2015年3月7日(土)立川シネマシティ(シネマ・ワン:東京都立川市曙町2ー8ー5、JR立川駅北口から徒歩5分)で、20:15~22:19 鑑賞。
作品データ:
製作年 2014年
製作国 日本
配給 ショウゲート
上映時間 119分
女性から人気を博した西炯子の同名コミックを、豊川悦司&榮倉奈々主演で映画化した大人のためのラブストーリー。仕事を辞め、祖母の田舎の一軒家で暮らしはじめた女性と、彼女の元に転がり込んできた歳の離れた大学教授との同居生活を描く。ラブストーリーや人間ドラマなど、人物描写に定評のある廣木隆一がメガホンを握る。
ストーリー:
東京で暮らしていた堂薗つぐみ(榮倉奈々)は仕事に打ち込みキャリアを積む一方で恋愛に苦しんでいた。疲れ果てた彼女は仕事を辞め、祖母のいる一軒家に移ってくる。ひっそりと田舎暮らしをするうちに、祖母が他界。そこへ、祖母から家の鍵を預かっていたという大学教授・海江田醇(豊川悦司)が現れ、半ば強引に離れに住み始める。海江田から好意を寄せられ戸惑うつぐみだったが、次第に彼と向き合っていく…。
■私感:
すぐれて豊川悦司(とよかわ・えつし)が演じる「哲学」教授・海江田醇の存在感が際立つ映画だ。
彼は知的な感じとワイルドな感じが常にせめぎ合う、大人の男の色気を湛えた、個性的なキャラクター。
彼は榮倉奈々が演じるヒロイン・堂薗つぐみに向かって、関西弁で胸をひっかきまわすような台詞を臆することなく言い切る。例えば、
「君、そこそこキレイやのに、手入れしてへんな」
「練習や思うて僕と恋愛してみなさい」
「君は自分を大切にしなさ過ぎや、腹立つ」
「君は頭は悪くないが、想像力が足らんなぁ」
豊川悦司(愛称はトヨエツ)は映画パンフ『娚の一生』』(編集・発行:松竹株式会社事業部、2015.2.9、税込価格720円)の中(Interview)で、海江田のキャラクター像について、こう述べている。
「海江田というのは、なかなか、今の映画界では成立しにくいキャラクター。リアリティもあるのに個性も持っている。なかなかいない、こういうキャラクターを自分が演じられるというのは、俳優として本当に嬉しかったですね。」
「好きなら好き、ダメならダメとはっきり言う、海江田のような強さは自分にはないかな。好きな人には嫌われたくないし、よく見られたい。だけど、海江田はどういうわけか、『よく見られたい』という思いが欠落しているような人なので(笑)。ただ、一心不乱に、無心につぐみのためを思って、行動するような人で、そこはある意味、無償の愛情で、親にも通じるものがあると思う。僕は好きな女の人に対して、そんなふうにできないかなぁ。」
海江田は私に言わせると、日本人には珍しい「個」が確立した人間だ。自分の考えや生き方にびしっと軸があり、譲らないところは絶対に譲らない。
彼にとって意思決定はあくまで彼個人が決定すべきもので、日本流の「いつのまにかこうなってしまった」、「なるべくしてなった」などという集団的な意思決定の仕方は無縁だ。
原作者の西炯子(にし・けいこ)は果たして、「近代化」に関する西欧vs.日本の思想的世界を構想しているのだろうか。人気コミックに、そんな系統的・構造的な思想性をうんぬんするだけヤボか…。
「阿吽の呼吸」「以心伝心」「言わずもがな」などという言葉で象徴されるような、 同質性の高い日本社会では一般に、いわゆる西欧流の「自己」(=主体的)決定が不在で、海江田のような、確固とした自己を主張する人物は特別な例外だろう。
▼予告編
2015年3月7日(土)立川シネマシティ(シネマ・ワン:東京都立川市曙町2ー8ー5、JR立川駅北口から徒歩5分)で、17:55~19:51 鑑賞。
作品データ:
原題 帰来
製作年 2014年
製作国 中国
配給 ギャガ
上映時間 110分
中国の名匠チャン・イーモウ監督によるせつない夫婦のドラマ。文化大革命後の70年代の中国を舞台に、心労から夫の記憶だけを失った妻と、記憶が戻る事を願いつつも他人を装い彼女にそっと寄り添う夫の姿を描く。夫婦役を演じるのは『HERO』のチェン・ダオミンと、イーモウ監督と約9年ぶりのタッグを組むコン・リー。
ストーリー:
1977年、文化大革命が終結。20年ぶりに解放されたルー・イエンシー=陸焉識(チェン・ダオミン)は妻のフォン・ワンイー=馮婉玉(コン・リー)と再会するが、待つ時間が長すぎたワンイーは心労のあまり、夫の記憶だけを失っていた。イエンシーは他人として向かいの家に住み、娘のタンタン=丹丹(チャン・ホエウェン)の助けを借りながら、妻に思い出してもらおうと奮闘する。収容所で書き溜めた何百通ものワンイーへの手紙を来る日も来る日も読み聞かせ、帰らぬ夫を駅に迎えに行く彼女に寄り添う。夫の隣で、ひたすら夫の帰りを待ち続けるワンイー。果たして、彼女の記憶が戻る日は来るのだろうか…?
■私感:
中国の文化大革命の際、多くのインテリ層が強制労働所に送られた。教授だったイエンシーも家族と引き離され、過酷な労働を強いられた―。
この文化大革命の悲劇は、私にとって他人事ではない。
(1)私の大学生時代に隣国中国で燃え盛る「文化大革命」をめぐって、私はゼミナールの学友たちとそれこそ口角泡を飛ばして、長期間論じ合ったものだった。
(2)私は1999年、ニューヨークで図らずもJoseph Loh(祖輝羅)に出会った。
彼の両親は「文化大革命」時に中国を脱出し、イギリス→カナダを経てアメリカ・ニューヨークに亡命。Lohはイギリス・ロンドンで誕生、私と会った折はコロンビア大学の研究助手を務めていた。
彼と私は1999年から翌年にかけて週に1回、カフェで2時間ばかりの語り合いの機会を持った。それは、主として彼が私に英語を、私が彼に日本語を教え合った、楽しくも有意義ないっときだった。
彼は中国語にほとんど不案内で、英語についてはネイティブスピーカーのそれだった。
▼予告編
作品データ:
原題 帰来
製作年 2014年
製作国 中国
配給 ギャガ
上映時間 110分
中国の名匠チャン・イーモウ監督によるせつない夫婦のドラマ。文化大革命後の70年代の中国を舞台に、心労から夫の記憶だけを失った妻と、記憶が戻る事を願いつつも他人を装い彼女にそっと寄り添う夫の姿を描く。夫婦役を演じるのは『HERO』のチェン・ダオミンと、イーモウ監督と約9年ぶりのタッグを組むコン・リー。
ストーリー:
1977年、文化大革命が終結。20年ぶりに解放されたルー・イエンシー=陸焉識(チェン・ダオミン)は妻のフォン・ワンイー=馮婉玉(コン・リー)と再会するが、待つ時間が長すぎたワンイーは心労のあまり、夫の記憶だけを失っていた。イエンシーは他人として向かいの家に住み、娘のタンタン=丹丹(チャン・ホエウェン)の助けを借りながら、妻に思い出してもらおうと奮闘する。収容所で書き溜めた何百通ものワンイーへの手紙を来る日も来る日も読み聞かせ、帰らぬ夫を駅に迎えに行く彼女に寄り添う。夫の隣で、ひたすら夫の帰りを待ち続けるワンイー。果たして、彼女の記憶が戻る日は来るのだろうか…?
■私感:
中国の文化大革命の際、多くのインテリ層が強制労働所に送られた。教授だったイエンシーも家族と引き離され、過酷な労働を強いられた―。
この文化大革命の悲劇は、私にとって他人事ではない。
(1)私の大学生時代に隣国中国で燃え盛る「文化大革命」をめぐって、私はゼミナールの学友たちとそれこそ口角泡を飛ばして、長期間論じ合ったものだった。
(2)私は1999年、ニューヨークで図らずもJoseph Loh(祖輝羅)に出会った。
彼の両親は「文化大革命」時に中国を脱出し、イギリス→カナダを経てアメリカ・ニューヨークに亡命。Lohはイギリス・ロンドンで誕生、私と会った折はコロンビア大学の研究助手を務めていた。
彼と私は1999年から翌年にかけて週に1回、カフェで2時間ばかりの語り合いの機会を持った。それは、主として彼が私に英語を、私が彼に日本語を教え合った、楽しくも有意義ないっときだった。
彼は中国語にほとんど不案内で、英語についてはネイティブスピーカーのそれだった。
▼予告編
2015年3月3日(火)吉祥寺プラザ(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-19、JR吉祥寺駅北口サンロード突き当たり左)で、18:20~20:20 鑑賞。
作品データ:
原題 CHEF
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
上映時間 115分
『アイアンマン』シリーズ【第1作および第2作】の監督、ジョン・ファヴローが監督・製作・脚本だけでなく自ら主演を務めた人間ドラマ(コメディ)。一流レストランの総料理長だった男が、オーナーとの対立を機に、フードトラックでサンドウィッチの移動販売を始めるさまを描き出す。ロバート・ダウニーJr.、スカーレット・ヨハンソンら豪華キャストが脇を固める。
ストーリー:
ロサンゼルスにある一流レストランで総料理長を務めているカール・キャスパー(ジョン・ファヴロー)は、メニューに口を出すオーナー(ダスティン・ホフマン)と対立し店を去る。次の仕事について考えなければならない中、向かったマイアミで、絶品のキューバサンドイッチと出会う。別れた妻(ソフィア・ベルガラ)や息子(エムジェイ・アンソニー)、友人(ジョン・レグイザモ)と協力し合い、フードトラックでのキューバサンドイッチの移動販売を始めるカール。行く先々でサンドイッチを作りながら、原点に戻り料理や生きる上での情熱を取り戻そうとする…。
■私感:
しかし、意外ですなあ…。
本作の主演俳優ジョン・ファヴローが『アイアンマン』シリーズ(3部作)【第1作・第2作】の監督だったとは!
私はこの3部作【『アイアンマンIron Man』2008年→『アイアンマン2』2010年→『アイアンマン3』2013年(シェーン・ブラック監督)】を鑑賞ずみ。
それは、自ら開発したハイテクの鎧を身にまとい、“アイアンマン”として悪と闘う男(ロバート・ダウニー・Jr.)の活躍を描くアクション超大作。特に第1作は、大人のエンターテイメントとして極上で、私は楽しさを満喫できた。
ちなみに、第2作を2010年5月9日、フィリピンはターラック(Tarlac City)の映画館で入場料110ペソ(約220日本円)で鑑賞。館内は超満員で優に500人は超えていた…。
ジョン・ファヴローはまさに中年のオッサン。太っちょでむさ苦しいルックスだ。しかも、ひょうきんな、愛されキャラ…。
そんな男が『アイアンマン』のような生き生きと躍動するアクション映画の監督(=映像作成を統括する責任者)だったとは!
人間の内的世界の深奥は究めがたし!
▼予告編
作品データ:
原題 CHEF
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
上映時間 115分
『アイアンマン』シリーズ【第1作および第2作】の監督、ジョン・ファヴローが監督・製作・脚本だけでなく自ら主演を務めた人間ドラマ(コメディ)。一流レストランの総料理長だった男が、オーナーとの対立を機に、フードトラックでサンドウィッチの移動販売を始めるさまを描き出す。ロバート・ダウニーJr.、スカーレット・ヨハンソンら豪華キャストが脇を固める。
ストーリー:
ロサンゼルスにある一流レストランで総料理長を務めているカール・キャスパー(ジョン・ファヴロー)は、メニューに口を出すオーナー(ダスティン・ホフマン)と対立し店を去る。次の仕事について考えなければならない中、向かったマイアミで、絶品のキューバサンドイッチと出会う。別れた妻(ソフィア・ベルガラ)や息子(エムジェイ・アンソニー)、友人(ジョン・レグイザモ)と協力し合い、フードトラックでのキューバサンドイッチの移動販売を始めるカール。行く先々でサンドイッチを作りながら、原点に戻り料理や生きる上での情熱を取り戻そうとする…。
■私感:
しかし、意外ですなあ…。
本作の主演俳優ジョン・ファヴローが『アイアンマン』シリーズ(3部作)【第1作・第2作】の監督だったとは!
私はこの3部作【『アイアンマンIron Man』2008年→『アイアンマン2』2010年→『アイアンマン3』2013年(シェーン・ブラック監督)】を鑑賞ずみ。
それは、自ら開発したハイテクの鎧を身にまとい、“アイアンマン”として悪と闘う男(ロバート・ダウニー・Jr.)の活躍を描くアクション超大作。特に第1作は、大人のエンターテイメントとして極上で、私は楽しさを満喫できた。
ちなみに、第2作を2010年5月9日、フィリピンはターラック(Tarlac City)の映画館で入場料110ペソ(約220日本円)で鑑賞。館内は超満員で優に500人は超えていた…。
ジョン・ファヴローはまさに中年のオッサン。太っちょでむさ苦しいルックスだ。しかも、ひょうきんな、愛されキャラ…。
そんな男が『アイアンマン』のような生き生きと躍動するアクション映画の監督(=映像作成を統括する責任者)だったとは!
人間の内的世界の深奥は究めがたし!
▼予告編
2015年2月23日(月)立川シネマシティ(シネマ・ワン:東京都立川市曙町2ー8ー5、アクセス:JR立川駅北口から徒歩5分)で、21:00~23:18 鑑賞。

作品データ :
原題 American Sniper
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 ワーナー・ブラザーズ
上映時間 132分

アメリカ軍史上最強の狙撃手と言われた故クリス・カイルの自伝を、ブラッドリー・クーパーを主演に迎え、クリント・イーストウッド監督が映画化した人間ドラマ。過酷な戦場での実情や、故郷に残してきた家族への思いなど、ひとりの兵士の姿を通して、現代のアメリカが直面する問題を浮き彫りにする。
ストーリー :
米海軍特殊部隊ネイビー・シールズに入隊し、イラク戦争に狙撃手として派遣されたクリス(ブラッドリー・クーパー)。その任務は“どんなに過酷な状況でも仲間を必ず守ること”。狙撃精度の高さで多くの仲間を救ったクリスは 、“レジェンド”の異名を轟かせるまでになる。しかし、敵の間にもその腕前が知れ渡り、“悪魔”と恐れられるようになった彼の首には2万ドルの賞金が掛けられ、彼自身が標的となってしまう。一方、家族はクリスの無事を願い続けていた。家族との平穏な生活と、想像を絶する極限状況の戦地。愛する家族を国に残し、終わりのない戦争は幾度となく彼を戦場に向かわせる。過酷なイラク遠征は4度。度重なる戦地への遠征は、クリスの心を徐々に蝕んでいく……。
概略(『ウィキペディア日本語版』「アメリカン・スナイパー」2015年2月25日閲覧):
〈テキサス州に生まれたクリス・カイルは、幼いころから父親に狩猟を教わりながら育った。ある時、父親は「お前は弱い羊達を守る牧羊犬(シープドッグ)になれ、狼にはなるな」とカイルに教えるのだった。そして時は経ち、1998年にアメリカ大使館爆破事件をテレビで見たカイルは、愛国心から海軍に志願する。特殊部隊ネイビー・シールズに配属され、私生活でも「タヤ」と結婚して幸せな日々を送っていたカイルであったが、アメリカ同時多発テロ事件を契機に戦争が始まりカイル自身も戦地へと派遣される。
イラク戦争で大きな戦果を挙げたカイルは、いつしか軍内で「伝説(レジェンド)」と称賛されるようになるが、敵からは「悪魔」と呼ばれ懸賞金をかけられるようになる。また、後に「イスラーム国」へと変貌するテロ組織を率いるザルカーウィー容疑者を捜索する作戦へと参加したカイルは、1000m級の射撃を行う元射撃オリンピック選手の敵スナイパー「ムスタファ」と遭遇し、以後何度も死闘を繰り広げる。凄惨な戦いや守れなかった仲間たちの記憶は徐々にカイルの心を蝕み、戦地から帰国するたびに家族との溝は広がっていく。
カイルは四度のイラク派遣の後に海軍を除隊するが、戦争の記憶に苛まれ一般社会に馴染めない毎日を送っていた。しかし、医師に勧められて始めた傷痍軍人たちとの交流を続けるうちに、少しずつ人間の心を取り戻していく。
ラストシーンについてはクリス・カイルの遺族に幼い子供がいることを配慮して作られている。〉
▼予告編
▼ Best Combat Scenes :
■cf. 前田有一(映画批評家)の超映画批評「神からの警告」http://movie.maeda-y.com/movie/01961.htm :
≪アメリカでこの映画のことを好戦的とか、ヒロイズムを強調しすぎだとか、アメリカ万歳イズムだなどといって批判する人たちがいると聞いて、私は仰天した。いったいどこをどう解釈すれば、そんな真逆の受け取り方をするのだろう。
頑健な肉体と精神、たぐいまれな能力に恵まれたクリス(ブラッドリー・クーパー)は、強者に生まれた責任感と愛郷心から海軍に志願する。やがて特殊部隊ネイビー・シールズ最強の狙撃手となった彼は、イラク戦争の最前線で目覚ましい活躍を見せる。だが、同時にテロリストにとって高額の賞金首となるのだった。
オバマ大統領夫人まで巻き込んだ大議論となっている「アメリカン・スナイパー」をめぐる騒動だが、それも納得のすさまじい完成度である。私に言わせればこの映画は、神が巨匠の作品を借りてアメリカ人に伝えようとしているメッセージ、である。
偶然とは思えないタイミングで関係者が亡くなる事件がおこり、その結果、脚本を書きなおす結果となったわけだが、じっさい映画を見れば、それがパーフェクトとしか言えない、まさに神がかったエンディングであることを感じざるを得ない。
イスラム国とアメリカがいままさにドンパチやっているこのとき、ISの母体を作ったザルカウィと戦う米軍のスーパーヒーロー映画の製作中において、このような事件が起きる。偶然というにはなんと出来すぎたタイミングだろうか。この結末により本作は映画として完全体へと舞い上がり、イーストウッドの名は永遠となる。
その監督だが、クリス・カイルをあたかもヒーローとして描くようにしつつ、実際は真逆に描いた点が恐ろしいセンスといえる。
クリスは父親から「お前は羊たちを略奪者たる狼から守るシープドッグたれ」と教えられて生きてきた男で、かつそれを可能とする才能にも恵まれていた。彼はそれを自覚しており、だからこそ自分がアメリカを守る責任感に満ち溢れ、戦場で無敵の活躍を見せる。
この、現実離れしたスーパーヒーローこそ、まさに幻想のアメリカそのものである。アメリカという国が戦争政策を進めるため、建国以来繰り広げてきたプロパガンダの集大成と言ってもよい。
その名の通りこの「アメリカン・スナイパー」は、しかしこのあと無様に崩壊してゆく。そこが本作最大の見どころである。これをアメリカ万歳と評するとは、なんたる勘違いであろうか。
ここで簡潔にクリスという人物を分析する。大前提となるのは、クリスのよりどころが「自分には力がある」「自分は番犬である」「だからか弱き国民を、敵のオオカミから守らねばならない」「俺にはその責任がある」にあるという点だ。
そしてイーストウッドは、その"よりどころ"を完膚なきまでに打ち崩す。つまり、アメリカの価値観という名の神話そのものを、である。
具体的には、クリスが犬に殴り掛かるシーンに象徴されている。彼が殴ったのが狼でなく「番犬」だったことが、この映画に隠された最大のメタファーである。敵スナイパーの自室にチラっと映る「その他の人物」も同じことを強調している。
自分が迷いなく殺していた相手は本当に「狼」だったのか? RPGをかつぎあげることのできない、このスコープの中の少年が「狼」なのか? クリスは、いやアメリカは今まで、何を殺し続けてきたのか? 俺が戦っていたのは狼ではなく、もしかしたら…。
保守派と言われてきたイーストウッドが全アメリカ人に叩き付ける、強烈なメッセージ。それを信じがたいタイミングで補完するあの「予定になかった」ラストシーン。
これを完璧と言わずに何を言うだろうか。
「アメリカン・スナイパー」は、なんとも恐ろしい、そしてすごい映画だ。84歳にしてこれほどの傑作を出してくるクリント・イーストウッドという監督もまたしかり、だ。
そしてさらに恐ろしいのは、このまま無関心でいれば、日本人もこの蟻地獄にまきこまれる可能性があるということである。なにしろその危険性を理解しているとは到底思えない人間がリーダーなのだから。
そんなわけで「アメリカン・スナイパー」はまごうかたなき傑作だが、あまりにも不都合な真実であり、アカデミー作品賞をとることもきっとないだろう。逆に言えばこれが選ばれるならばアメリカにも、世界にもまだ希望は残っているということになる。≫

作品データ :
原題 American Sniper
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 ワーナー・ブラザーズ
上映時間 132分

アメリカ軍史上最強の狙撃手と言われた故クリス・カイルの自伝を、ブラッドリー・クーパーを主演に迎え、クリント・イーストウッド監督が映画化した人間ドラマ。過酷な戦場での実情や、故郷に残してきた家族への思いなど、ひとりの兵士の姿を通して、現代のアメリカが直面する問題を浮き彫りにする。
ストーリー :
米海軍特殊部隊ネイビー・シールズに入隊し、イラク戦争に狙撃手として派遣されたクリス(ブラッドリー・クーパー)。その任務は“どんなに過酷な状況でも仲間を必ず守ること”。狙撃精度の高さで多くの仲間を救ったクリスは 、“レジェンド”の異名を轟かせるまでになる。しかし、敵の間にもその腕前が知れ渡り、“悪魔”と恐れられるようになった彼の首には2万ドルの賞金が掛けられ、彼自身が標的となってしまう。一方、家族はクリスの無事を願い続けていた。家族との平穏な生活と、想像を絶する極限状況の戦地。愛する家族を国に残し、終わりのない戦争は幾度となく彼を戦場に向かわせる。過酷なイラク遠征は4度。度重なる戦地への遠征は、クリスの心を徐々に蝕んでいく……。
概略(『ウィキペディア日本語版』「アメリカン・スナイパー」2015年2月25日閲覧):
〈テキサス州に生まれたクリス・カイルは、幼いころから父親に狩猟を教わりながら育った。ある時、父親は「お前は弱い羊達を守る牧羊犬(シープドッグ)になれ、狼にはなるな」とカイルに教えるのだった。そして時は経ち、1998年にアメリカ大使館爆破事件をテレビで見たカイルは、愛国心から海軍に志願する。特殊部隊ネイビー・シールズに配属され、私生活でも「タヤ」と結婚して幸せな日々を送っていたカイルであったが、アメリカ同時多発テロ事件を契機に戦争が始まりカイル自身も戦地へと派遣される。
イラク戦争で大きな戦果を挙げたカイルは、いつしか軍内で「伝説(レジェンド)」と称賛されるようになるが、敵からは「悪魔」と呼ばれ懸賞金をかけられるようになる。また、後に「イスラーム国」へと変貌するテロ組織を率いるザルカーウィー容疑者を捜索する作戦へと参加したカイルは、1000m級の射撃を行う元射撃オリンピック選手の敵スナイパー「ムスタファ」と遭遇し、以後何度も死闘を繰り広げる。凄惨な戦いや守れなかった仲間たちの記憶は徐々にカイルの心を蝕み、戦地から帰国するたびに家族との溝は広がっていく。
カイルは四度のイラク派遣の後に海軍を除隊するが、戦争の記憶に苛まれ一般社会に馴染めない毎日を送っていた。しかし、医師に勧められて始めた傷痍軍人たちとの交流を続けるうちに、少しずつ人間の心を取り戻していく。
ラストシーンについてはクリス・カイルの遺族に幼い子供がいることを配慮して作られている。〉
▼予告編
▼ Best Combat Scenes :
■cf. 前田有一(映画批評家)の超映画批評「神からの警告」http://movie.maeda-y.com/movie/01961.htm :
≪アメリカでこの映画のことを好戦的とか、ヒロイズムを強調しすぎだとか、アメリカ万歳イズムだなどといって批判する人たちがいると聞いて、私は仰天した。いったいどこをどう解釈すれば、そんな真逆の受け取り方をするのだろう。
頑健な肉体と精神、たぐいまれな能力に恵まれたクリス(ブラッドリー・クーパー)は、強者に生まれた責任感と愛郷心から海軍に志願する。やがて特殊部隊ネイビー・シールズ最強の狙撃手となった彼は、イラク戦争の最前線で目覚ましい活躍を見せる。だが、同時にテロリストにとって高額の賞金首となるのだった。
オバマ大統領夫人まで巻き込んだ大議論となっている「アメリカン・スナイパー」をめぐる騒動だが、それも納得のすさまじい完成度である。私に言わせればこの映画は、神が巨匠の作品を借りてアメリカ人に伝えようとしているメッセージ、である。
偶然とは思えないタイミングで関係者が亡くなる事件がおこり、その結果、脚本を書きなおす結果となったわけだが、じっさい映画を見れば、それがパーフェクトとしか言えない、まさに神がかったエンディングであることを感じざるを得ない。
イスラム国とアメリカがいままさにドンパチやっているこのとき、ISの母体を作ったザルカウィと戦う米軍のスーパーヒーロー映画の製作中において、このような事件が起きる。偶然というにはなんと出来すぎたタイミングだろうか。この結末により本作は映画として完全体へと舞い上がり、イーストウッドの名は永遠となる。
その監督だが、クリス・カイルをあたかもヒーローとして描くようにしつつ、実際は真逆に描いた点が恐ろしいセンスといえる。
クリスは父親から「お前は羊たちを略奪者たる狼から守るシープドッグたれ」と教えられて生きてきた男で、かつそれを可能とする才能にも恵まれていた。彼はそれを自覚しており、だからこそ自分がアメリカを守る責任感に満ち溢れ、戦場で無敵の活躍を見せる。
この、現実離れしたスーパーヒーローこそ、まさに幻想のアメリカそのものである。アメリカという国が戦争政策を進めるため、建国以来繰り広げてきたプロパガンダの集大成と言ってもよい。
その名の通りこの「アメリカン・スナイパー」は、しかしこのあと無様に崩壊してゆく。そこが本作最大の見どころである。これをアメリカ万歳と評するとは、なんたる勘違いであろうか。
ここで簡潔にクリスという人物を分析する。大前提となるのは、クリスのよりどころが「自分には力がある」「自分は番犬である」「だからか弱き国民を、敵のオオカミから守らねばならない」「俺にはその責任がある」にあるという点だ。
そしてイーストウッドは、その"よりどころ"を完膚なきまでに打ち崩す。つまり、アメリカの価値観という名の神話そのものを、である。
具体的には、クリスが犬に殴り掛かるシーンに象徴されている。彼が殴ったのが狼でなく「番犬」だったことが、この映画に隠された最大のメタファーである。敵スナイパーの自室にチラっと映る「その他の人物」も同じことを強調している。
自分が迷いなく殺していた相手は本当に「狼」だったのか? RPGをかつぎあげることのできない、このスコープの中の少年が「狼」なのか? クリスは、いやアメリカは今まで、何を殺し続けてきたのか? 俺が戦っていたのは狼ではなく、もしかしたら…。
保守派と言われてきたイーストウッドが全アメリカ人に叩き付ける、強烈なメッセージ。それを信じがたいタイミングで補完するあの「予定になかった」ラストシーン。
これを完璧と言わずに何を言うだろうか。
「アメリカン・スナイパー」は、なんとも恐ろしい、そしてすごい映画だ。84歳にしてこれほどの傑作を出してくるクリント・イーストウッドという監督もまたしかり、だ。
そしてさらに恐ろしいのは、このまま無関心でいれば、日本人もこの蟻地獄にまきこまれる可能性があるということである。なにしろその危険性を理解しているとは到底思えない人間がリーダーなのだから。
そんなわけで「アメリカン・スナイパー」はまごうかたなき傑作だが、あまりにも不都合な真実であり、アカデミー作品賞をとることもきっとないだろう。逆に言えばこれが選ばれるならばアメリカにも、世界にもまだ希望は残っているということになる。≫
2015年2月23日(月)立川シネマシティ(シネマ・ワン:東京都立川市曙町2ー8ー5、アクセス:JR立川駅北口から徒歩5分)で、17:45~20:36 鑑賞。

作品データ:
原題 Boyhood
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 165分
第64回ベルリン国際映画祭で監督賞にあたる銀熊賞に輝いた、『ビフォア・ミッドナイト』のリチャード・リンクレイター監督によるヒューマンドラマ。6歳の少年メイソンの成長とその家族の変遷を、主人公や両親を演じた俳優など、同じキャストとともに12年にわたって撮り続けるという斬新な手法で描く。
ストーリー:
テキサス州に住む6歳の少年メイソン(エラー・コルトレーン)は、キャリアアップのために大学で学ぶという母(パトリシア・アークエット)に従い、姉サマンサ(ローレライ・リンクレイター)と共にヒューストンに転居、そこで多感な思春期を過ごす。アラスカから戻って来た父(イーサン・ホーク)との再会、母の再婚、義父の暴力、そして初恋…。周囲の環境の変化に時には耐え、時には柔軟に対応しながら、メイソンは静かに子供時代を卒業していくのだった。やがて母は大学で教鞭をとるようになり、オースティン近郊に移った家族には母の新しい恋人が加わっていた。ミュージシャンの夢をあきらめた父は保険会社に就職し、再婚してもうひとり子供を持った。12年の時が様々な変化を生み出す中、ビールの味もキスの味も、そして失恋の苦い味も覚えたメイソンはアート写真家という夢に向かって母親から巣立っていく…。
▼予告編

作品データ:
原題 Boyhood
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 165分
第64回ベルリン国際映画祭で監督賞にあたる銀熊賞に輝いた、『ビフォア・ミッドナイト』のリチャード・リンクレイター監督によるヒューマンドラマ。6歳の少年メイソンの成長とその家族の変遷を、主人公や両親を演じた俳優など、同じキャストとともに12年にわたって撮り続けるという斬新な手法で描く。
ストーリー:
テキサス州に住む6歳の少年メイソン(エラー・コルトレーン)は、キャリアアップのために大学で学ぶという母(パトリシア・アークエット)に従い、姉サマンサ(ローレライ・リンクレイター)と共にヒューストンに転居、そこで多感な思春期を過ごす。アラスカから戻って来た父(イーサン・ホーク)との再会、母の再婚、義父の暴力、そして初恋…。周囲の環境の変化に時には耐え、時には柔軟に対応しながら、メイソンは静かに子供時代を卒業していくのだった。やがて母は大学で教鞭をとるようになり、オースティン近郊に移った家族には母の新しい恋人が加わっていた。ミュージシャンの夢をあきらめた父は保険会社に就職し、再婚してもうひとり子供を持った。12年の時が様々な変化を生み出す中、ビールの味もキスの味も、そして失恋の苦い味も覚えたメイソンはアート写真家という夢に向かって母親から巣立っていく…。
▼予告編
2015年2月19日(木)吉祥寺オデヲン(所在地:東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、行き方:JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、14:40~鑑賞。
作品データ :
製作年 2015年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 108分
第30回吉川英治文学新人賞ほか数々の賞に輝いた、柳広司のミステリー小説を亀梨和也主演で映画化したスパイ・サスペンス。架空の日本を舞台に、人類の歴史を変える開発の秘密が隠された文書を巡って、日本、英国、ソ連のスパイたちの壮絶な戦いが繰り広げられる。監督は『SR サイタマノラッパー』シリーズの入江悠。
ストーリー :
第二次世界大戦前夜。上官の命に背き、極刑を言い渡された青年(亀梨和也)は刑の執行直前、謎の男・結城(伊勢谷友介)から救いの手を差し伸べられる。だがその交換条件は、結城が設立した秘密組織“D機関”の一員としてスパイになることだった。過酷で奇妙な訓練を経て、青年は“嘉藤”という偽名を与えられ、世界を揺るがしかねない機密文書“ブラックノート”奪取の極秘ミッションを命令される。世界各国が狙う“ブラックノート”は現在、国際都市“魔の都”に駐在する米国大使・グラハムの手にあった。日本を飛び出し“魔の都”に潜入した嘉藤たちD機関のメンバーは、明晰な頭脳と身体能力を駆使し、グラハムに接近していく。しかしグラハムの愛人・リン(深田恭子)や、ブラックノートを狙う各国のスパイたち、さらにD機関内部に潜む見えざる敵が彼らの前に立ちはだかるのだった…。
▼予告編
作品データ :
製作年 2015年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 108分
第30回吉川英治文学新人賞ほか数々の賞に輝いた、柳広司のミステリー小説を亀梨和也主演で映画化したスパイ・サスペンス。架空の日本を舞台に、人類の歴史を変える開発の秘密が隠された文書を巡って、日本、英国、ソ連のスパイたちの壮絶な戦いが繰り広げられる。監督は『SR サイタマノラッパー』シリーズの入江悠。
ストーリー :
第二次世界大戦前夜。上官の命に背き、極刑を言い渡された青年(亀梨和也)は刑の執行直前、謎の男・結城(伊勢谷友介)から救いの手を差し伸べられる。だがその交換条件は、結城が設立した秘密組織“D機関”の一員としてスパイになることだった。過酷で奇妙な訓練を経て、青年は“嘉藤”という偽名を与えられ、世界を揺るがしかねない機密文書“ブラックノート”奪取の極秘ミッションを命令される。世界各国が狙う“ブラックノート”は現在、国際都市“魔の都”に駐在する米国大使・グラハムの手にあった。日本を飛び出し“魔の都”に潜入した嘉藤たちD機関のメンバーは、明晰な頭脳と身体能力を駆使し、グラハムに接近していく。しかしグラハムの愛人・リン(深田恭子)や、ブラックノートを狙う各国のスパイたち、さらにD機関内部に潜む見えざる敵が彼らの前に立ちはだかるのだった…。
▼予告編
2015年2月13日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町(東京都千代田区有楽町2-7-1 有楽町イトシア・イトシアプラザ4F、アクセス:JR山手線・有楽町駅中央口から徒歩1分)で、21:10~ 鑑賞。

作品データ:
原題 Rudderless
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 ファントム・フィルム
上映時間 105分
銃乱射事件で亡くなった息子が遺した楽曲を歌い継ごうとする父親と、その歌に魅了されたミュージシャン志望の青年との出会いを描く人間ドラマ。『ビッグ・フィッシュ』のビリー・クラダップが父親役を演じ、青年役のアントン・イェルチンとともに吹替えなしで歌とギターの腕前を披露する。30年以上もの長きにわたって、数々の作品で個性的な役柄を演じてきたベテラン俳優、ウィリアム・H・メイシー(William H. Macy、1950~)の初監督作。
ストーリー:
大きな契約話がまとまったことを祝おうと大学生の息子ジョシュを呼びだしたサム(ビリー・クラダップ)の目に、ジョシュの通う大学で銃乱射事件が起きたことを報じるテレビニュースが飛び込んでくる。ジョシュは事件に巻き込まれ、突然この世を去ってしまった。それから2年、サムは仕事を辞め、すっかり荒んだ生活をしていた。そんな彼のもとに別れた妻が訪ねてきて、音楽好きはサム譲りだと生前ジョシュが作っていた歌の歌詞とデモCDを渡す。ジョシュの曲を聴きながら、彼が何を考えていたのか知らなかったことに思いいたるサム。ジョシュの姿を追うように彼の遺したギターで曲を弾くようになり、場末のライブバーで開かれた飛び入りステージで彼の曲を歌う。このステージを見ていたクエンティン(アントン・イェルチン)という若者は、事情を知らないままもっと多くの人に聴かせるべきだとサムに力説、一緒にやろうと訴えかける。初めのうちは乗り気ではなかったものの彼の熱意に押し切られ、サムはクエンティンと「ラダーレス」というバンドを組んだ。メンバーたちと演奏するうちに、サムはジョシュの死と向き合うようになっていく。徐々に支持が広がっていきロックフェスへのオファーが舞い込んでくるが、サムはある理由のためこの話を断ろうとする……。
▼予告編
■私感:
映画の前半、私は銃乱射事件の実体がつかめないままに、「息子」を喪った「父親」サムの〈一人称‐二人称〉的な苦悩→再生に素朴な共感を覚えつづける。
しかし後半以降、次第に当の「息子」が事件の「被害者」ならね「加害者」である事実を知らされるとともに、私の胸に針で突かれたような痛みが走りつづける。
サムは「父親」ならぬ、一個の「個」として、より普遍的な〈一人称‐三人称〉的な、想像を絶する苦悩を背負いながら、纏綿する感情を制御して必死に生き抜こうとしていたのだった!
本作は、アメリカでは2014年1月24日にサンダンス映画祭でプレミア上映され、同年10月17日に劇場公開。公開と同時にネット配信もされた。そして、日本では2015年2月21日に劇場公開。公開に先駆けて観客が鑑賞後に料金を決める「投げ銭」先行上映が数回行なわれた。2月13日、一観客として本作を積極的に享受できた私は、気前よく(!?)2000円を支払った―。それは、映画の中盤に衝撃の“どんでん返し”が用意された、私の魂にビビッドに響く、見応えのある作品だった。

作品データ:
原題 Rudderless
製作年 2014年
製作国 アメリカ
配給 ファントム・フィルム
上映時間 105分
銃乱射事件で亡くなった息子が遺した楽曲を歌い継ごうとする父親と、その歌に魅了されたミュージシャン志望の青年との出会いを描く人間ドラマ。『ビッグ・フィッシュ』のビリー・クラダップが父親役を演じ、青年役のアントン・イェルチンとともに吹替えなしで歌とギターの腕前を披露する。30年以上もの長きにわたって、数々の作品で個性的な役柄を演じてきたベテラン俳優、ウィリアム・H・メイシー(William H. Macy、1950~)の初監督作。
ストーリー:
大きな契約話がまとまったことを祝おうと大学生の息子ジョシュを呼びだしたサム(ビリー・クラダップ)の目に、ジョシュの通う大学で銃乱射事件が起きたことを報じるテレビニュースが飛び込んでくる。ジョシュは事件に巻き込まれ、突然この世を去ってしまった。それから2年、サムは仕事を辞め、すっかり荒んだ生活をしていた。そんな彼のもとに別れた妻が訪ねてきて、音楽好きはサム譲りだと生前ジョシュが作っていた歌の歌詞とデモCDを渡す。ジョシュの曲を聴きながら、彼が何を考えていたのか知らなかったことに思いいたるサム。ジョシュの姿を追うように彼の遺したギターで曲を弾くようになり、場末のライブバーで開かれた飛び入りステージで彼の曲を歌う。このステージを見ていたクエンティン(アントン・イェルチン)という若者は、事情を知らないままもっと多くの人に聴かせるべきだとサムに力説、一緒にやろうと訴えかける。初めのうちは乗り気ではなかったものの彼の熱意に押し切られ、サムはクエンティンと「ラダーレス」というバンドを組んだ。メンバーたちと演奏するうちに、サムはジョシュの死と向き合うようになっていく。徐々に支持が広がっていきロックフェスへのオファーが舞い込んでくるが、サムはある理由のためこの話を断ろうとする……。
▼予告編
■私感:
映画の前半、私は銃乱射事件の実体がつかめないままに、「息子」を喪った「父親」サムの〈一人称‐二人称〉的な苦悩→再生に素朴な共感を覚えつづける。
しかし後半以降、次第に当の「息子」が事件の「被害者」ならね「加害者」である事実を知らされるとともに、私の胸に針で突かれたような痛みが走りつづける。
サムは「父親」ならぬ、一個の「個」として、より普遍的な〈一人称‐三人称〉的な、想像を絶する苦悩を背負いながら、纏綿する感情を制御して必死に生き抜こうとしていたのだった!
本作は、アメリカでは2014年1月24日にサンダンス映画祭でプレミア上映され、同年10月17日に劇場公開。公開と同時にネット配信もされた。そして、日本では2015年2月21日に劇場公開。公開に先駆けて観客が鑑賞後に料金を決める「投げ銭」先行上映が数回行なわれた。2月13日、一観客として本作を積極的に享受できた私は、気前よく(!?)2000円を支払った―。それは、映画の中盤に衝撃の“どんでん返し”が用意された、私の魂にビビッドに響く、見応えのある作品だった。
2015年2月13日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町(東京都千代田区有楽町2-7-1 有楽町イトシア・イトシアプラザ4F、アクセス:JR山手線・有楽町駅中央口から徒歩1分)で、19:00~ 鑑賞。
作品データ :
原題 Jimmy's Hall
製作年 2014年
製作国 イギリス=アイルランド=フランス
配給 ロングライド
上映時間 109分


イギリスの社会派ケン・ローチ監督が、1930年代のアイルランドを舞台に、庶民のために戦った無名の活動家ジミー・グラルトンの姿を描いたドラマ。出演は『めぐり逢う大地』のバリー・ウォード、『Hamlet』のシモーヌ・カービー、『恋人たちのパレード』のジム・ノートン。カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作。
ストーリー :
1932年、国を分断した悲劇的な内戦終結から10年を経たアイルランド。アメリカで暮らしていた元活動家のジミー・グラルトン(バリー・ウォード)が、10年ぶりに祖国の地を踏み、リートリム州の故郷に帰って来る。かつて地域のリーダーとして絶大な信頼を集めたジミーは、気心の知れた仲間たちに歓待され、昔の恋人ウーナ(シモーヌ・カービー)とも再会。彼の望みは、年老いた母親アリス(アイリーン・ヘンリー)の面倒を見ながら穏やかに生活することだった。しかし、村の若者たちの訴えに衝き動かされ、内にくすぶる情熱を再燃させたジミーは、「ホール(集会所)」の再開を決意。仲間たちも協力を申し出る。かつてジミー自身が建設したそのホールは、人々が芸術やスポーツを学びながら人生を語らい、歌とダンスに熱中したかけがえのない場所だった。やがてジミーの決断が、図らずもそれを快く思わない勢力との諍いを招いてしまう…。
◆「監督:ケン・ローチ インタビュー」
[映画パンフレット『JIMMY’S HALL ジミー、野を駆ける伝説』(編集・発行:松竹株式会社事業部、2015.1.17、税込価格720円)]
──なぜジミー・グラルトンの物語を伝えようと思ったのですか?
本作は多くを同時に語る物語です。左派(The Left)は、気難しくて気分を滅入らせ、楽しさや娯楽、祝福に反対するものという考えに異議を唱えると同時に、組織化された宗教がどのようにして経済力と手を組むかということも示しています。彼らは、今でも同じことを続けているんです。宗教と国家は圧政の代理人だと言えるでしょう。今回の場合、映画の中では時間の関係上ほとんど触れていませんが、進歩主義的に逆行していると思われる、例えばエイモン・デ・ヴァレラ(今作で描かれた時代のアイルランド最高議会議長)のような人物を、民衆は自由な考えや寛容性を奨励していると思った。けれど実際のところ、教会による承認を模索し、いかに彼らを自分の味方にするかということから着手したほどなんです。
──『麦の穂をゆらす風』(06)と対をなす作品という意図があるのですか?もしそうであれば、どのような意図でしょう?
そうですね。あの作品からはちょうど10年が経っているんですが、『麦の穂をゆらす風』の中のセリフで、アングロ・アイリッシュの地主が「この国は神父がはびこる澱んだ水に成り下がる」と言うんです。そしたら驚くなかれ、それが現実のものとなりました。あの時以来、アイルランドは苦悩しています。教会はスキャンダルのせいで、今では多くの信頼を失っている。けれども私たちがあの映画を作っていた時は、人々は教会や神父の力が絶対的だとわかっていました。コミュニティの中で、誰が成功するか否かを決定することのできる力を持っているとわかっていたんです。
──この映画では、どのあたりが史実でどのあたりがフィクションなのでしょう?
この映画はジミー・グラルトンの人生とその時代から“インスパイア”されたものです。ジミー・グラルトンの人生や性格の詳細などはあまり多く知られていません。ある意味とても悲しいことです。というのも彼は文句なくすばらしい人物でしたたから。一方で私たちは、彼のプライベートを想像し、どんな選択に直面していたのかを探る自由を得たのです。私たちは、彼をただ平面的な活動家ではなくて、豊かで人間味のある人物として描きたかった。このバランスはとても難しく、常に細部にまで及びます。彼が誰か女性と付き合うことは可能か?もしそうなら、ふたりの関係とはどんなだったろう?また神父たちが単なる“カリカチュア”だと思われたくはなかった。それは史実の単なるドラマ化で陥り得る危険です。神父は激しい敵意を持っているものの、ジミーの高潔さに敬意を示している。彼には真の価値があって、だからこそ神父は無視できなかったんです。史実通りでありながら登場人物たちを肉付けすることが私たちの役割でした。
──ジミー・グラルトンの作った「ホール」の特筆すべきことは何でしょう?
ホールは自由の精神の具現化だと思います。そこは色々な考えが試され、表現する場所であり、詩や音楽、スポーツを楽しむ場所であり、人々が自分たちの才能を創造できる場所であり、そしてもちろん踊れる場所なんです。
──今回の撮影のため、スタジオを使わずに、ジミー・グラルトンの出身地であるアイルランド・リートリムに実際にホールを建てたそうですね。
本物のホールを建てるのはむしろ簡単でした。アイルランドのあの土地の風景はとても重要でした。実際にそこに暮らす人々、沼地、霧、その他諸々…。スタジオを使う誘惑は、実際の寸法ではないことです。壁を取り外せるし、実生活の中では決して撮影し得ないショットが存在することになります。実際のサイズでは制限が生じますが、観客もそれを感じると思うんです。さらにいえば、ホールでの自然光は美しいものです。リアリティは常にホールの中にあったんです。
私たちは、どこが撮影に最適か、アイルランドの西部一帯を見て回りました。でも、実際のところ、リートリムがベストだったんです。物語が実際に起きたあの場所で、しかも本物だというだけでなく、実に何もない田舎だったために現代テクノロジーの影響もない。本当に寂れた所なんです。多くの人が職を求めて他の土地に移っていたため、撮影するのは本当に楽でした。リートリム以外のロケ地を探す理由は何もないと思えました。
──地元の物語をあなたが語ることについて、現地ではどのような反応がありましたか?
これ以上ないくらいに歓迎してもらいました。本作には地元の若者が大勢出演したんですが、彼らの献身ぶりには目を見張るものがありました。素晴らしかったのは、彼らは皮肉屋なんかではなく、とてもオープンな心の持ち主で、寛容でいて、間違いなく献身的でした。彼らにはとても驚かされ、その楽しんでいる姿に影響を受けました。
──最後に、果たしてジミー・グラルトンとは何者だったのでしょう?
実際の彼は、熱心な活動家でした。過去長きにわたって、私は労働組合や組織員、政治にどっぷり浸かっている人々に会ってきました。政治に一度目をつけられたら最後、もう離れることはできません。10年前に祖国を追われたジミーは1932年にアイルランドへと戻ったけれど、ホールを再開することは大きな決断でした。ホーを再開すれば、連中は再びジミーの後をつけ狙うようになるでしょう。そして一旦狙われれば、故郷に留まるため政治を断念するか、昔と同様に大きな闘いと向き合わなければなりません。政府が変わったことで可能性が開けたという感触はあったものの、ジミーのような政治的感覚がある人には、デ・ヴァレラのような政治家は労働者の利益を裏切るだろうとわかっていたでしょう。ジミーは階級の対立も、この問題を避ける術のないことも理解していた。だから母親と一緒に暮らし、農地の世話をするためにこの地へと戻ったジミーにとって、再び政治に身を投じるのは苦渋の決断だったわけです。20年もの旅の生活に疲れ切っていても、他の道があったでしょうか?もし政治的な人物であれば、他の選択肢はないんです。
ケン・ローチ(Ken Loach)のプロフィール:
1936年6月17日、イングランド中部・ウォリックシャー州生まれ。電気工の父と仕立屋の母を両親に持つ。高校卒業後に2年間の兵役を経て、オックスフォード大学に進学し法律を学ぶ。卒業後、劇団の演出補佐を経て、63年にBBCテレビの演出訓練生になり、翌年演出デビュー。67年に『夜空に星のあるように』で長編映画監督デビュー。2作目『ケス』(69)でカルロヴィ・ヴァリ映画祭グランプリを受賞。その後、ほとんどの作品が世界三大映画祭などで高評価を受け続けている。カンヌ国際映画祭では、『麦の穂をゆらす風』(06)でパルム・ドールを獲得し、『Black Jack』(79)、『リフ・ラフ』(91)、『大地と自由』(95)で国際批評家連盟賞を受賞、『ブラック・アジェンダ/隠された真相』(90)、『レイニング・ストーンズ』(93)、『天使の分け前』(12)で審査員賞に輝いている。
▼予告編
今に息づく自由という大樹。それはかつて“名もなき英雄”が蒔いた一粒の種―。
1932年、10年ぶりに祖国の地を踏んだ実在の人物ジミー。 多くの若者や民衆の心を掴んだ、この私利なき高潔な男は、やがて伝説となった―。
■私感:
美的感動が胸に残る作品だ。
緑したたるアイルランドの大地!この、少年時代の私が育った北海道(特に道東)の自然を彷彿させる風景は、まるで絵のように美しい。
そして、奪うことのできない人間の自由と尊厳のために、誇りを胸に闘うジミーの生きざま―その清廉・誠実・良識・高潔が私の心を揺さぶってやまない。
ジミーは民衆のリーダーとして、Jimmy's Hall =「人々が自主的に集い、学び、描き、歌い、踊り、語り合える自由な空間(コミュニティーホール)」を造り上げ、地域の民衆の絶大な支持を集める。
そして、「良心の自由」に生きる人生の喜びと素晴らしさを熱心に説く彼の言葉の数々は、未来への希望に満ちた熱いメッセージとして、民衆を奮い立たせ、大いに啓発する。
「我々は人生を見つめ直す必要がある。欲を捨て、誠実に働こう。ただ生存するためではなく、喜びのために生きよう…自由な人間として!」と民衆に演説するワンシーンがとりわけ印象的だ。
■蛇足:
たまたま coco(映画レビューサイト)の「ジミー、野を駆ける伝説に関するみんなの感想」を瞥見したところ、3人の「coco映画レビュアー」の、次のような感想が目に付いた(http://coco.to/movie/37954)。
・「さあてこれからどんな巻き返しを図ってくるのかと期待したらまさかのエンドロール。えーそんな中途半端な結末ってありかよって。事実だから仕方ないんだろうけれどジミーちゃんもっと頑張ってよ。結局自分だけかよって。」(1月25日)
・「10年前にジミーが追われた経緯を語る前半は睡魔との闘い(笑)。小さな田舎町でも時代の流れに応じて、名も無き英雄が立ち上がったという記録。こんな市井の人まで処罰したのだから、当時は人材不足だったろうに…」(1月20日)
・「アイルランドを舞台に抑圧からの解放を説いた実在の活動家を描いた映画。中盤位まで睡魔と闘っていてあまり頭に入ってこなかった。意識がはっきりした後半以降が良かっただけに少し後悔。どこかでリベンジしたい。」(1月20日)
◎「中途半端な結末」とか「睡魔との闘い」とか…!?
私は初めから終わりまで、109分間フルに、美しい映像を目を凝らして観つづけ、心ゆくまで眺めつづけたものだ!
にもかかわらず、人間いろいろ…、各自の内的世界はこうも違うものだろうか !!
作品データ :
原題 Jimmy's Hall
製作年 2014年
製作国 イギリス=アイルランド=フランス
配給 ロングライド
上映時間 109分


イギリスの社会派ケン・ローチ監督が、1930年代のアイルランドを舞台に、庶民のために戦った無名の活動家ジミー・グラルトンの姿を描いたドラマ。出演は『めぐり逢う大地』のバリー・ウォード、『Hamlet』のシモーヌ・カービー、『恋人たちのパレード』のジム・ノートン。カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作。
ストーリー :
1932年、国を分断した悲劇的な内戦終結から10年を経たアイルランド。アメリカで暮らしていた元活動家のジミー・グラルトン(バリー・ウォード)が、10年ぶりに祖国の地を踏み、リートリム州の故郷に帰って来る。かつて地域のリーダーとして絶大な信頼を集めたジミーは、気心の知れた仲間たちに歓待され、昔の恋人ウーナ(シモーヌ・カービー)とも再会。彼の望みは、年老いた母親アリス(アイリーン・ヘンリー)の面倒を見ながら穏やかに生活することだった。しかし、村の若者たちの訴えに衝き動かされ、内にくすぶる情熱を再燃させたジミーは、「ホール(集会所)」の再開を決意。仲間たちも協力を申し出る。かつてジミー自身が建設したそのホールは、人々が芸術やスポーツを学びながら人生を語らい、歌とダンスに熱中したかけがえのない場所だった。やがてジミーの決断が、図らずもそれを快く思わない勢力との諍いを招いてしまう…。
◆「監督:ケン・ローチ インタビュー」
[映画パンフレット『JIMMY’S HALL ジミー、野を駆ける伝説』(編集・発行:松竹株式会社事業部、2015.1.17、税込価格720円)]
──なぜジミー・グラルトンの物語を伝えようと思ったのですか?
本作は多くを同時に語る物語です。左派(The Left)は、気難しくて気分を滅入らせ、楽しさや娯楽、祝福に反対するものという考えに異議を唱えると同時に、組織化された宗教がどのようにして経済力と手を組むかということも示しています。彼らは、今でも同じことを続けているんです。宗教と国家は圧政の代理人だと言えるでしょう。今回の場合、映画の中では時間の関係上ほとんど触れていませんが、進歩主義的に逆行していると思われる、例えばエイモン・デ・ヴァレラ(今作で描かれた時代のアイルランド最高議会議長)のような人物を、民衆は自由な考えや寛容性を奨励していると思った。けれど実際のところ、教会による承認を模索し、いかに彼らを自分の味方にするかということから着手したほどなんです。
──『麦の穂をゆらす風』(06)と対をなす作品という意図があるのですか?もしそうであれば、どのような意図でしょう?
そうですね。あの作品からはちょうど10年が経っているんですが、『麦の穂をゆらす風』の中のセリフで、アングロ・アイリッシュの地主が「この国は神父がはびこる澱んだ水に成り下がる」と言うんです。そしたら驚くなかれ、それが現実のものとなりました。あの時以来、アイルランドは苦悩しています。教会はスキャンダルのせいで、今では多くの信頼を失っている。けれども私たちがあの映画を作っていた時は、人々は教会や神父の力が絶対的だとわかっていました。コミュニティの中で、誰が成功するか否かを決定することのできる力を持っているとわかっていたんです。
──この映画では、どのあたりが史実でどのあたりがフィクションなのでしょう?
この映画はジミー・グラルトンの人生とその時代から“インスパイア”されたものです。ジミー・グラルトンの人生や性格の詳細などはあまり多く知られていません。ある意味とても悲しいことです。というのも彼は文句なくすばらしい人物でしたたから。一方で私たちは、彼のプライベートを想像し、どんな選択に直面していたのかを探る自由を得たのです。私たちは、彼をただ平面的な活動家ではなくて、豊かで人間味のある人物として描きたかった。このバランスはとても難しく、常に細部にまで及びます。彼が誰か女性と付き合うことは可能か?もしそうなら、ふたりの関係とはどんなだったろう?また神父たちが単なる“カリカチュア”だと思われたくはなかった。それは史実の単なるドラマ化で陥り得る危険です。神父は激しい敵意を持っているものの、ジミーの高潔さに敬意を示している。彼には真の価値があって、だからこそ神父は無視できなかったんです。史実通りでありながら登場人物たちを肉付けすることが私たちの役割でした。
──ジミー・グラルトンの作った「ホール」の特筆すべきことは何でしょう?
ホールは自由の精神の具現化だと思います。そこは色々な考えが試され、表現する場所であり、詩や音楽、スポーツを楽しむ場所であり、人々が自分たちの才能を創造できる場所であり、そしてもちろん踊れる場所なんです。
──今回の撮影のため、スタジオを使わずに、ジミー・グラルトンの出身地であるアイルランド・リートリムに実際にホールを建てたそうですね。
本物のホールを建てるのはむしろ簡単でした。アイルランドのあの土地の風景はとても重要でした。実際にそこに暮らす人々、沼地、霧、その他諸々…。スタジオを使う誘惑は、実際の寸法ではないことです。壁を取り外せるし、実生活の中では決して撮影し得ないショットが存在することになります。実際のサイズでは制限が生じますが、観客もそれを感じると思うんです。さらにいえば、ホールでの自然光は美しいものです。リアリティは常にホールの中にあったんです。
私たちは、どこが撮影に最適か、アイルランドの西部一帯を見て回りました。でも、実際のところ、リートリムがベストだったんです。物語が実際に起きたあの場所で、しかも本物だというだけでなく、実に何もない田舎だったために現代テクノロジーの影響もない。本当に寂れた所なんです。多くの人が職を求めて他の土地に移っていたため、撮影するのは本当に楽でした。リートリム以外のロケ地を探す理由は何もないと思えました。
──地元の物語をあなたが語ることについて、現地ではどのような反応がありましたか?
これ以上ないくらいに歓迎してもらいました。本作には地元の若者が大勢出演したんですが、彼らの献身ぶりには目を見張るものがありました。素晴らしかったのは、彼らは皮肉屋なんかではなく、とてもオープンな心の持ち主で、寛容でいて、間違いなく献身的でした。彼らにはとても驚かされ、その楽しんでいる姿に影響を受けました。
──最後に、果たしてジミー・グラルトンとは何者だったのでしょう?
実際の彼は、熱心な活動家でした。過去長きにわたって、私は労働組合や組織員、政治にどっぷり浸かっている人々に会ってきました。政治に一度目をつけられたら最後、もう離れることはできません。10年前に祖国を追われたジミーは1932年にアイルランドへと戻ったけれど、ホールを再開することは大きな決断でした。ホーを再開すれば、連中は再びジミーの後をつけ狙うようになるでしょう。そして一旦狙われれば、故郷に留まるため政治を断念するか、昔と同様に大きな闘いと向き合わなければなりません。政府が変わったことで可能性が開けたという感触はあったものの、ジミーのような政治的感覚がある人には、デ・ヴァレラのような政治家は労働者の利益を裏切るだろうとわかっていたでしょう。ジミーは階級の対立も、この問題を避ける術のないことも理解していた。だから母親と一緒に暮らし、農地の世話をするためにこの地へと戻ったジミーにとって、再び政治に身を投じるのは苦渋の決断だったわけです。20年もの旅の生活に疲れ切っていても、他の道があったでしょうか?もし政治的な人物であれば、他の選択肢はないんです。
ケン・ローチ(Ken Loach)のプロフィール:
1936年6月17日、イングランド中部・ウォリックシャー州生まれ。電気工の父と仕立屋の母を両親に持つ。高校卒業後に2年間の兵役を経て、オックスフォード大学に進学し法律を学ぶ。卒業後、劇団の演出補佐を経て、63年にBBCテレビの演出訓練生になり、翌年演出デビュー。67年に『夜空に星のあるように』で長編映画監督デビュー。2作目『ケス』(69)でカルロヴィ・ヴァリ映画祭グランプリを受賞。その後、ほとんどの作品が世界三大映画祭などで高評価を受け続けている。カンヌ国際映画祭では、『麦の穂をゆらす風』(06)でパルム・ドールを獲得し、『Black Jack』(79)、『リフ・ラフ』(91)、『大地と自由』(95)で国際批評家連盟賞を受賞、『ブラック・アジェンダ/隠された真相』(90)、『レイニング・ストーンズ』(93)、『天使の分け前』(12)で審査員賞に輝いている。
▼予告編
今に息づく自由という大樹。それはかつて“名もなき英雄”が蒔いた一粒の種―。
1932年、10年ぶりに祖国の地を踏んだ実在の人物ジミー。 多くの若者や民衆の心を掴んだ、この私利なき高潔な男は、やがて伝説となった―。
■私感:
美的感動が胸に残る作品だ。
緑したたるアイルランドの大地!この、少年時代の私が育った北海道(特に道東)の自然を彷彿させる風景は、まるで絵のように美しい。
そして、奪うことのできない人間の自由と尊厳のために、誇りを胸に闘うジミーの生きざま―その清廉・誠実・良識・高潔が私の心を揺さぶってやまない。
ジミーは民衆のリーダーとして、Jimmy's Hall =「人々が自主的に集い、学び、描き、歌い、踊り、語り合える自由な空間(コミュニティーホール)」を造り上げ、地域の民衆の絶大な支持を集める。
そして、「良心の自由」に生きる人生の喜びと素晴らしさを熱心に説く彼の言葉の数々は、未来への希望に満ちた熱いメッセージとして、民衆を奮い立たせ、大いに啓発する。
「我々は人生を見つめ直す必要がある。欲を捨て、誠実に働こう。ただ生存するためではなく、喜びのために生きよう…自由な人間として!」と民衆に演説するワンシーンがとりわけ印象的だ。
■蛇足:
たまたま coco(映画レビューサイト)の「ジミー、野を駆ける伝説に関するみんなの感想」を瞥見したところ、3人の「coco映画レビュアー」の、次のような感想が目に付いた(http://coco.to/movie/37954)。
・「さあてこれからどんな巻き返しを図ってくるのかと期待したらまさかのエンドロール。えーそんな中途半端な結末ってありかよって。事実だから仕方ないんだろうけれどジミーちゃんもっと頑張ってよ。結局自分だけかよって。」(1月25日)
・「10年前にジミーが追われた経緯を語る前半は睡魔との闘い(笑)。小さな田舎町でも時代の流れに応じて、名も無き英雄が立ち上がったという記録。こんな市井の人まで処罰したのだから、当時は人材不足だったろうに…」(1月20日)
・「アイルランドを舞台に抑圧からの解放を説いた実在の活動家を描いた映画。中盤位まで睡魔と闘っていてあまり頭に入ってこなかった。意識がはっきりした後半以降が良かっただけに少し後悔。どこかでリベンジしたい。」(1月20日)
◎「中途半端な結末」とか「睡魔との闘い」とか…!?
私は初めから終わりまで、109分間フルに、美しい映像を目を凝らして観つづけ、心ゆくまで眺めつづけたものだ!
にもかかわらず、人間いろいろ…、各自の内的世界はこうも違うものだろうか !!