しました。
そのあと疲れきって寝入りました。
夜中の15時、家の電話がなりました。
まさか、おとうさんが・・・
あまりの絶望に血の気が引きました。
弟が電話をとった後、「とうさんの血圧がさがってる!どうしよう!看護士さんの声があきらかに動揺している。」
と愕然と叫びました。みんなで病院に向かうため、タクシー会社に電話をしましたがつながりません。
「大通りに出よう!タクシーがくるかもしれない。」
服に着替え、母親を私と妹が支えるようにして歩きました。母親は普段ほとんど歩けない状態ですが、
このときは今までになく歩きました。大通りに出てもタクシーは通らず、弟が駅に走っていきました。
祈るような気持ちで待っていると、駅の方向からタクシーが走ってきました。弟がタクシーをひろってきたのです。
タクシーに乗り込み病院に向かいました。タクシーの運転手さんは事情を察し、急いでくれました。
緊急入り口から入り、父の病室にかけこみました。
父親は酸素マスクをつけ、苦しそうに息をしています。
若い看護士さんが、「お呼びしてすみません。」 と言いましたが、そのときは父がまだ大丈夫なことに
ほっとして、「呼んで頂いてよかったです。父も大丈夫なほうがよかった。」 と返事をしました。
みんながぐったりと椅子に座り込んだとき、父の血圧が急激にさがりはじめました。
数日前、看護士さんから 「血圧が急激にさがったら危ないです。」 と言われたことが頭をよぎりました。
まさか、このときが・・・ 信じたくない!
必死に父に呼びかけました。
「お父さん!お父さん!お母さんもそばにいるよ!」 「お母さんお父さんに呼びかけてあげて!」
みんなで父の手をにぎり呼びかけました。
「だめだ脈がない!」 弟が叫びました。 血圧は0になりました。
母が 「お父さん・・・」 と声をかけると、血圧がわずかに上がりました。
父が母の呼びかけに応えたのです。
看護士さんが 「すごい」 とつぶやきました。
それからまもなく父は息をひきとりました。
「とうさん、お母さんのことが本当に好きだったんだな。はっきりわかったよ。」
と弟が言いました。
「体をきれいにしますのでご家族の方は外でお待ちください。」
と看護士さんに言われ、団らん室に移動しました。
そこだけ大きな窓がありましたが、外は霧で包まれていました。喪失感でいっぱいで
霧を見ていると、今の気持ちを表しているように思いました。
窓に次第に近づいていくと、そとから光が差し込み、まるで後光のようでした。
お父さんは逝ってしまったんだなと空を見て思いました。
あとになってその日がご来光であると知りました。
父が旅立って、会社でつらいことがあると、 「気にすんな!」 という父の声が内から聞こえてきます。
父と行った場所に行くと、父との思い出がよみがえり涙が出ます。
まだ父が元気だったときにもっと色々してあげればよかったと思う毎日です。
父が病気で苦しんでいたのに、どうしてもっと父に接してあげなかったのだろう。
もっと父が好きなことをさせてあげて、楽をさせてあげたかった。
出かけてばかりで自分のことしか考えない私に、父は 「お前はそれでいいんだ!」 と笑って言ってくれました。
どんな私でも父は受け入れてくれました。今になって本当にありがたみが分かります。
幽霊でもいい、もう一度父に会いたい、と思います。他の方のブログで、同じ病でお父様を亡くされた方も
同じことを書かれていました。ちゃんと父にお礼が言いたい。そして父が病室で私に伝えようとしていたこと、
それを父に教えてもらいたいです。
長くなりましたが、父のことを少しでも書きとめたくてここに記させて頂きました。
また父とのことを綴ることがあるかもしれません。夢から覚めると、父がいてくれないことに悲しむ毎日です。
長年病気と戦ってきた父親が先月末に旅立ちました。
平均寿命までは時間があり、まだまだ一緒に居てくれると思っていました。
家に帰ると 「おかえり」 と迎えてくれた父親がもういません。
話したいことがたくさんあるのに、これまで話していた父親がいないと思うと涙が出ます。
入退院を繰り返していたので、退院して家に戻ってきてくれないかなと思ってしまいます。
父は肺の難病で、私はその病名を聞いてもどんなものなのかが理解できませんでした。
大学病院で診てもらっていたので、お医者さんがなんとか治してくれるだろうと思っていました。
現代医学では病気の進行をわずかに遅らせることしか出来ず、今年に入って在宅酸素療法をはじめました。
最初は酸素を機械で取り込めるので安心していましたが、しばらくすると酸素を
機械で取り込んでも息苦しそうに胸をさするようになりました。
元気なときは家の中に父親の声が響いていたので、
「おとうさん!声でかいよ!」
とよく言っていたものですが、今はその大きな声がもう一度ききたいです。
父はどんなに辛い状態でも、「とうさんはいいから先に風呂に入れ。とうさんは後でいいから。」
と言い、ケーキを買ってきたときは 「みんなが好きなものを食べて。とうさんは残ったのでいいから。」
と何より家族が先で、自分は最後にしていました。みんなが心配して
「おとうさん遠慮しないで体がつらいんだから」 と言っても 「いいからいいから。」 と笑顔でした。
何より病気がちだった母のことを心配して
「とうさんは、かあさんを最後まで看取ってからいくから。とうさんは100歳まで生きるぞ!」
と度々口にしていました。父は母のことが大好きで、いつもうれしそうに 「おかあさん、おかあさん」
と声を掛けていました。お見舞いにきてくれた父のお兄さんの話では、父は母との結婚を決意したときに
「この人と結婚できないなら家族の縁を切る!」
とまで父の両親に言ったそうです。今年に入ってから、父は倉庫の中を必死になって何かを探し、
結婚式の写真を手にして出てきました。その写真を見てとても大事なものを見つけたという様子で
「あったよ~!」 と長い間うれしそうに目を細めて写真を眺めていました。
数年前に私が 「家族旅行にいかない?」 と誘ったときには、病気のためか 「とても行く気持ちになれない。」
と言っていた父親が、「今年は旅行に行くんだ。」 と何度も言うようになりました。
それが実現するのも間近と思っていたのですが、6月初めに救急車で運ばれ、私が病院に行ったときには
寝たきりの状態で、ほとんど口も聞けない状態でした。
今年は資格を生かして一部講義が出来ることになったので、意識もうつろな父に
「お父さん、講義が出来ることになったんだよ!」
と報告しました。呼吸が苦しく返事が出来ない父親は、左手の人差し指と親指で、グッ!のポーズをしてくれました。
父は講義が出来るようになることをずっと応援してくれていましたので、
「講義が出来るようになったのもお父さんが応援してくれたおかげだから!」
と父親の耳元で話すと、うなずいてくれました。病院から帰りましたが不安でいっぱいでした。
その週は特に仕事が忙しく、仕事に追われている最中に病院から携帯に電話が入りました。
「お父さんの血圧が低下しています。急いでご家族で病院に来てください。」
看護士さんの必死な声が響き、絶望と祈るような気持ちで会社を飛び出し病院に向かいました。
途中携帯で家族と連絡を取り、病院に到着しました。
病室に行くと、そこには目を閉じて苦しそうに呼吸をしている父の姿がありました。
「お父さん!お父さん!」 と呼びかけても返事はありません。
看護士さんから、もう会話をすることは出来ないと告げられ、「お父さんとおしゃべりがしたい!」
と大声で泣きました。話せなくなる日がくるとは思いもしませんでした。
それでも最後まであきらめたくないと、紫色になった父の足をずっとマッサージしました。
「お父さん、元気になったら旅行に行こうね。」 「沖縄でよく行っていたブルーシールアイス食べようね。」
とずっと話しかけていました。父は集団部屋に居たのですが、ずっと話しかける私に
看護士さんが気を配って特別に医務室に父を移動してくれました。
点滴でむくんだ手足を少しでも楽にしたいと、妹と交代で父をマッサージし続けました。
返事はなくても、父に話しかけました。元気なときには恥ずかしくてなかなか言えなかった言葉
「有難う」 「お父さん大好きだから」 を繰り返し言いました。
同じ病気を持つ患者さんのご家族の方が、帰り間際に私に
「どうか無理をなさらないで下さいね。ご家族が倒れられたら大変ですから。」
と声を掛けてくれました。「有難うございます。お気をつけてお帰りください。」 と私が言うと、
にっこりと笑って帰っていかれました。
父が意識不明になって2日目、マッサージをしながら話しかけていると、父親の口が動きました。
明らかに何かを伝えようとしています。しかし声を出す力も残っておらず、父親が何を伝えたいのか
残念ながら分かりませんでした。ただ、父親が一生懸命伝えようとしてくれていることを無駄にしたくなくて
「お父さん、有難う。気持ちは伝わったよ。」 と言いました。
父のお兄さんが病気の中、4時間もかけてお見舞いに来てくれました。
「お父さん、お兄さんがきてくれたよ。」 と話しかけると、お兄さんは、
「いや、いいんだよ。疲れているんだ。そっとしてあげて。」 と言っていました。
そして父の手をやさしく触りました。お兄さんといとこが来てくれたので、にぎやかな病室となりました。
父もなつかしいお兄さんの声にほっとしたのではないかと思います。
3日目、父の日を迎えられたことに感謝をし、父の着替えにと水色の甚平をプレゼントしました。
意識のない父親の手をとり、甚平に触れさせました。
「お父さん、いつもありがとう。父の日のプレゼントだよ。やわらかい生地だから着心地がいいよ。」
と話しかけました。父に数年前にも甚平をプレゼントしたことがありますが、父はとても大事にしてくれました。
マッサージをしながら父に話しかけていると、父は体を震わせました。
体の力を振り絞り 「あ」 と言いました。
全身全霊の一言でした。
元気だったときの父親が話していた会話の中の 「あ」 と同じでした。
「お父さん、ありがとう!お父さんの声が聞けてうれしい!最高のプレゼントだよ。」 と大声で言いました。
「お父さんは元気になっているから、後はあせらず回復させようね。」 と話しかけました。
すると、意識のない父親が、呼吸を吸うのも苦しい中、
ハッ ハッ スゥー ハッ ハッ スゥー
と二酸化炭素を吐き出す動作をしはじめました。それを見て私は 「お父さんえらいよ!がんばってるね!」
と呼びかけました。この二酸化炭素を吐き出す動作に、父親が生きようとしているのがはっきり分かりました。
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この一週間前、機械による酸素注入は、酸素が体に取り込める半面、肺の機能が著しく低下している
状態では二酸化炭素が吐き出せず、二酸化炭素が体に溜まると先生に言われました。
二酸化炭素が体に充満すると意識が薄れていくと先生から告げられたのです。
それを聞いたときは絶望の淵に突き落とされましたが、あきらめてはいけないと父親の病室に行き
「お父さんの肺は悪くなっていないけど、二酸化炭素を出さないと元気になれないから、
今は辛い状態だけど、ちょっとでも二酸化炭素を体から出してね。」
と父に伝えました。それを聞いた父親は一生懸命二酸化炭素を吐き出そうと
ハッ ハッ スゥー ハッ ハッ スゥー
と二酸化炭素を出す努力をしてくれました。父にとってそれは苦しかったに違いありません。
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父が生きようとしてくれている。
父が元気になるまで毎日マッサージをして父を支えようと思いました。
この日は20時まで父に付き添い、病院から駅までの送迎バスで駅に向かいました。
20時最終バスに乗ったのは私一人でした。
運転手さんが、「遅くまで勢が出ますね。お疲れ様でした。」
と声を掛けてくれました。父のことで不安がいっぱいだった私は、運転手さんに
「父がもう意識がないのです。出来ることをしてあげたくて。」 と返事をしました。
「それは申し訳ないことを聞きました。」 と運転手さんが申し訳なさそうに言っているので、
「いえ、誰かに話したかったので、話しかけてもらえてうれしかったです。」 と答えました。
運転手さんは、
「看病していると相手のことを考えて自分のことを忘れがちですが、ご自身を大事になさってください。
このことを頭の片隅にでも入れていただければ。」
と言ってくれました。とても思いやりに溢れた言葉に涙がにじみました。
家に戻り、父親の状態は安定していると母、妹、弟に伝え、みんなで安堵しました。
そのあと疲れきって寝入りました。
夜中の15時、家の電話がなりました。
まさか、おとうさんが・・・
あまりの絶望に血の気が引きました。
弟が電話をとった後、「とうさんの血圧がさがってる!どうしよう!看護士さんの声があきらかに動揺している。」
と愕然と叫びました。みんなで病院に向かうため、タクシー会社に電話をしましたがつながりません。
「大通りに出よう!タクシーがくるかもしれない。」
服に着替え、母親を私と妹が支えるようにして歩きました。母親は普段ほとんど歩けない状態ですが、
このときは今までになく歩きました。大通りに出てもタクシーは通らず、弟が駅に走っていきました。
祈るような気持ちで待っていると、駅の方向からタクシーが走ってきました。弟がタクシーをひろってきたのです。
タクシーに乗り込み病院に向かいました。タクシーの運転手さんは事情を察し、急いでくれました。
緊急入り口から入り、父の病室にかけこみました。
父親は酸素マスクをつけ、苦しそうに息をしています。
若い看護士さんが、「お呼びしてすみません。」 と言いましたが、そのときは父がまだ大丈夫なことに
ほっとして、「呼んで頂いてよかったです。父も大丈夫なほうがよかった。」 と返事をしました。
みんながぐったりと椅子に座り込んだとき、父の血圧が急激にさがりはじめました。
数日前、看護士さんから 「血圧が急激にさがったら危ないです。」 と言われたことが頭をよぎりました。
まさか、このときが・・・ 信じたくない!
必死に父に呼びかけました。
「お父さん!お父さん!お母さんもそばにいるよ!」 「お母さんお父さんに呼びかけてあげて!」
みんなで父の手をにぎり呼びかけました。
「だめだ脈がない!」 弟が叫びました。 血圧は0になりました。
母が 「お父さん・・・」 と声をかけると、血圧がわずかに上がりました。
父が母の呼びかけに応えたのです。
看護士さんが 「すごい」 とつぶやきました。
それからまもなく父は息をひきとりました。
「とうさん、お母さんのことが本当に好きだったんだな。はっきりわかったよ。」
と弟が言いました。
「体をきれいにしますのでご家族の方は外でお待ちください。」
と看護士さんに言われ、団らん室に移動しました。
そこだけ大きな窓がありましたが、外は霧で包まれていました。喪失感でいっぱいで
霧を見ていると、今の気持ちを表しているように思いました。
窓に次第に近づいていくと、そとから光が差し込み、まるで後光のようでした。
お父さんは逝ってしまったんだなと空を見て思いました。
あとになってその日がご来光であると知りました。
父が旅立って、会社でつらいことがあると、 「気にすんな!」 という父の声が内から聞こえてきます。
父と行った場所に行くと、父との思い出がよみがえり涙が出ます。
まだ父が元気だったときにもっと色々してあげればよかったと思う毎日です。
父が病気で苦しんでいたのに、どうしてもっと父に接してあげなかったのだろう。
もっと父が好きなことをさせてあげて、楽をさせてあげたかった。
出かけてばかりで自分のことしか考えない私に、父は 「お前はそれでいいんだ!」 と笑って言ってくれました。
どんな私でも父は受け入れてくれました。今になって本当にありがたみが分かります。
幽霊でもいい、もう一度父に会いたい、と思います。他の方のブログで、同じ病でお父様を亡くされた方も
同じことを書かれていました。ちゃんと父にお礼が言いたい。そして父が病室で私に伝えようとしていたこと、
それを父に教えてもらいたいです。
長くなりましたが、父のことを少しでも書きとめたくてここに記させて頂きました。
また父とのことを綴ることがあるかもしれません。夢から覚めると、父がいてくれないことに悲しむ毎日です。
レジェンドオブレガシークリアしました!
レジェンドオブレガシークリアしました!
クリア日数は134日とかなりかかってしまいましたね。
このゲームのよいところは、合間の時間で少しずつ進められるところです。
残念なのが、あまりストーリー性が感じられず、マッピングゲームになってしまったところですね。
クリアしても 「神人」 が一体なんだったのかがいまひとつわかりません。
強くてニューゲームがないところも惜しいです。
マップ上で強いアイテムが手に入って欲しかったですね。
色々要望はありますが、2週目入りたいと思います。
次はカエルのフィルミアで冒険します o(^▽^)o
クリア日数は134日とかなりかかってしまいましたね。
このゲームのよいところは、合間の時間で少しずつ進められるところです。
残念なのが、あまりストーリー性が感じられず、マッピングゲームになってしまったところですね。
クリアしても 「神人」 が一体なんだったのかがいまひとつわかりません。
強くてニューゲームがないところも惜しいです。
マップ上で強いアイテムが手に入って欲しかったですね。
色々要望はありますが、2週目入りたいと思います。
次はカエルのフィルミアで冒険します o(^▽^)o
レジェンド オブ レガシー
かなりお久しぶりのブログとなります (;´▽`A``
皆さまいかがおすごしでしょうか?
レジェンド オブ レガシーをかなりスローペースで続けております。
選んだ主人公は 「ミュルス」 精霊使いの青年です。
精霊使いはイラストイメージで、ビアンカのような気がしたので意外でした。
ミュルスを選ぶと、自動的にビアンカ、ガーネットが初期メンバーとなります。
他のメンバーも気になったのですが、ビアンカ→攻撃 ガーネット→防御
というバランスのよさに、そのままのパーティーで続けています。
ビアンカのような一見か弱そうな女の子がアタッカーという、サガの意外性を
そのまま受け継いだようなゲームとなっています。
サイン会のときに列に並んでいた人たちから 「しょっぱなから全滅した!」
という声が聞こえてきましたが、私もしょっぱなから全滅しました(爆)
これぞ、サガ。甘っちょろいゲームとは一味違います。
ゲームは、主人公ミュルスが、とある島に精霊が集まっているのを感じ、島に向かうことから始まります。
ストーリに沿って次々現れる場所に赴き、そこのマップを100%に仕上げていくシステムになっています。
100%に仕上げたマップはお店で高値で引き取ってもらえるのですが、
100%にならないマップを売ることも出来ます。その場合は安値の引き取りとなりますが、
マップを売った場所に冒険者が集まるようになり、全滅になったときには他の冒険者に
救出してもらえるという特典があります。
ようやく底なし窪地まで到達しました。
おそらく終盤だと思いますが、最後に何が待っているのか楽しみにしています。
皆さまいかがおすごしでしょうか?
レジェンド オブ レガシーをかなりスローペースで続けております。
選んだ主人公は 「ミュルス」 精霊使いの青年です。
精霊使いはイラストイメージで、ビアンカのような気がしたので意外でした。
ミュルスを選ぶと、自動的にビアンカ、ガーネットが初期メンバーとなります。
他のメンバーも気になったのですが、ビアンカ→攻撃 ガーネット→防御
というバランスのよさに、そのままのパーティーで続けています。
ビアンカのような一見か弱そうな女の子がアタッカーという、サガの意外性を
そのまま受け継いだようなゲームとなっています。
サイン会のときに列に並んでいた人たちから 「しょっぱなから全滅した!」
という声が聞こえてきましたが、私もしょっぱなから全滅しました(爆)
これぞ、サガ。甘っちょろいゲームとは一味違います。
ゲームは、主人公ミュルスが、とある島に精霊が集まっているのを感じ、島に向かうことから始まります。
ストーリに沿って次々現れる場所に赴き、そこのマップを100%に仕上げていくシステムになっています。
100%に仕上げたマップはお店で高値で引き取ってもらえるのですが、
100%にならないマップを売ることも出来ます。その場合は安値の引き取りとなりますが、
マップを売った場所に冒険者が集まるようになり、全滅になったときには他の冒険者に
救出してもらえるという特典があります。
ようやく底なし窪地まで到達しました。
おそらく終盤だと思いますが、最後に何が待っているのか楽しみにしています。