天国の父
おとといの夢で父親が出てきました。
父親が 「お風呂は大丈夫か?」 と聞いてきたので、風呂場を見て
大丈夫なことを確認しました。
父親のところに戻って 「大丈夫だったよ。」 と伝えると、父親は
「そうか。父さんは見に行けないからな。」
と返事をしました。その言葉を聞いて、私は父親がこの世にいないことを思い出し、
「そうだった・・・お父さんはもうこの世の人ではなかったんだ。」
と言い様のない悲しさに包まれました。
そして、夢の中の父親に、ずっと聞きたいと思っていたこと、
「お父さんは天国で幸せ?」
と尋ねると、父親は
「父さんは幸せだよ・・・」
と笑顔で言ってくれました。父親は光に包まれてまぶしくて、そこで目が覚めました。
妹にその夢のことを話しましたが、妹はその日に父親の夢を見ていないとのことで、
「それは、お父さんにそうあって欲しいという願望が夢に現れたんだよ。」
と言っていました。ずっと父親が天国で幸せでいて欲しい、転生して幸せになってほしい
と思っていましたので、願望が夢に現れたのかもしれません。
それでも父親に 「父さんは幸せだよ。」 と言ってもらえて救われた思いでした。
父親が 「お風呂は大丈夫か?」 と聞いてきたので、風呂場を見て
大丈夫なことを確認しました。
父親のところに戻って 「大丈夫だったよ。」 と伝えると、父親は
「そうか。父さんは見に行けないからな。」
と返事をしました。その言葉を聞いて、私は父親がこの世にいないことを思い出し、
「そうだった・・・お父さんはもうこの世の人ではなかったんだ。」
と言い様のない悲しさに包まれました。
そして、夢の中の父親に、ずっと聞きたいと思っていたこと、
「お父さんは天国で幸せ?」
と尋ねると、父親は
「父さんは幸せだよ・・・」
と笑顔で言ってくれました。父親は光に包まれてまぶしくて、そこで目が覚めました。
妹にその夢のことを話しましたが、妹はその日に父親の夢を見ていないとのことで、
「それは、お父さんにそうあって欲しいという願望が夢に現れたんだよ。」
と言っていました。ずっと父親が天国で幸せでいて欲しい、転生して幸せになってほしい
と思っていましたので、願望が夢に現れたのかもしれません。
それでも父親に 「父さんは幸せだよ。」 と言ってもらえて救われた思いでした。
四十九日
お盆の休み期間中に四十九日を迎えました。
親戚のお坊様が今の時期は忙しく、こちらに出てこれなかったのですが、
父親のお兄さんと、いとこが3時間半もかけてきてくれました。
父親の写真の前で、お兄さんはしばらく手を合わせてくれて
心の中で会話をしていたようでした。
いとこも長い間手を合わせてくれました。
その後はお父さんの写真の周りに、おじさんといとこ、家族そろって
おしゃべりをしました。お兄さんは埼玉の過疎地に住んでいて、
家が2件しかなくなり、近くのスーパーもなくなってしまったそうです。
父親は年に一度、クリスマスの時期にお兄さんの家に里帰りしていましたので、
父親もその場にいて一緒に話を聞いてくれているような気がしました。
しばらく談話をした後、お兄さんといとこは帰りましたが、
なんとも言えないさみしさがありました。
お盆は毎年滋賀県に行っていましたが、今年は家で過ごしました。
休みの間、市役所を行き来し、手続きに追われていましたので、
せわしないお盆だったと思います。
休みの間に整理をしていたら、父親の簡単な自伝のようなものが出てきました。
そこには、若いころから死を恐れていたと書かれており、いずれ死ぬことを
考えると怖いと書いてありました。それを書いたときにはまだ病気ではなかったので、
こんなに恐ろしい病気になってしまって、最後は苦しんで、死がこわかっただろうな
と想像すると、涙が出てきました。
転生についてこれまで深く考えたことはありませんでしたが、父親が生まれ変わって
今度は幸せな人生を送ってほしいと願わずにはいられません。
親戚のお坊様が今の時期は忙しく、こちらに出てこれなかったのですが、
父親のお兄さんと、いとこが3時間半もかけてきてくれました。
父親の写真の前で、お兄さんはしばらく手を合わせてくれて
心の中で会話をしていたようでした。
いとこも長い間手を合わせてくれました。
その後はお父さんの写真の周りに、おじさんといとこ、家族そろって
おしゃべりをしました。お兄さんは埼玉の過疎地に住んでいて、
家が2件しかなくなり、近くのスーパーもなくなってしまったそうです。
父親は年に一度、クリスマスの時期にお兄さんの家に里帰りしていましたので、
父親もその場にいて一緒に話を聞いてくれているような気がしました。
しばらく談話をした後、お兄さんといとこは帰りましたが、
なんとも言えないさみしさがありました。
お盆は毎年滋賀県に行っていましたが、今年は家で過ごしました。
休みの間、市役所を行き来し、手続きに追われていましたので、
せわしないお盆だったと思います。
休みの間に整理をしていたら、父親の簡単な自伝のようなものが出てきました。
そこには、若いころから死を恐れていたと書かれており、いずれ死ぬことを
考えると怖いと書いてありました。それを書いたときにはまだ病気ではなかったので、
こんなに恐ろしい病気になってしまって、最後は苦しんで、死がこわかっただろうな
と想像すると、涙が出てきました。
転生についてこれまで深く考えたことはありませんでしたが、父親が生まれ変わって
今度は幸せな人生を送ってほしいと願わずにはいられません。
閻魔様
明日は四十九日です。
七日ごとに審判があり、親族がお経を唱えることで、故人の善行が増えたことになり、
極楽浄土にいけるかどうかが決まるということを知りました。
明日は閻魔様の審判が下される日です。
妹の友達の占い師さんに、新宿御苑近くにあるお寺に閻魔様がいるので、
閻魔様のご朱印をお棺に入れてあげると極楽浄土にいけると教えてもらいました。
父親は今年になって、おそらくもう長くはないと感じていたのでしょう。
「極楽浄土」というタイトルで、自分の生まれ育った環境と、あの世について書き残していました。
それはわずか2頁弱のものでしたが、父親の全てがここにあるような気がします。
そこには父親の小さい頃に、近くの河原でご年配の方が「南無阿弥陀仏」と念仏を
唱えていたことが書かれていました。それが父親に強烈な印象を残していたようです。
父親の思い描いた極楽浄土、そこになんとしても行ってもらいたいと
閻魔様のご朱印をもらいに新宿御苑のお寺に行くことにしました。
お寺に行く前に、新宿の思い出めぐりをすることにしました。
新宿は、沖縄に行く前に暮らした場所です。
都庁よりも先に行くと公園があるのですが、小さい頃父親がその公園に
遊びに連れて行ってくれました。大きな滑り台があるのですが、
私は滑り台の上にのぼったものの、その高さにおどろいて
「こわいよ~」
と泣いてしまいました。父親は「大丈夫だから~」となだめてくれましたが、
滑れたかどうかは記憶に残っていません。
その後に、小田急ハルクで数段色の重なったソフトクリームを買ってくれました。
それがとても美味しくて、「おいしいね~」と父親と一緒に食べたことを覚えています。
久しぶりに、その公園を訪れ、滑り台を探しました。
なかなか見つからず、ようやく見つけたときには、「あれ、こんなデザインだったかな?」
と思いました。もしかしたら作り直されていたのかもしれません。
ただ、当時を懐かしく思って、上にのぼり滑りました。
思いのほかスピードが出て、大人でも迫力がありました。
ソフトクリームのお店に行きたかったのですが、小田急ハルクのソフトクリーム屋さんは
全てなくなってしまっていました。もう一度あの味を食べてみたかったです。
その後に新宿御苑に向かい、お坊様に閻魔様のご朱印を父親のお棺に入れてあげたい、
そうすると極楽浄土に行けると聞いたと話しました。お坊様は、「はじめて聞きました。」
と目を大きくされていましたが、りっぱな字で閻魔様の文字を書いてくれました。
お寺には閻魔様の像と、三途の川の亡者から衣服を奪うという老婆の像がありました。
葬儀の日に、父親のお棺に閻魔様のご朱印を入れました。
父親は父の日にプレゼントをした水色の甚平を着ていました。
さわやかな水色は沖縄の風景を思い出させ、父親が行きたがっていた沖縄に
今自由になって行けているといいなと思いました。
明日は極楽浄土に行けますように。
七日ごとに審判があり、親族がお経を唱えることで、故人の善行が増えたことになり、
極楽浄土にいけるかどうかが決まるということを知りました。
明日は閻魔様の審判が下される日です。
妹の友達の占い師さんに、新宿御苑近くにあるお寺に閻魔様がいるので、
閻魔様のご朱印をお棺に入れてあげると極楽浄土にいけると教えてもらいました。
父親は今年になって、おそらくもう長くはないと感じていたのでしょう。
「極楽浄土」というタイトルで、自分の生まれ育った環境と、あの世について書き残していました。
それはわずか2頁弱のものでしたが、父親の全てがここにあるような気がします。
そこには父親の小さい頃に、近くの河原でご年配の方が「南無阿弥陀仏」と念仏を
唱えていたことが書かれていました。それが父親に強烈な印象を残していたようです。
父親の思い描いた極楽浄土、そこになんとしても行ってもらいたいと
閻魔様のご朱印をもらいに新宿御苑のお寺に行くことにしました。
お寺に行く前に、新宿の思い出めぐりをすることにしました。
新宿は、沖縄に行く前に暮らした場所です。
都庁よりも先に行くと公園があるのですが、小さい頃父親がその公園に
遊びに連れて行ってくれました。大きな滑り台があるのですが、
私は滑り台の上にのぼったものの、その高さにおどろいて
「こわいよ~」
と泣いてしまいました。父親は「大丈夫だから~」となだめてくれましたが、
滑れたかどうかは記憶に残っていません。
その後に、小田急ハルクで数段色の重なったソフトクリームを買ってくれました。
それがとても美味しくて、「おいしいね~」と父親と一緒に食べたことを覚えています。
久しぶりに、その公園を訪れ、滑り台を探しました。
なかなか見つからず、ようやく見つけたときには、「あれ、こんなデザインだったかな?」
と思いました。もしかしたら作り直されていたのかもしれません。
ただ、当時を懐かしく思って、上にのぼり滑りました。
思いのほかスピードが出て、大人でも迫力がありました。
ソフトクリームのお店に行きたかったのですが、小田急ハルクのソフトクリーム屋さんは
全てなくなってしまっていました。もう一度あの味を食べてみたかったです。
その後に新宿御苑に向かい、お坊様に閻魔様のご朱印を父親のお棺に入れてあげたい、
そうすると極楽浄土に行けると聞いたと話しました。お坊様は、「はじめて聞きました。」
と目を大きくされていましたが、りっぱな字で閻魔様の文字を書いてくれました。
お寺には閻魔様の像と、三途の川の亡者から衣服を奪うという老婆の像がありました。
葬儀の日に、父親のお棺に閻魔様のご朱印を入れました。
父親は父の日にプレゼントをした水色の甚平を着ていました。
さわやかな水色は沖縄の風景を思い出させ、父親が行きたがっていた沖縄に
今自由になって行けているといいなと思いました。
明日は極楽浄土に行けますように。