普通人の映画体験―虚心な出会い -49ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2016年8月24日(水)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、14:35~鑑賞。

作品データ :
原題 GHOSTBUSTERS
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
上映時間 116分


ニューヨークに現われた幽霊を退治しようと奮闘する男たちを描き、80年代にヒットした『ゴーストバスターズ』(1984年)→『ゴーストバスターズ2』(1989年)をリブートした超常現象コメディー映画。心霊現象の専門家など4人の女性たちが、ピンチに陥ったニューヨークを救うため立ち上がる。前シリーズ2作を監督したアイヴァン・ライトマンが製作を、コメディを得意とするポール・フェイグが監督を務める。

ストーリー :
ニューヨークのコロンビア大学で教鞭を執る物理学者エリン・ギルバート(クリステン・ウィグ)の元に、幽霊の調査依頼が舞い込む。彼女がかつて幽霊本を出版したことがその理由だったが、大学内で微妙な立場にあるエリンは、ヒギンズ科学大学で幽霊研究に打ち込む幽霊本の共著者で友人のアビー(メリッサ・マッカーシー)を訪ねる。その話に目を輝かせたアビーと、彼女の相棒ジリアン・ホルツマン(ケイト・マッキノン)と共に訪れた現場で、ゴーストに遭遇。だが、その映像をネットで公開したところ、世間を騒がせたという理由で3人とも大学をクビになってしまう。やむなく3人は、頭の悪い青年ケヴィン(クリス・ヘムズワース)を秘書に雇い、中華料理店の 2階をオフィスとして超常現象の調査会社を設立する。最初の依頼者は、地下鉄の女性駅員パティ(レスリー・ジョーンズ)。地下鉄構内でゴーストに追いかけられたと駆け込んで来たのだ。現地でそのゴーストの姿をビデオに収めたものの、ネットに公開した映像は世間から完全にインチキ扱い。ゴーストの存在を証明するには捕獲するしかないと悟った3人は、パティを仲間に加え、ジリアン開発の捕獲装置プロトンビームをバックパック型に改良してチャンスを待つ。そして、再び訪れる出動の時。オジー・オズボーン主宰のロックフェス会場にゴーストが出たというのだ。万全の装備で乗り込んだ4人は、ステージ上でゴーストの捕獲に成功。これが彼女たち“ゴーストバスターズ”最初の大手柄となった。だが、その裏で、ニューヨークに危機が迫っていた。一連の幽霊騒ぎは、天変地異によって世界を浄化しようとする黒幕ローワン(ニール・ケイシー)の仕業だったのだ。果たしてゴーストバスターズたちは、ニューヨークの街を守ることができるのか?人類の未来を懸けたファイナルバトルが、今始まる!

▼予告編

2016年8月12日(金)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、16:10~鑑賞。

作品データ :
原題 X-MEN :APOCALYPSE
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 20世紀フォックス映画
上映時間 144分


望まずして強大な力を手に入れてしまったミュータントたちの戦いを描くアクション「X-MEN」シリーズの第6作。ミュータントの始祖である最強キャラ、アポカリプスとX-MENたちとの戦いや、その結成秘話などが綴られる。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のオスカー・アイザックが最強のミュータント、アポカリプスを演じる。監督は、シリーズ第1作『X-メン』(2000年)、第2作『X-MEN 2』(2003年)、第5作『X-MEN:フューチャー&パスト』(2014年)を手掛けたブライアン・シンガー。

ストーリー :
世界最初にして最強のミュータントであるエン・サバー・ヌール/アポカリプス(オスカー・アイザック)は、その強大な能力によって人々から崇拝の対象となり、古代エジプトを支配していた。彼は自分が老いると他のミュータントの体に自分の魂を移して長い間生きながらえてきた。しかし、ヒーリング・ファクターの能力をもつミュータントの体に魂を移す儀式を行なおうとしたところ、彼に反感を持つ者たちの反乱に遭い、4人の従者が命をなげうって彼を守るものの、彼はピラミッドに生き埋めになり、長い間の眠りにつくこととなった。
1983年、1974年(『X-MEN:フューチャー&パスト』)以来ミュータントの存在が公になってからはミュータントを神の再来としてあがめるカルト集団がいくつもでき、そのうちの一つがアポカリプスを目覚めさせる。数千年ぶりに復活し、カイロの下町を歩き回ったアポカリプスは、人類の文明は道を見失っていると感じる。世界を破壊し、再構築するためにまずは天気を操る能力を持ち、窃盗で生き延びてきた少女オロロ・マンロー/ストーム(アレクサンドラ・シップ)の能力を買いリクルートし、その能力を増幅させる(その際、黒かった髪の毛が白色に変化する)。アポカリプスは自身直属の配下「黙示録の四騎士」を再結成すべく、残り3人の実力者のミュータントを探し始める。
東独では、姿かたちを自由自在に変えることができるレイヴン・ダークホルム/ミスティーク(ジェニファー・ローレンス)が、地下で行なわれるファイト・クラブでチャンピオンに君臨する翼が生えたミュータントのエンジェル(ベン・ハーディ)を見つけていた。10連勝した彼のもとに挑戦者として瞬間移動の能力を持つカート・ワグナー/ナイトクローラー(コディ・スミット=マクフィー)が放り込まれる。ナイトクローラーを助け出したミスティークは、闇商人であるキャリバン(トーマス・レマルキス)に偽造パスポートを作ってもらい、ナイトクローラーと共にアメリカに戻る。アポカリプスはミュータントの情報を求めてカイロから東独のキャリバンを訪ね、彼のもとで働くサイロック(オリヴィア・マン)をリクルートする。また、サイロックの手引きによりファイト・クラブから逃げ出したエンジェルを見つけたアポカリプスは、彼もリクルートする。アポカリプスはエンジェルの従来の鳥の持つような有機物の羽を、無機物の金属の羽に変えて能力を強化する。
かつてキューバ危機の際に第三次世界大戦を防ぐために戦ったアレックス・サマーズ/ハボック(ルーカス・ティル)は、弟のスコット・サマーズ/サイクロップス(タイ・シェリダン)が自身と同様に赤い破壊エネルギーであるオプティック・ブラストを放てるようになったことに気づく(なお、ハボックは胸や腕から出すのに対してサイクロップスは目からである)。ハボックはキューバ危機の際に共に戦った仲間であるチャールズ・エグゼビア/プロフェッサーX(ジェームズ・マカヴォイ)が開く恵まれし子らの学園に連れていく。サイクロップスはそこでプロフェッサーXやハンク・マッコイ/ビースト(ニコラス・ホルト)に能力を使いこなすために訓練をしてもらう。またサイクロップスは強力なテレパスであるジーン・グレイ/フェニックス(ソフィー・ターナー)と知り合う。そこにミスティークがナイトクローラーを連れてくる。
一方、アポカリプスの強大な力は世界中に影響を与えており、テレパスであるフェニックスは夜な夜な世界が滅びる悪夢に悩まされていた。プロフェッサーXとハボックは、手掛かりを得るために、かつてキューバ危機の際に共闘したCIAエージェントのモイラ・マクタガート(ローズ・バーン)に協力を求める。
ポーランドでは、エリック・レーンシャー/マグニートー(マイケル・ファスベンダー)が自分の正体を知ったうえで愛してくれる妻と、幼い娘のニーナと共に平和な生活を送っていた。鉄工所で働く彼はある日、事故で死にそうになった同僚を助けるために、その能力を使ってしまった。それを目撃した一部の同僚は、警察に通報し、警察はマグニートーをとらえるために娘のニーナを拘留する。マグニートーが投降しようとしたところ、別れを嫌がるニーナがミュータントの能力を発動させ、鳥たちが一斉に警察に襲いかかる。一人の警察が構えた弓矢を思わず放してしまい、一本の矢がマグニートーの妻とニーナの命を奪ってしまう。激怒したマグニートーは、今や形見となった妻のペンダントで警察を皆殺しにして報復する。アポカリプスはそんな彼を見つけ、マグニートー~ナチスのホロコーストの被害者~にとって忌まわしい場所であるアウシュヴィッツを自身の手で破壊させ、能力の発現を強める。
ミスティークの口からマグニートーに起こった悲劇を知ったプロフェッサーXは、セレブロ(テレパシー増幅装置)を使い、エリックに向かって学園に来るよう語りかける。しかし、プロフェッサーXの強力なテレパスの力こそアポカリプスが欲していたものであり、アポカリプスは逆にマグニートーを経由してプロフェッサーXの頭に入り込む。セレブロで強化されたプロフェッサーXの能力で、アポカリプスは世界中の核兵器を一気に宇宙に放棄させた。次に、テレポート能力で学園に侵入したアポカリプスらは、プロフェッサーXを誘拐する。ハボックはそれを止めようと胸からビームを発射するが、間一髪で間に合わず、向こう側にあった戦闘機ブラック・バードのプロトタイプのエンジンを直撃してしまい、大爆発を引き起こす。そこに偶然、父親がマグニートーであることを知りプロフェッサーXに父親を捜してもらおうとしたピーター・マキシモフ/クイックシルバー(エヴァン・ピーターズ)が居合わせる。約10年前、父親をペンタゴンから脱獄させたように、その超高速で動ける能力で学園内にいた全生徒を救出する。しかし、ハボック一人は爆発に近かったためクイックシルバーも間に合わずに死亡してしまったことが判明する。
そこにウィリアム・ストライカー大佐(ジョシュ・ヘルマン)率いる部隊が強襲、ビースト、ミスティーク、クイックシルバー、モイラが拉致される。彼らを助け出すために、サイクロップス、フェニックス、ナイトクローラーが 彼らの乗るヘリに乗り移る。そのままアルカリ湖の研究施設に入り込んだサイクロップスらは、フェニックスが研究施設でアダマンチウムを埋め込まれ、洗脳されかけて凶暴状態になったローガン/ウェポンX(ヒュー・ジャックマン)を開放し、兵士を全滅させる。フェニックスはウェポンXに近づき、奪われた記憶の一部を戻す。ウェポンXは雪の積もる森の中へ逃げていった。
アポカリプスの指示のもと、マグニートーはその能力で地軸をずらし、地球の裏側まで貫通するほどのパワーで大規模な破壊活動を行なう。アポカリプスは「地球上のどの人物の頭に入り込め、誰にでもなれる能力」を持つプロフェッサーXの能力を増幅させ、セレブロなしで全世界の人間に宣戦布告を行なう。プロフェッサーXはその間に秘密裏にフェニックスに自身がカイロにいることを伝えた。プロフェッサーXを救うため、アルカリ湖の研究所にあった戦闘機でチームはカイロに向かう。
アポカリプスはまず物体を分子レベルで操る能力で破壊した町から新たなピラミッドを建造し、プロフェッサーXの肉体に魂を移そうとする。チームが到着し、間一髪ナイトクローラーがプロフェッサーXを助け出すが、プロフェッサーXはその儀式の影響により頭髪をすべて失う。また、エンジェルは戦いの最中に死亡。ミスティークとクイックシルバーの説得に遭ったマグニートーは、かつてプロフェッサーXに言われた言葉「まだ君の心は豊かだ、君には善の心が残っている」という言葉を思い出し、アポカリプスに反旗を翻す。彼は自身が裏切ったのはアポカリプスではなく、自分の仲間であるミュータントだったと気づいた。プロフェッサーXがテレパスの能力でアポカリプスを倒そうとし、マグニートーやサイクロップスらが総攻撃を加えるものの、アポカリプスには効かない。そんな中、プロフェッサーXはフェニックスに自身の力を開放するよう訴え、フェニックスは自身に眠るフェニックスフォースを開放する。それによって優勢だったアポカリプスは劣性に追い込まれ、ストームも加わった総攻撃により、自身が今の世界に必要がない運命を悟って消滅した。
サイロックはどこかへ姿を消す。プロフェッサーXはキューバ危機の記憶をモイラに戻し、関係を再構築する。
それから時間が経ち、マグニートーはフェニックスと共に学園を再建する。プロフェッサーXはマグニートーに、学園に留まって一緒に生徒を指導してほしいと願うも、マグニートーはこれを断り学園を去る。クイックシルバーはマグニートーに自分が息子であることをまだ伝えないことにする。
ミスティークとビーストを指導教官に新しく結成された、サイクロップス、フェニックス、ストーム、ナイトクローラー、クイックシルバーらのX-MENは、トレーニングルームで訓練を開始する。そして、トレーニングルームに踏み込んでくるセンチネル(バイオメカニカル・ロボット)らを迎え撃つ彼らを見守るプロフェッサーXではあった…(閉幕)。

▼予告編

2016年8月5日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、19:05~鑑賞。

作品データ :
原題 THE LEGEND OF TARZAN
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 ワーナー・ブラザース映画
上映時間 110分


「ハリー・ポッター」シリーズのデヴィッド・イェーツ監督が、エドガー・ライス・バローズの古典小説「ターザン」シリーズを原作に、ターザンの新たな冒険を描くアクション・アドベンチャー大作。英国貴族となったターザンが妻と故郷を取り戻すため、再びジャングルの帝王となり悪との対決に挑む。ターザン役のアレクサンダー・スカルスガルドが194cmの長身を生かし、ダイナミックなアクションを披露する。共演にサミュエル・L・ジャクソン、マーゴット・ロビー、クリストフ・ヴァルツ。

ストーリー :
1885年、ベルリン会議においてベルギー国王レオポルド2世がコンゴ盆地の領有権を確保し、コンゴ自由国が成立する。しかし、コンゴの経営に行き詰まり莫大な負債を抱えたレオポルド2世は、事態を打開するため側近のレオン・ロム(クリストフ・ヴァルツ)をコンゴに派遣し、ダイヤモンドの採掘を命じる。ロムはコンゴ奥地の部族と接触し、族長ムボンガ(ジャイモン・フンスー)と「ターザンと引き換えにダイヤを渡す」という契約を交わす。
父の名を継ぎグレイストーク卿となったジョン・クレイトン(アレクサンダー・スカルスガルド)の元に、レオポルド2世からのコンゴ視察依頼が届く。視察を断るターザンに対し、アメリカ特使のウィリアムズ(サミュエル・L・ジャクソン)は「コンゴで行なわれている奴隷労働の実態を暴きたい」と協力を持ちかける。コンゴ行きを承諾したジョンは、妻ジェーン(マーゴット・ロビー)を連れてウィリアムズと共にコンゴを訪れ、昔の友人である部族と再会を喜ぶ。しかし、そこでロムの率いる公安軍に襲撃され、ジェーンが連れ去られてしまう。ジョンとウィリアムズは、部族の若者と共にロムを追いジャングルを横断する。途中で奴隷を輸送する列車を襲ったジョンたちは、奴隷売買の帳簿を手に入れ、ロムが2万人の傭兵を雇いコンゴ全域の制圧を計画していることを知る。
部族の若者たちと別れたジョンとウィリアムズは、ジャングルの奥地に向かうと、そこではムボンガからダイヤを受け取ったロムが船に乗り込んだ後だった。かつて息子をジョンに殺されたムボンガは復讐を果たそうとジョンに襲いかかる。ジョンは育ての母ゴリラのカラをムボンガの息子に殺されたことを告げ、「やがてロムは君たちを皆殺しにやって来る」と語る。そこにジョンの兄弟ゴリラたちが現われ決闘が終了し、ジョンとウィリアムズはロムを追いボマ港に向かう。
ボマ港に到着したロムは、銀行家フラム(サイモン・ラッセル・ビール)が約束の傭兵を乗せた船団を引き連れ入港したことに安堵するが、ジョンが率いる動物たちに街を襲撃され公安軍が壊滅する。ロムはジェーンを囮(おとり)にして船に乗り込み脱出するが、ウィリアムズの機関銃掃射を受け船が座礁する。ジェーンを救出したジョンは、船に乗り込みロムへの復讐を果たし、船を爆破する。ダイヤが船ごと海に沈んだことを知ったフラムは船団と共に撤退する。
1890年、コンゴから帰還したウィリアムズは、帳簿を元にレオポルド2世のコンゴ経営を弾劾する。それから1年後、ジョンとジェーンはコンゴの部族の村に滞在し、ジェーンの父が暮らしていた家で子供を出産する。

▼予告編

2016年7月29日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、17:35~鑑賞。

作品データ :
原題 THE SHALLOWS
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
上映時間 86分


2007年放送開始のテレビシリーズ『ゴシップガール』のブレイク・ライヴリーが人食いサメと対峙するサーファーを演じるサバイバルアクション。『フライト・ゲーム』などでリーアム・ニーソンをアクションスターに仕立てたジャウム・コレット=セラ監督が、過酷な状況に追い込まれたヒロインの姿を緊迫感あふれる映像で映し出す。

ストーリー :
サーファーで医師のナンシー(ブレイク・ライヴリー)は、休暇を利用して憧れの秘境ビーチを訪れる。目の前に広がるのは、大きな太陽に照らされて宝石のように輝く砂浜とほとんど人がいない真っ青な海。日が暮れるのも忘れてサーフィンに没頭していた彼女だったが、突然海中で何かにアタックされ、脚を負傷。必死に近くの岩場までたどり着く。海岸はすぐ近くだったが、気づくと獰猛で危険なサメが岩の周囲を旋回していた。誰にも助けを求めることもできず、絶望的な状況に追い込まれたナンシー。さらに今は引き潮で岩場は海面上にあるが、時間とともに潮が満ち海面が上昇、満潮になればそこは確実に沈む。岩場が沈むまで残された時間は100分。岩場から岸までは200メートル。タイムリミットは刻々と近づいていた…。

▼予告編

2016年7月26日(火)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)で、17:20~ 鑑賞。『太陽のない街』14:45~と2本立て上映。

作品データ :
製作年 1959年
製作国 日本
製作 山本プロダクション
配給 新東宝
上映時間 146分(モノクロ)


石川達三が佐賀県で起こった“佐教組事件”を基に執筆した同名小説が原作で、ナイーブな生徒思いの女教師が〈教育の国家統制VS民主教育を背景とする〉教育労働争議を通して、人間として教師として成長していく姿を描く。監督は山本薩夫、主演は香川京子。

※佐教組事件(さきょうそじけん)は、1957(昭和32)年2月14日から16日の3日間にわたって佐賀県教職員組合が起こした労働争議。財政難のため県が打ち出した大規模人員削減に反対し、組合員が一斉に有給休暇を取得する休暇闘争で対抗した。国家公務員法第98条、地方公務員法第37条で労働争議が禁止されている教員が起こした実質的なストライキ事件で、作家・石川達三の小説『人間の壁』のモデルとなったほか、学級編成と教職員定数を明確に定めた法律(「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」)を制定するきっかけとなった。

ストーリー :
S県津田山市。活気のない炭鉱と貧しい漁場の間を街なみが走り、山の麓に小学校があった。新学年が始まった。ふみ子(香川京子)は5年3組の担任に決まった。夫の健一郎(南原伸二)は、S県教組の執行委員である。出世主義者で、家庭では横暴だった。数日後、ふみ子は同僚の須藤(高橋とよ)とともに校長(清水一郎)に呼ばれ、退職を勧告された。共稼ぎを理由にして。退職勧告は全国的な規模で行なわれ、S県では260人の教師に出された。県当局は教師の整理で赤字財政を解決しようとしたのだ。国会には教育委員の官選化をめざす法案が提出されていた。ふみ子と須藤の退職勧告は、組合を通じて正式に拒否された。健一郎は役員改選が迫ると、委員長に立候補した。家を飛び出し、選挙運動に狂奔した。しかし、ふみ子には子どもたちがいた。豪雨が襲った。その雨の朝、教え子の吉男が貨車にひかれて死んだ。普通より3円安いノートを買うために遠い踏み切りを渡って行く途中の事故だった。夏休みの間に、ふみ子は正式に離婚した。選挙に落選した健一郎は、東京へ行き、今は立場を変え反動的な論陣を張っていた。ふみ子は少しずつ組合の仕事に力を注ぎ始めた。最近妻を亡くした沢田先生(宇野重吉)の級で事故が起きた。小児マヒで足の不自由な内村という子を、同級の与田ら3人がからかったのだ。沢田はこれを見て思わず3人を突きとばした。与田の父親(松本克平)は、市の消防団長だった。追従する父兄たちが騒ぎ出した。背後には市のボスたちがいた。沢田は辞職を要求された。組合の力は無力だった。そして、追い討ちをかけるように、須藤に4回目の退職勧告が出された。沢田が退職届を出した夜、ふみ子は彼のもとを訪れた。海辺を歩きながら、沢田は言葉少なく自分の考えを語った。ふみ子はその声を聞きながら幸福を感じた。翌朝、須藤から辞表を出すことを書き記した手紙が来た。ふみ子は立ち上がった。「わたしは今月から、須藤先生の退職勧告をやめさせるために働きます」と宣言した。ふみ子は校長に会うために廊下へ出た。女の先生が皆立ち上がった。ふみ子を先頭に彼女たちは歩いて行った。ふみ子は強く校長室の扉を叩いた。
2016年7月26日(火)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)で、14:45~ 鑑賞。『人間の壁』17:20~と2本立て上映。

作品データ :
製作年 1954年
製作国 日本
製作 新星映画社
上映時間 140分(モノクロ)


1950年代前半の独立プロ運動の代表作の一つ。1926(大正15)年の「共同印刷争議」を題材とした徳永直の同名小説の映画化。 山本薩夫監督が労働者ヒロイズムをうたい上げた一編。キャストは『足摺岬』の日高澄子、信欣三、殿山泰司、『わたしの凡てを』のニ本柳寛、『燃える上海』の原保美のほか、大映のニュー・フェイス桂通子が出演している。

ストーリー :
大正末期、“太陽のない街”と呼ばれているトンネル長屋が、東京下町の日当りの悪いドブ川を挟んでいた。人々は近くの「大同印刷」に勤め、低賃金でようやく生活を支えていた。突然、会社は30人の首切りを発表した。人々は生活権の擁護のため、争議をもって応じたが、警察の弾圧、生活苦などは日に日に募った。春木高枝(日高澄子)は病父(薄田研二)とおとなしい妹・加代(桂通子)をかばって頑張っている勝気な女性。加代は争議に反対の昔気質の父と姉の板ばさみになって苦しむが、恋人宮地(原保美)の情熱に力づけられていた。宮地は難航の争議に我慢出来ず、大川社長邸に放火した。しかしその容疑で幹部が次々に検挙されるので、宮地は既に自分の子供を宿している加代に悲しい別れを告げて自首した。間もなく加代の死によってみんなは一層の頑張りを誓い合った。一方、大和講談社の国尾社長(東野英治郎)や井上市会議員たちは調停を買って出るが、大川社長は渋坂財閥と話し合い、会社側は全員首切りを発表した。高枝は暴力団に襲われた組合の幹部萩村(二本柳寛)を看護するうち、彼の心と結ばれていく。ある晩、工場が何者かに放火された。この事件を潮に萩村たちは次々と検挙され、残った幹部は会社の申し入れを呑んでしまった。折角ここまで頑張ったのにと、高枝は悲しかったが、街をかけ抜けていく組合旗を追う彼女の目には再び力強い光がみなぎった―。

■私感 :
私は今回初めて、「新文芸座」で映画を鑑賞した。
そもそも文芸坐は1956(昭和31)年3月、人生坐(名称は「人の世を坐る〈まもる〉」に由来)の姉妹館として東京都豊島区東池袋にオープン。(cf.本ブログ〈July 27, 2016〉記事)
そして、40年以上に渡って営業を続けたが、建物や設備の老朽化、観客の減少による経営不振で、ついに97年3月に閉業。
しかし2000年12月、マルハン経営による「新文芸坐」として復活を遂げる。
遊技業界最大手のマルハン(本社・京都市上京区、韓昌祐会長)が、旧文芸坐の跡地に「マルハン池袋ビル」(地下1階+地上5階)を新設し、3階を「新文芸坐」として運営するにいたったもの。

私は1963年から97年にかけて、文芸坐に足繁く通った。
特に68年7月に人生坐が閉館して後は、私にとって文芸坐こそ、人生坐に代わる名画座(=旧作映画を中心に上映している映画館)として、こよない慰めを感じ取る社会的な場にほかならなかった。
 
   ↓ 旧文芸坐が開館した当時の光景
旧文芸坐

2000年12月12日に新文芸坐がオープンして以来、その存在が何かと気にかかりながら思うに任せず…。
ようやく2016年7月26日にいたって、私は【池袋西口にある池袋シネマ・ロサで『葛城事件』(本ブログ〈July 27, 2016〉記事)を鑑賞後】池袋東口の繁華街に佇む新文芸坐に入館!
伝説的な老舗名画座・文芸坐が戻って⇒“新しく”誕生した名画座・新文芸坐。そこは、かつての名画座の館内のイメージ~薄汚くて、椅子も硬く、トイレの臭いも立ち迷う~からは遠い快適な空間だった。
場内は広々として明るく開放的な作り。266という座席数の割りには、大きなスクリーンと音響の良さ(ドルビーデジタルEXという高水準の音響環境)が魅力的!

私はゆったりとした座席に座って、『太陽のない街』→『人間の壁』の2作を、計4時間50分ばかり堪能し、カタルシスを得ることができたのだった。

ダイヤ徳永直(とくなが・すなお、1899~1958)の『太陽のない街』は、プロレタリア文学の代表作の一つである。

↓「日本プロレタリア作家叢書」第4篇(戦旗社、1929年12月)
「太陽のない街」装丁

プロレタリア文学とは、日本の昭和前期(戦前期)の文学の一潮流(1910年代後半の日本に現われた労働文学を継承し、20年代から30年代前半にかけて流行)で、社会主義思想や共産主義思想に基づき、労働者階級(プロレタリアート)の立場に立って書かれた文学。戦前の日本社会のなかで、社会のなかの個人という観点を近代小説に引きいれ、反天皇制・反軍反戦・反資本主義などの主張を前面に押しだした。

労働者の生活や闘争をテーマとして描くプロレタリア文学運動は、数々の傑作を生み出した。
例えば、葉山嘉樹『淫売婦』(1925年)、『セメント樽の中の手紙』(26年)、『海に生くる人々』(26年)。小林多喜二『一九二八年三月十五日』(28年)、『蟹工船』(29年)、『党生活者』(32年)。黒島伝治『渦巻ける烏の群』(28年)、『武装せる市街』(30年)。佐多稲子『キャラメル工場から』(28年)、徳永直『太陽のない街』(29年)、『失業都市東京』(30年)。

私はかつて高校2年頃から大学時代全般を通して、彼らプロレタリア作家の前掲11作を熟読玩味した。
資本家・経営者から一方的に虐げられていた時代状況下の、労働者の悲哀や凄まじい熱を描き出す各作品は、時代を超えて、不公平な社会への鋭い告発と共に、働く者たちに勇気と希望を与えるもの。
これらはすべて、多感な青年時代のただ中にある私に一種言い表しがたい感動をもたらした。資本主義とは何か、労働とは何か、人間とは何かを深く考えさせられる作品群だった。
特に好印象を受けたのが、人間の自然な感情をのびのびと描いた葉山嘉樹(はやま・よしき、1894~1945)の3作だ。社会の底辺を生々しく描いた『淫売婦』を筆頭に、人間的自覚→社会的自覚→階級的自覚(プロレタリア・ヒューマニズム)の問題を私の目前にまざまざと突きつけてやまない、まさに迫真力に満ちた作品にほかならなかった。

『太陽のない街』は雑誌『戦旗』1929(昭和4)年6~9、11月号に連載された。
作者は無名の新進・徳永直。彼自らが体験した26年の東京都文京区小石川にある共同印刷(作中では「大同印刷」)のストライキを題材とした作品である。
当時のプロレタリア文学の書き手の多くはどちらかというと高学歴の作家が多かったので(例えば小林多喜二は小樽高等商業学校卒、中野重治は東京帝国大学卒)、尋常小学校卒業後に労働生活に入った作者の経歴も、作品の話題となった。

川端康成(1899~1972)は、こう書いている。
「『戦旗』六月号及び七月号の『太陽のない街』を読んだ。徳永直氏といふ人の連載長篇小説である。『といふ人』 といふ程に、 私は徳永直氏については何も知らず、 未完の小説を批評するのもいかがかと思われるが、今月の何十篇かの作品のうち私を最も明るくしてくれたものとして、その題名だけでも誌して置きたい喜びを感じた。」「この作品の表現の歯切れのいい平明さと、全体の明るい健康さと極めて自然に出て来る力強さと、材料の配置と筋の展開との新鮮さと、或る程度の感傷と衝激とーそれらは労働者ばかりが喜ぶものではない。」(『文藝春秋』文藝時評、昭和四年八月一日第七年八号)
また、当時若手文芸評論家の第一人者だった蔵原惟人(1902~91)は、こう評している。
「(『戦旗』1929年5、6月号に発表の小林多喜二『蟹工船』は―引用者註)悲惨なもの、汚いものに対する幾分かのインテリゲンチャ的な感傷・偏愛が、まだプロレタリア的な健康な明るさを妨げてゐる点が、その欠点である。これに比較すると、同じ『戦旗』に連載されはじめた徳永直の長篇『太陽のない街』は、少なくともこの点だけでは、より健康な明るさをもってゐる。」(「東京朝日新聞」作品と批評(二)、昭和四年六月十八日五面)

徳永は『太陽のない街』の創作過程で大衆性を強く意識していた。
彼は労働者の実生活に根差した感情と労働争議のダイナミズムを、読者の基準をインテリならぬ労働者大衆に置き、“読ませる“ことを第一条件とする創作方法によって描いた。
そこでは、革命運動の主体として理想化された大衆ではなく、時には愚かで、時には政治に対して怒りも発露する大衆の諸相が描かれる。大衆は多種多様な層が折重なることで構成されており、必ずしも革命の主体となりうる積極面ばかりを持つのではなく、また無感覚なものとも一元化できないのだった。

同作はベストセラーとなり、映画化や戯曲化され、また世界各国に翻訳出版された。
国内で大きな反響を呼んだばかりでなく、1930年にはベルリンでドイツ語訳が出版され話題になった。続いてロシア語訳、スペイン語訳、フランス語訳、ウクライナ語訳、中国語訳、ハンガリー語訳が出版された。世界の言語の大半を占めたことになる。

ハート山本薩夫監督(1910~83)は、戦後日本の独立プロ運動の先駆者であり、社会派映画の巨匠。
私はこれまで、彼の作品を何本観ただろうか。
遠い記憶を探れば、私は小学生の時に痛烈な皇軍告発の『真空地帯』(1952年)を、中学生の時に農婦の一代記『荷車の歌』(59年)を、高校生の時に下山事件、三鷹事件と並び、「戦後国鉄三大ミステリー事件」の一つと言われる「松川事件」の捜査から裁判までの経緯を描く『松川事件』(61年)を観たように思う。
さらに後年、鑑賞したものとしては、(これは確かな記憶だが)戦国時代を舞台に、権力者たちに利用される下忍たちの悲哀と反抗を描く『忍びの者』(62年)・『続・忍びの者』(63年)、五味川純平の同名大河小説『戦争と人間』の映画化作品『戦争と人間』三部作(70~73年)、明治中期の長野県岡谷市にある製系工場に、岐阜県飛騨地方から野麦峠を越えて働きに出た少女たちの姿を描く『あゝ野麦峠』(79年)。

映画『太陽のない街』に、私は今回初めて接した。
本作は労働争議と、その争議をめぐる、闘い・日和見・裏切り・挫折・希望などの劇的な人間模様を刻む。
物語の構成上の「主人公」は、争議メンバーの子を孕んだ妹・加代(桂通子)や昔気質で争議を苦々しく思う病床の父親を世話する婦人労働者の高枝(日高澄子)で、彼女の目を通して妹が警察のリンチで死亡したり、少女が身売りされたり、親しくする争議委員が暴力団に襲撃されたり、といった事件が描かれる…。

 ↓映画の一場面。右が日高澄子、左が桂通子
映画「太陽のない街」

もっとも、本作の場合、その「主人公」は定置されたものではなく、基本的に事件をめぐる群像劇に力点が置かれている。
だからだろう、そこでは総じて、個々の人間の繊細な心理の綾が織り込まれないがゆえにメリハリがなく、キャラが弱い群衆(ごちゃごちゃと集まる雑多な人々の群れ)がうごめくシーンがいやでも目につく。
それにしても、私が目を見張ったこと。
「太賜のない街」という印刷労働者が住んでいる谷底⇒太陽もかくれんぼする東京随一のスラム街、千川どぶが流れるトンネル長屋。
ここには、何とも言えない独特の《共同体⇒「ごった煮」》的な熱気が立ちこめている。実に生々しい雑草の生命力がみなぎっていることか!

※「一平方哩にも足りない谷底に、東京随一の貧民窟トンネル長屋があり、十数年前の千川上水が、現在では、あらゆる汚物を呑んで、梅雨期と秋の懇雨には、定って氾濫しては、四万の町民を天井へ、吊し寝床を造らせてゐる」(徳永『太陽のない街』)。

本作で特筆すべき点は、労働者の命がけの組織的な抵抗を単純化することなく、組織内部にある意見対立や利害対立を陰影豊かに描き出し、権力との対決の場における騒然とした雰囲気を巧みに演出していること。

労働者の争議権(ストライキを行なう権利)は、戦前日本の明治憲法には明記されていなかった。しかし、その時代にも労働者の闘いがあった。官憲から弾圧されながらも、労働者は闘っていたのだ。
ちなみに、戦後の日本国憲法の第28条に、賃金労働者という社会的地位にある者に対して特別に保障された権利(労働基本権)として、団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権)の労働三権の規定が設けられている。

「太陽のない街」と称するとき、その「太陽のない」とは現実問題として、暗闇があたりを覆う状態を意味する。
生きる(食べる)ために働く人々の悪戦苦闘!道理が失われ、先行きに不安が充満している状態下…。
しかし、視点を転換して逆説的に言えば、光は暗闇の中でこそ輝くものだ。
本作はその全体的文脈上(方向性)、濃く垂れ込める暗闇の中に、ちらちらと見え隠れする光のゆらめきを暗示している。
それは、いかに困難な課題と厳しい試練の中でも必ずや明日への希望を見出すであろう~最後まで希望を失わない~“力”そのものである。
2016年7月26日(火)池袋シネマ・ロサ(東京都豊島区西池袋1-37-12 ロサ会館、JR池袋駅西口から徒歩3分)で、12:10~ 鑑賞。

作品データ :
製作年 2016年
製作国 日本
配給 ファントム・フィルム
上映時間 120分


劇作家で監督デビュー作となった『その夜の侍』が国内外で高い評価を受けた赤堀雅秋が、自作の舞台を三浦友和主演で映画化。幸せな家庭を求めるがゆえに家族を不幸にしてしまう父親と、精神を病んでいく妻、リストラを機に孤立していく長男、無差別殺傷事件を起こし死刑囚となる次男ら、とある家族がたどる運命を描く。

ストーリー :
どこにでもありそうな郊外の住宅地。ボソボソと「バラが咲いた」を歌いながら、葛城清(三浦友和)は、古びた自宅の外壁に大量に落書きされた「人殺し」、「死刑」などの誹謗中傷をペンキで消している。やがて庭に移動すると、庭木にホースで水を撒きながら、ふと、この家を建てた時に植えたみかんの木になる青い実に手を伸ばす…。
親が始めた金物屋を引き継いだ清は、美しい妻・伸子(南果歩)との間に2人の息子も生まれ、念願のマイホームを建てる。思い描いていた理想の家庭を築き上げたはずだった。しかし、その想いの強さが、家族を抑圧的に支配するようになっていたことに、清は気づいていなかった。長男・保(新井浩文)は、子供の頃から従順でよくできた子供だったが、対人関係に悩み、会社からのリストラを誰にも言い出せずにいた。堪え性がなく、アルバイトも長続きしない次男・稔(若葉竜也)は、事あるごとに清から責められ、理不尽な想いを募らせる。そんなある日、清に言動を抑圧され、思考停止のまま過ごしていた伸子が不満を爆発させ、稔と共に家出。これをきっかけに、葛城家は一気に崩壊へと向かっていく。
稔が無差別殺人事件を起こして8人の人間を殺傷、死刑宣告を受けてしまう。次第に精神のバランスを崩し、廃人のようになっていく伸子。さらに、死刑制度反対を訴える女性・星野順子(田中麗奈)が、稔と獄中結婚するが…。

▼予告編



■私感 :
今回、私が(通称)「池袋シネマ・ロサ」(正式名称「シネマ・ロサ(Cinema ROSA)」)という映画館に入ったのは、二十数年ぶりのこと。
記憶が曖昧ながら、私の人生史上、これまで同館で映画を観たのは10回に満たない…。

私は1963(昭和38)年の3~7月ごろ、西武池袋線沿線の住人(下宿人)だった。その間、映画狂の私の最大の楽しみは、ターミナル駅の池袋駅“東口”に近い「人世坐」(1948年開館~68年閉館)とその姉妹館「文芸坐」(56年開館~97年閉館)に通うことだった。当時、人世坐は名画座で、文芸坐は松竹洋画系の封切り館。私は三日に上げず、両館に通い詰めたものだった。

だが、同じ池袋駅界隈にあるとはいえ、“西口”側に位置する「シネマ・ロサ」については、不思議に私は縁がなかった。少なくとも1963年当時は、その存在すら気がつかなかった。

同館は東京都豊島区西池袋に昭和20(1945)年代から続く有名な老舗映画館。当初は邦画の封切り(ロードショー)館→68年から主として邦画の封切りを、併せて洋画の封切りも上映→75年頃から名画座→97年から再び洋画系および邦画系のロードショー館となり、また積極的に自主企画での特集上映も行ない、現在にいたる。(cf. “cinema rosa.net-劇場の歴史ー”)

スペイン語で「薔薇(=ロサ)」の館名を持つ、池袋で最も古い映画館「シネマ・ロサ」。
私が同館の名前を初めて聞き知ったのは、いつごろだったか?
やがてその存在~名画座時代の同館~を現認できたのは、1980年頃のある夜のこと。私はたまたま池袋西口界隈の“ロマンス通り”歓楽街で一杯やった折、そのロマンス通りに面した「ロマ会館」(1968年開業)内に“シネマ・ロサ”を発見した次第。
ほどなく、私は同館に初めて足を運んだ。そして80年代前半、同館で数回は映画を観たように思う。しかし、80年代後半~90年代の同館行きは、わずかに2、3回程度。
当時の私の場合、池袋の映画館に関するかぎり、1963~68年に人世坐および文芸坐を、69~97年に文芸坐(68年の人世坐閉館後に名画座に転向)をつねづね贔屓(ひいき)にしていたため、日一日とシネマ・ロサへの関心が遠のいていった。

ダウン本作は暗いオーラを放つ問題作だ!
観る者の心を強く揺さぶる作品だ!
悶々の情が胸に湧き立つ…。

市井の普通の家族が、なぜ崩壊し、無差別殺傷事件を起こした死刑囚を生み出してしまったのか―。
『葛城事件』の舞台版(赤堀雅秋監督の主宰する劇団「THE SHAMPOO HAT」公演、2013年)は“附属池田小事件”(2001年)を題材にしている。
映画版では、それに加えて、“池袋通り魔殺人事件”(1999年)“土浦連続殺傷事件”(2008年)“秋葉原無差別殺傷事件”(2008年)“「黒子のバスケ」脅迫事件”(2012~13年)など、近年起きた様々な事件も参考にしている。

とかく残虐な事件が発生すると、事件の背景~人はなぜ犯罪を犯すのか~が、因果論的⇒因果応報的に、巷間に取り沙汰される。
いわく、犯人が劣悪な家庭環境に育った(ex.親から虐待を受けていた)、学校や職場でイジメに遭い、精神的なストレスを抱えていた、ドラッグなどの外因性の薬物を使用していた、さらには先祖代々“悪の遺伝子”を受け継いでいる、等々。

そして本作では、家族を崩壊へと導いた元凶として父親・葛城清の「抑圧的な性格」が強調される。
自分が間違っているとは決して思わない、自己中心的・高圧的な性格の持ち主である清は、家族の誰もが求めていない自分の価値観(理想像)を押し付けてしまう―。

だが、事態は単純な“因果”関係を超えた構造的なものだ。
日本社会の錯綜纏綿した今日的状況をすべて因果性~原理上、原因と結果の1対1対応→ひいては善因善果(善因楽果)/悪因悪果(悪因苦果)~に押し込めてしまうのは、浅薄な所業もいいところ。

赤堀監督は映画パンフ『葛城事件』(編集・発行:ファントム・フィルム、発行日:2016年6月18日)において、本作を世に問うたのは、《「こういった現実がわれわれの地続きにある」という想像力を喚起したい》ためだ、とのメッセージを発している。

私によれば、人は誰でも人を殺す可能性をはらんでいる。殺人犯の要素は、誰の中にも眠っている。
問題は負の連鎖が何度も続き深刻化すれば、決して自分は人を殺さないと思っている人も、人を殺してしまうことが起きうるということだ。

現代日本社会は今、どういった構造的な問題状況下にあるのか…。
2016年7月8日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、19:00~鑑賞。

作品データ :
原題 INDEPENDENCE DAY:RESURGENCE
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 20世紀フォックス映画
上映時間 120分


1996年に製作・公開され、世界中で大ヒットを記録したSFパニック作『インデペンデンス・デイ』の20年ぶりの続編。人類を滅ぼすために再度襲来した異星人と人類との戦いが幕を開ける。前作に引き続きローランド・エメリッヒがメガホンをとるほか、ジェフ・ゴールドブラム、ビル・プルマンら前作のキャストも出演。

ストーリー :
人類がエイリアンとの壮絶な死闘に勝利してから20年。30億の尊い命を失った人類は、新たな襲来に備えるため、エイリアンの宇宙船のテクノロジーを基に、地球防衛システムを構築していた。そして迎えた2016年7月。エイリアンが残した宇宙船が、20年の時を経て密かに覚醒。地球に仲間を呼び寄せるSOS信号を発信し始める。ほどなくして地球に現われたエイリアンは、想像を遥かに超える進化と巨大化を遂げていた。重力すらも自在に操るそのパワーの前に、ニューヨーク、ロンドン、パリ、シンガポール、ドバイといった世界の主要都市は、なすすべもなく壊滅。敵の猛攻撃に晒され、防衛システムを無力化された人類は、たちまち滅亡の危機に直面する…。

▼予告編

2016年7月5日(火)TOHOシネマズみゆき座(東京都千代田区有楽町1-1-3東京宝塚ビル地下2階、JR有楽町駅・日比谷口徒歩5分)で、18:50~ 鑑賞。

作品データ :
原題 Dark Places
製作年 2015年
製作国 イギリス フランス アメリカ
配給 ファントム・フィルム
上映時間 113分


『ゴーン・ガール』(原題:Gone Girl、2012年)の原作者ギリアン・フリン(Gillian Flynn、1971~)による小説『冥闇(めいあん)』(原題:Dark Places、2009年)をシャーリーズ・セロン主演で映画化したミステリー・ドラマ。幼い頃に家族を惨殺され、その犯人として実の兄を名指しした少女が、その28年後に、兄の無実を信じる謎の組織と関わったことから、封印していた過去の記憶と向き合い、事件の意外な真相に迫っていくさまが描かれる。『サラの鍵』で過去のユダヤ人迫害事件に迫るヒロインを描いたジル・パケ=ブレネールが監督を務める。

ストーリー :
1985年、カンザス州の田舎町。母親とその娘2人が惨殺される事件が発生。家の壁には“悪魔崇拝”を示唆する血文字が残されていた。犯人として逮捕されたのは15歳の長男ベン(タイ・シェリダン)。生き残った8歳の末っ子リビー(スターリング・ジェリンズ)が、兄の犯行を目撃したと証言したため、ベンは容疑者として逮捕され、有罪となり終身刑を宣告された。

それから28年後…。36歳になったリビー(シャーリーズ・セロン)は、定職に就かず、孤独で自堕落な日々を送っていた。アパートの家賃は滞納を重ね、室内はゴミが散乱し、荷物が溢れ返り、乱雑を極めている。彼女は殺人事件の遺族として人々から同情を集め、支援金や自伝出版で食いつないできた。しかし、事件が忘れ去られるにつれて、暮らし向きが逼迫していく。母親の保険金も支払われたが、その金も尽きて残金はわずか480ドルのありさま。

そんな不安定な生活を続けるリビーのもとに、「殺人クラブ」という団体から1通の手紙が届く。「殺人クラブ」は、過去の有名な殺人事件を検証する民間のボランティア団体だった。
彼女はクラブのメンバーであるライル(ニコラス・ホルト)と接触し、28年前の殺人事件の重要な証言者として協力してほしいとオファーを受ける。生活に窮していたリビーは多額の報酬を条件に、しぶしぶ出席を了承した。
クラブは任意の団体ではあるが、元刑事や探偵、学者などが所属していて、かなり本格的なプロ集団だった。クラブ内ではリビーの事件はもっぱら人気のある案件となっているようで、彼らの見解では兄ベンは“無罪”とのこと。彼女は彼らの主張に反発を覚えつつも、報酬ほしさに彼らの調査に協力していく。

そして、ライルに背中を押され、彼女は勇を鼓して刑務所に服役しているベン(コリー・ストール)に再会した。会ったのは、ベンが怖かったのか、開放部屋ではなく死刑囚用の面会室で。
ベンはリビーとの再会を喜ぶが、事件の話になると口が重い。彼は母と2人の姉を殺(あや)めてはいないと、改めて無罪を主張するが、なぜか刑に服することを望んでいる。いったい何を隠しているのかと、リビーは疑念を抱く。一方、ベンから当時リビーが警察に誘導されるまま、彼が犯人であると嘘の証言をしたことを指摘された。
面会中、リビーはふと彼の手首に女性の名~ベンの元彼女“ディオンドラ”~のタトゥーが彫られているのを見つける。やがて彼女の脳裏には、徐々に28年前の過去の記憶が蘇っていく …。

リビー・デイはまだ8歳の幼い少女で、母親のパティ・デイ(クリスティナ・ヘンドリックス)と2人の姉~長女デビー・デイ(マディソン・マクガイア)と次女ミシェル・デイ(ナタリー・プレヒト)~、そして兄ベン・デイの5人で暮らしていた。父親のラナー・デイ(シーン・ブリッジャーズ)はリビーが2歳の時に離婚して家を出ていってしまい、パティが女手一つで4人の子どもを育てていた。

ベンはヘヴィメタル(heavy metal)にハマっており、グループメンバーたちと“悪魔崇拝”に傾倒していた。当時は学生の間で悪魔崇拝が一つのトレンドであり、彼らが儀式のために農場の家畜を殺したりする事件が大きな社会問題となっていた。ベンは家族の中で完全に浮いた存在となり、とくに母親パティとは険悪な状態が続く。息子を愛するがゆえに、パティはベンの行動に悩み、頭を抱える。
ベンには当時、年上のディオンドラ(クロエ・グレース・モレッツ)というガールフレンドがいた。ヘヴィメタルや悪魔崇拝などはすべて彼女から影響を受けたものだった。パティは2人が交際していることは知らなかったが、ベンはディオンドラと深い関係となり、彼女を妊娠させてしまった。ベンは彼女と街を出て2人で一緒に暮らそうと約束するが、彼女はドラッグを吸うなどしてベンを悩ませる。
一方、家を出た父親ラナーは、役立たずの飲んだくれに堕ち、たびたび母親のもとを訪れては、暴力を振るって有り金を巻き上げていた。パティにとって、そんな元夫は大きな悩みの種だった。
さらに折からの農業大不況が農家の経営を揺るがし(※1980年代の、カンザスをはじめとするアメリカの農業地帯では、様々な要因から壮絶な不景気が巻き起こっていた)、女手ひとつで一家を支えるパティは生活に困窮を極める。ついに自宅も差し押さえを食らい、経済的に八方塞がりで手の打ちようがない状態に追いつめられる。
そこへ追い打ちをかけるように、今度は息子ベンに女児のクリシー(アッディ・ミラー)への性的イタズラの疑いがかかった。パティはベンの無罪を信じていたが、彼の部屋からあるはずのない女性用の下着を発見してしまう。このままでは、ベンは逮捕され小児性愛者としてのレッテルを一生貼られてしまうだろう。ベンの疑いを晴らすためにも、多額の弁護士費用がどうしても必要だった。

そして、あの日の夜に惨劇は起こった…。
28年前の事件を振り返るなか、リビーは事件の真相を突き止めるべく、当時の関係者一人一人に接触していく。彼らとの交渉をきっかけに、彼女の“闇の記憶(ダーク・プレイス)”が一つ一つ呼び起こされる。やがて彼女は、想像を超えた衝撃の事実へ一歩、また一歩と近づいていくのだった…。

リビーはかつてベンがイタズラをしたというクリシー・ケイツ(ドレア・ド・マッテオ)に会うことにした。
彼女は今はストリッパーとして働いていて、このテイタラクに落ちぶれたのは全てベンのせいだと、これまで言い訳のようにつぶやいてきた。だが、彼女は衝撃の事実を明かす。実はベンは性的なイタズラなど仕出かしておらず、彼女が一方的にベンを好きになり、彼から拒絶されたことで、ああいう嘘を広めてしまったのだ、と。最初は軽い気持ちで嘘をついただけだったが、どんどん話が大きくなってしまい、後に引けなくなってしまったとのこと。リビーは彼女の突然の告白に驚愕するものの、肝心のあの夜のことを彼女は知る由もなく、事件の真相にはたどり着けなかった。

次にリビーは父親のラナーを探し、彼が現在ホームレスとして生活していることを突き止める。
彼は相変わらずの飲んだくれで、リビーを見るや否や、金の無心をした。リビーはあの夜のことを聞くが、彼は事件については全く知らないと言う。しかし、ふと思い出したかのように、事件の夜にベンと一緒にいたディオンドラなら、何か知っているにちがいないとアドバイスした。

ライルの情報によると、ディオンドラはあの夜の事件後に忽然と姿を消し、その後20数年間も行方不明となっていた。リビーはライルとともにディオンドラの手がかりを探すため、当時の悪魔崇拝グループのリーダー格だった男を訪ねる。
彼にディオンドラのことを聞くと、ディオンドラとは偽名で彼女の本当の名はポリー・パームだと告げる。ライルとリビーは、早速インターネットでポリー・パームを検索するとすぐに該当する人物の住所を突き当てた。

リビーは一人でポリーの家を訪問し、用心深くノックする。すると一人の女性が出て、リビーだとわかると快く笑顔で迎えてくれた。彼女こそディオンドラことポリー・パーム(アンドレア・ロス)だった。
ポリーはいつの日かリビーが自分を訪ねてくるだろうと思っていたと発言する。何か釈然としないものを感じながらも、リビーは当時のあの夜のことについて尋ねた。
ポリーは答える。あの日の夜、私・ポリー(ディオンドラ)とベンは町を一緒に出るため準備をしていたが、彼は財布を取りに一人で家に戻り、そのまま帰ってこなかった。私自身、事件のことを知ったのはその後だったので、あの事件そのものについては何も知らない、と。
だが、リビーは当時ポリーがベンの子どもを身ごもっていた事実をなぜ隠すのかと問うと、突然奥の部屋から若い女性が現われた。彼女は名がクリスタル(デニス・ウィリアムソン)、ベンとポリーとの子だった。

ショックを受けたリビーは、化粧を整えたいと、化粧室を借りる。突然出現した姪の存在に動揺を隠しきれない彼女は、しばらく頭を整理する。
そこへライルから携帯電話が入り、母親と姉を殺害した真犯人が分かったと告げた。彼の話だとその昔、元農家で破産管理人のカルバン・ディール(ジェフ・チェイス)という男がいた。彼は自殺請負人として他人の自殺を手伝っており、事故や殺人のようにみせかけて依頼人を殺し、残された家族が保険金を受け取ることができようにしていたとのこと。
あの日の夜、リビーの母親のパティは、これまで50人ほど嘱託殺人を行なってきたディールを雇っていた。パティは子どたちの学費や生活費、そしてベンの疑惑を晴らす弁護士費用を工面するため、自分の命と引き換えに、保険金を子どもたちに残すつもりだったのだ。

ライルから衝撃の事実を告げられたリビーは、彼から詳しく話を聞くため帰ろうとする。その際、化粧室にあった見覚えのあるクロスのペンダントを持ち出した。
帰りを急ぐリビーに対し、ポリーは娘クリスタルのことは誰にも口外しないでほしいと懇願する。だが、リビーはやましいことがないならば別に隠す必要はないと冷たくあしらう。
その瞬間、背後からクリスタルが鈍器でリビーの頭を殴りつける。リビーは気絶して倒れる。薄れゆく意識の中、リビーはあの夜の闇の遠い記憶をすべて思い起こす…。

…28年前のあの日の夜、ベンは駆け落ちするため家に戻り財布を探していた。そこへ背後からディオンドラ(ポリー)が現われる。ディオンドラはあの夜、ベンの自宅に一緒にいたのだ。
家族にディオンドラの存在を知られまいと自室に隠そうとするベンだが、その現場を妹のミシェルに見られてしまう。ディオンドラはミシェルともみ合いになり、ミシェルの首を絞める。
ちょうどその時、カルバン・ディールが自宅へ侵入して、契約通り母親パティをナイフで刺殺!
ところが、ミシェルが首を絞められるのを目撃したもう1人の妹デビーが、母親に助けを求めにいき、運悪くディールに出くわす。顔を見られたディールは、デビーを思わずショットガンで殺害!
銃声に驚いたベンが部屋を離れると、ディオンドラはこの混乱に乗じてミシェルの首を絞め上げ、そのまま殺害!
母親とデビーの遺体を見つけたベンは泣き叫ぶ。そして、ベンが部屋に戻ると、そこにミシェルの遺体も…。なぜミシェルを殺めたのかとベンはディオンドラを激しく責めるが、ディオンドラは妊娠を理由に見逃してもらう。
ディオンドラは家から出る際、パティの首にかけられていたクロスのペンダントをこっそりと盗んでいた。
「一部始終」を見ていたリビーは、外に逃げ出してウサギ小屋の中でひとり震えていた。ベンがリビーの名を叫び探しに来るが、彼女は小屋の中で息を潜めつづける。
翌朝、彼女が家に戻ると、母親と2人の姉の遺体が目に飛び込んできた!…

…リビーが意識を取り戻すと、ポリー(ディオンドラ)とクリスタルが別の部屋で必死に何かを探していた。
クリスタルは化粧室でクロスのペンダントがなくなったのでリビーが盗んだと思いパニックになって彼女を殴ってしまったとポリーに釈明するが、ポリーは「気にしなくていい」と言う。そして、自分たちの存在を脅かすリビーを消すのは今しかないと、必死に拳銃を探していたのだ。
リビーは彼女らが拳銃を探している間に家から脱出する。ポリー親子は探し当てた拳銃でリビーを狙い撃ちしながら追いかけるが、リビーは森の中に隠れる。彼女はあの日の夜の時と同じように、草むらに身を潜め息を殺しつづける。
しばらく経(た)つとポリー親子は諦めたのか、その場を立ち去り自宅へ戻る。そこへライルが駆けつけ、リビーは無事保護された。

数日後、28年前の事件の顚末(てんまつ)がニュースで報道された。兄ベンが冤罪で28年間投獄されていた点、真犯人は連続殺人犯のカルバン・ディールである点、そしてもう1人の犯人がポリー・パームである点…が報道される。

リビーはベンと面会した。今度は死刑囚用の面会室ではなく一般用の開放部屋で。
彼女は当時、誤った証言をしたため結果的に彼を28年間服役させてしまったことを謝罪する。彼はそれについては恨みなど毛頭ないと断言し、本心を明かす。むしろ自分が服役することで、リビーや娘(ディオンドラとの子ども=クリスタル)を守ることができれば…それに越したことはないと思い詰めてきたのだ、と。
彼女は別れしな、あの日以来、自分の中で時間が止まってしまっている…、「できれば普通の人生を送りたかった」とつぶやく。彼は「すまなかった、すまなかった !!」と、涙を流しながら何度となく謝るのだった。

後日、ベンは晴れて無罪が確定し釈放された。
リビーは28年間決して晴れることのなかった“心の闇(ダーク・プレイス)”が次第に薄れるのを感じた。

ダウン 【ラストシーン】
リビーはあの日以来近づくことのなかった、忌まわしい“生家”をやっと訪れる。そして、その“我が家”に住む見知らぬ少女に、過去の“暗い場所”の呪縛から何かしら解き放たれたかのように、小さく手を振るのだった。→黄昏(たそが)れた陽射しが車を走らせる彼女に降り注ぐ…。  

▼予告編



▼特別映像 シャーリーズ・セロン編



■私感 :
映画は何でもありの総合芸術である。
本作では、1985年に生起した一家惨殺事件が、事件直後と28年後の今、という二つの時制に分けて同時並行的に描かれる。それは、リビー・デイ~8歳で事件に遭い、生き残って28年後の今は36歳になった主人公~の現在の視点に立った描き方である。
問題はこのリビーの視点のほか、そこに兄ベンの過去の視点と母親パティの過去の視点も混入していることだ。
この、ややこしいスタイルのせいで、本作の内容を理解するのは骨が折れる。犯人捜し⇒真相究明の話の種々(くさぐさ)には、どうにもピンと来ない点が多々見受けられる。

とはいえ、私は本作の鑑賞中、リビーという極めて複雑な難役にいどんだシャーリーズ・セロンの迫真演技に、今更ながら魅了された。

ここで強調すべきは、私にとって本作が緊張感を煽る単なるミステリー映画ないしサスペンス映画というより、胸奥に重く響くヒューマンドラマ映画にほかならない点だ。
そこでは、事件の謎解き(→衝撃の“同意殺人”!)は二の次で、心に深い傷を負った~“暗い場所”に身を潜め続けた~ヒロイン、リビーの内なる変化⇒トラウマの克服⇒過去の呪縛からの解放というテーマにこそ力点が置かれている。

母親と2人の姉を間近で惨殺され、幼くして人生が暗転したリビーは、それから28年経った今も自らの境遇を呪い続け、社会に適応する努力さえしていない。そんな自虐的な、後ろ向きの、切ない孤独者が、おそるおそる悲痛な過去の真実と向き合い、“ダーク・プレイス”から脱していく…。

主演女優シャーリーズ・セロンは、リビーと同じような悲惨な事件の被害者である。15歳で、アルコール依存症で暴力をふるう実父を実母が射殺するという衝撃的な事件に遭遇!
セロンはこの辛い過去の実体験をも糧にして、多面的な人間性をスクリーンで見事に表現しつづけてきた。例えば、『モンスター』(03年)、『スタンドアップ』(05年)、『ヤング≒アダルト』(11年)、『マッドマックス/怒りのデス・ロード』(15年)等々を観よ!(cf.本ブログ〈December 31, 2015〉記事)
そして今作では、ネガティブ・オーラをまき散らす熱演が光るとともに、抑えた演技にも毅然とした美しさがひらめく!

とびきりの美女であるセロンの、巧妙なヤサグレ役作り!張り詰めた孤独が似合うセロンの、トラウマを受けたひねくれ娘役への体当たりの没入演技!

『モンスター』で実在したレズビアンの連続殺人鬼を怪演し、アカデミー賞主演女優賞を受賞、今やトップスターの地位を誇るセロン。
そんな彼女が『ダーク・プレイス』で破滅すれすれの崖っぷちで必死に踏みとどまるリビーという役柄を生き生きと演じきるにいたったのは、まさしく彼女自身が逃れがたく背負い続ける「苦痛の現実」をまっすぐに受け止めつつ、前途に光明を見いだし、未来に希望をつなぎ、いかなる障害も乗り越えつづけてきた、その個人的な軌跡の必然的な結果と言うべきだろう―。
2016年7月5日(火)シネスイッチ銀座[東京都中央区銀座4-4-5 旗ビル、地下鉄銀座駅A10番から徒歩1分(和光ウラ通り)]で、16:50~ 鑑賞。

作品データ :
原題 Mustang
 [英語の“Mustang”は「野生の馬」で、溌剌として扱いにくい、鬣(たてがみ)の5人姉妹を象徴している。物語が素早く展開し、駆け抜けるように進むそのエネルギーが、この映画の核心である。]
製作年 2015年
製作国 フランス=トルコ=ドイツ
配給 ビターズ・エンド 
上映時間 97分


北トルコを舞台に、自由を求めて古い慣習と封建的な思想から抜け出そうとする5人姉妹の運命をほろ苦くも瑞々しいタッチで描いた感動の青春ドラマ。思春期の少女たち特有の輝きと憂い、そして内に秘めたマグマのようなエネルギーが、色鮮やかなビジュアルと光あふれる映像によって丁寧に、繊細に映しだされる。
トルコ生まれフランス育ちの新人女性監督デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン(Deniz Gamze Erguven、1978~)がメガホンをとり、デビュー作ながら卓越した構成力や美しい映像が世界各地の映画祭で高く評価された。
姉妹役の5人はいずれもオーディションやスカウトによって監督が見出した新人で、三女エジェを演じたエリット・イシジャン以外はすべてこれが演技初体験。

ストーリー :
トルコの首都イスタンブールから1000km離れた黒海沿岸の小さな村。
ラーレ(ギュネシ・シェンソイ)は村に住む5人姉妹の末っ子で、13歳になるオテンバ娘。姉は長女のソナイ(イライダ・アクドアン)、次女のセルマ(トゥーバ・スングルオウル)、三女のエジェ(エリット・イシジャン)、そして四女のヌル(ドア・ドゥウシル)。5人姉妹は村でも評判の美しい姉妹だった。彼女たちは両親を10年前に交通事故で亡くし、それ以来、祖母(ニハル・コルダシュ)と叔父エロル(アイベルク・ペキジャン)のもとで暮らしている。

ある日、ラーレの大好きなディレッキ先生がイスタンブールの学校へ異動することになった。ラーレは悲しみ、ディレッキ先生と別れを惜しむ。
その日の学校帰り、天気が良いので姉妹5人は、下校バスに乗らず、歩いて帰ることにした。途中、同級生の男の子たちと一緒に海岸へ行き、騎馬戦をして遊ぶ。無邪気に男子の肩に乗り水浸しになってはしゃぐ姉妹たち。

ところが、自宅へ帰ると祖母が激怒していた。祖母は彼女たちが海岸で男の子と“ふしだらなこと”をしていたと、隣人から苦情があったことを告げた。
“ふしだらなこととは何?”と姉妹が祖母に問う。すると、祖母は「男の首に股をこすりつけて性交渉していた」と言うではないか。姉妹は「とんでもない!!
」と激怒し抗議するが、祖母は5人を部屋に監禁してしまう。
そこへ叔父のエロルも帰ってきて祖母以上に激怒し、5人を殴り折檻を加える。必死に釈明するが、叔父も祖母も聞き入れない。

翌日、ラーレ以外の4人の姉は、処女チェックをするため病院に行くことになった。古い慣習が根付いているこの村では、結婚前の女性が男性と仲良く遊ぶなどは許されない。そんなことをすれば、「ふしだらな女」として結婚はおろか村に居ることすら許されなくなる。
病院での結果は、当然全員“シロ”だった。

だが、この日以来、彼女たちは外出を禁じられ、家に閉じ込められた。派手な洋服やアクセサリー、化粧品といった“不埒なもの”はすべてゴミ袋に捨てられた。携帯電話、パソコンと次々と没収され、戸棚にしまわれ鍵をかけられた。文字通り“カゴの鳥”となった彼女たちを待ち受けていたのは、花嫁修業の日々。料理を習い、掃除をし、控えめで地味な服を着せられ…。村の女たちが代わる代わる毎日のように家にやってきては、姉妹たちに花嫁として必要なことを伝授していく。
しかし、彼女たちにとって花嫁修業などは退屈そのもの。特に自由奔放なラーレにいたっては、端(はな)から花嫁修業などやる気はない。

窮屈な生活のなか、彼女たちの唯一の楽しみは、寝る前に5人そろってふざけてじゃれ合うことだった。姉妹たちは子どものように遊んだあと子猫のように折り重なって仲良く眠る。これが彼女たちの日課となっていた。

そんな花嫁修業中、長女のソナイだけは時折、家を抜け出してボーイフレンドとデートしていた。ただでさえシキタリの厳しい村で、結婚前の男女がデートするなどもってのほか。ソナイは妹たちの協力を得て、ボーイフレンドとデートを重ね、愛を育んでいく。

一方、末娘ラーレは家から出たくてウズウズしていた。
ある日、サッカー好きのラーレは、大好きなチームの決勝戦をスタジアムにいって観たいとエロルに交渉してみる。だが、エロルは先日スタジアムで観客同士の暴動があったばかりなので危ないから許可できないという。
後日、スタジアムは前回の観客同士の暴動を考慮し、次の試合からはスタジアムに男性観客を禁じる措置を取ることになった。
これを知ったラーレは姉たちと一緒に家を抜け出してスタジアム観戦に行く決心をする。5人姉妹はサッカー決勝戦当日、こっそりと家から抜け出してバス停に向かった。この時バスに乗り遅れてしまうが、トラックをヒッチハイクしてドライバーのヤシンと知り合いになり、荷台に乗せてもらってバスまで運んでもらう。
バスに乗り現地に到着すると、スタジアムは女性だけの清々しい熱気に満ちていて、姉妹たちも大興奮する。試合はラーレの応援するチームが勝ったことで拍手喝采となり、観客席の中で姉たちはラーレを胴上げする。
一方、家では姉妹たちがスタジアム観戦していることを知らない祖母が、テレビのサッカーの中継に目にやった瞬間、観客席にいる彼女たちを目撃してしまう。祖母はエロルや村の人たちに、この事を知られないよう、村中のテレビを見られなくするため、電源を供給している電柱のコンデンサーを破壊した。
そんなことも知らずサッカー観戦を見終え、気分良く帰ってきた5人姉妹。5人が家に帰ってくると、祖母はまだ成人にも満たない姉妹たちを結婚させるための準備を始めることに決めた。

祖母は彼女たちに「レモネードを取りに行く」という名目で街へ連れ出す。そして、街へつくと祖母たちが決めた相手とお見合いをさせた。
まずは長女のソナイからお見合い相手とその家族に会うため、祖母の知り合いの家に行く。
到着して相手家族に紹介されたソナイだが、彼女は祖母に対し、自分には結婚を約束したボーイフレンドがいることを告げた。さらにもし無理やり不本意な相手と結婚させるようものならこの場で叫び声をあげて、お見合いそのものをぶち壊してやると宣言して大声をあげる。
ソナイの過激な行為に泡を食った祖母はソナイをなだめ、ボーイフレンドの家族が了承するなら、それで構わないとソナイの提案を受け入れた。
そして改めてボーイフレンドの家族を呼び、相手家族の了承を得てソナイはボーイフレンドと晴れて結婚することができた。

一方、次女のセルマは祖母の決めた相手と結婚することになった。セルマには選択肢はない。
相手はオスマンという軍人上がりの冴えない退屈そうな男で、セルマの好みではなかった。オスマンはセルマとの結婚に喜びを示すが、セルマはどうしても彼を受け入れることができず、嫌悪感を剥き出しにする。
しかし、そんなセルマの気持ちなど関係ないと言わんばかりに、結婚は粛々と進められた。
2人の婚礼の日、ボーイフレンドと結婚できたソナイは、明らかに幸せそうだった。幸せそうなソナイを横目にセルマは浴びるように酒を飲み干し、ひっそり涙を流していた。
見かねたラーレはセルマに対し「結婚したくないなら逃げて」と言うが、「どこへ逃げればいいの? イスタンブールは1000キロ先よ」とセルマは吐き捨てるようにつぶやく。
この夜が、5人姉妹が揃う最後の日となった。

結婚式の次の日の朝、セルマの結婚相手のオスマンは、彼女が新婚初夜以前に処女であったことを確認するため、伝統的な行事として初夜を明かした後の白いシーツを家族と確認した。ところが、シーツに付いているはずの血がないことでオスマンと家族は彼女が処女では無いのではないかと騒ぎ出す。
オスマンの親戚たちは、セルマを病院へ連れて行き、医者にセルマの処女確認をしてもらう。医者が言うにはまだ処女膜は無傷だとのことで、彼女は膜が破れにくい体質とのことだった。
ひとまず疑いは晴れたが、デリカシーの欠片もないオスマン家族に対し、セルマはほとほと嫌気がさす。

次に結婚する予定は三女のエジェだが、彼女は叔父エロルから性的虐待を受けてしまった。
自暴自棄になったエジェは、危険な行動を起こしてしまう。エロルが銀行に行くために3人姉妹と一緒に車に乗って街へ出ていた際、エロルがいない隙にエジェは見ず知らずの若い男と車中でセックスしてしまう。
間一髪のところでエロルに見つかりそうになるが、エジェはあまり気にしていない。

一方、ラーレは村から脱出するため、トラックドライバーのヤシンから自動車の運転を教えてもらっていた。

その日、夕食の時に3人姉妹と祖母と叔父がそろって食事をしていると、エジェはふいに笑い出す。ヌルとラーレもいっしょに笑い始めると、エロルが何を笑っているかと姉妹を叱りつける。
すると、エジェが無表情で席を立った。食べ終わった食器を運ぶのかと思いきや、彼女はそのままキッチンで拳銃自殺をしてしまう。
騒ぎを聞きつけ、自宅には救急車と警察が来た。葬儀がすぐに行なわれ、エジェの遺体は白い布で包まれて墓地へ埋葬される。
長女のソナイ、次女のセルマも駆けつけ、4人はエジェの死で悲嘆に暮れる。

ラーレは次の結婚予定のヌルに、一緒にイスタンブールへ逃げようと話を持ちかけた。
ラーレは来るべき日にそなえ、何度も何度も脱走の練習を繰り返す。
そして、四女のヌルの結婚の準備が進められている中、あろうことか叔父のエロルは、今度はエジェに性的暴行をしようとした。幸い祖母に見つかり事なきを得たが、繰り返される叔父エロルの悪質な所業に、ラーレは心底嫌気がさし、ついにこの村から脱出する行動を起こす。

ヌルは祖母たちの決めた相手と婚礼を行なう日、ドレスを着て相手家族が自宅に来るのを待っていた。相手家族が自宅にやってくると、祖母とエロルが出迎えるために先に2人で外に出る。その瞬間、ラーレは家の扉を閉めて鍵をかけ、ヌルと2人で家の中に閉じこもってしまった。
外では相手家族が困惑し、叔父テロルはラーレとヌルに暴言を吐き、窓ガラスへ石を投げてくる。
外で彼らが騒いでいる間にラーレとヌルは家からこっそりと抜け出して、エロルの車に乗り込みラーレの運転で村から逃げ出した。
途中草むらに車を乗り捨て、そこからはヒッチハイクで友人となったヤシンの車に乗り込み、町の長距離バス停留所まで向かう。ラーレとヌルは長距離バスに乗り換え、そのままインタンブールへと出発する。
祖母や叔父がいくら探そうとも、1000キロ離れたイスタンブールまで逃げてしまえば、見つけだすことは不可能に近い。

イスタンブールに着いた2人は、ラーレが最も尊敬するディレッキ先生の自宅の住所を調べる。
先生の自宅を訪れた2人は、玄関のドアをノックして久しぶりにディレッキ先生と再会する。
大好きだった先生にやっと会えたラーレは、先生の胸の中に一目散に飛び込んだ !!


▼予告編



★私がかねて敬愛の念を抱いている女優・作家の岸惠子(1932~)の絶賛コメント![映画パンフ『裸足の季節』(編集:ビターズ・エンド、定価:700円〈税込〉、2016年6月11日発行)] :

ブラヴォー『裸足の季節』
まばゆいばかりの肢体がとび跳ねる。
映画初出演という少女たちのなんと美しく、清々しいこと!
卓越した演出と、物語に沿ってしずかに流れる音楽。
13歳の末っ子が果敢に挑む因習への戦い!
官能あり、サスペンスもある、
混乱した今の世界に必要な新しい映画の登場です。
若者よ、親達よ。スマホから眼をあげて、観て下さい、『裸足の季節』を。