2019年5月16日(木)「ココロヲ・動かす・映画館○(通称ココマルシアター)」
(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-15、JR吉祥寺駅北口徒歩約5分) で、16:00~鑑賞。
作品データ :
原題 The Bookshop 製作年 2017年 製作国 イギリス/スペイン/ドイツ 配給 ココロヲ・動かす・映画社○ 上映時間 112分 英ブッカー賞受賞作家ペネロピ・フィッツジェラルド(Penelope Fitzgerald、1916~2000)の“The Bookshop”(1978)を『死ぬまでにしたい10のこと』『しあわせへのまわり道』のイザベル・コイシェ監督が映画化。
保守的な時代のイギリスの田舎町で、激しい妨害に遭いながらも、町で初めての本屋を開こうとした女性の奮闘の物語を丁寧な冴えた筆致で綴る 。2018年のスペイン・ゴヤ賞では、作品賞・監督賞・脚色賞の3冠に輝いた。主演は『マッチポイント』などのエミリー・モーティマー、共演に『ラブ・アクチュアリー』などのビル・ナイ、『エイプリルの七面鳥』などのパトリシア・クラークソンら。
ストーリー :
1959年、イギリス東部の海辺の小さな町。ロンドンから遠く離れたこの町には、まだ新しい時代は遠く保守的な空気が漂っていた。そして、この町には書店が1軒もなかった。
戦争で夫を亡くしたフローレンス・グリーン(
エミリー・モーティマー )が、夫との夢だった書店を町に開くことを決意する。長年、悲しみに沈んでいたフローレンスだったが、ようやく顔を上げた瞬間、何をすべきかを悟ったのだ。町の銀行員キーブル(
ハンター・トレメイン )から何度も融資を断わられるも、毎晩、本を読んでくれた夫の記憶を胸に、放置されボロボロの建物、通称「オールドハウス」を買い取った。だが、町の人たちはこの期に及んで、建物の転売を勧めたり、別の物件を紹介しようとしたり、腑に落ちない言動でフローレンスに接触する。一人諦めず、書店準備を進めるフローレンスの唯一の楽しみは、海岸まで散歩し、そこで本を読むこと。そんな彼女の姿を、町で唯一の読書家であり、古い邸宅に40年以上引きこもっている変わり者の老紳士ブランディッシュ(
ビル・ナイ )がそっと見ていた。
ある日、町一番の有力者ガマート夫妻に招待され、ワンピースを新調してフローレンスは城のように大きな屋敷へ行く。ガマート夫人(
パトリシア・クラークソン )は「町に本屋ができるといい、と町のみんなで祈っている」と感じよく切り出すが、いきなり「オールドハウスを別の用途、町の芸術センターとして使いたい」と申し出る。町の人々の不審な申し出にようやく思い当たるも、慇懃な夫人の申し出にひるむことなく、フローレンスは「書店を開く」と丁寧だがキッパリ返答する。
だが、町では書店を諦めるという噂が流れ、弁護士もなかなか手続きを進めてくれないなど、フローレンスを悩ませる。それでも町に定期的に船でやってくる親切な船頭が気を回し、海洋少年団がオールドハウスの改装を手伝いに来てくれる。続々と注文した本が届き始め、作った本棚に本を並べていくと、邪魔立てをするガマート夫人や銀行員、弁護士らのことは頭から消し飛んだ。そして遂に「オールドハウス書店」のオープンの日を迎え、フローレンスは幸せを噛み締める。そこへ早速、ブランディッシュから推薦本を送ってほしいとの注文の手紙が届く。フローレンスはブランディッシュに、レイ・ブラッドベリ
(Ray Bradbury、1920~2012) のSF小説『
華氏451度 』(1953年)を送る。ブランディッシュは『華氏451度』に新鮮な感動を覚え、ブラッドベリの他の作品も送ってほしいとフローレンスに依頼。本を通して二人の交流が始まる。店は瞬く間に話題となり、興味津々の客が入れ替わりやってくるようになる。一人で切り盛りすることが難しくなってきたフローレンスは、仏頂面でおませな賢い少女クリスティーン(
オナー・ニーフシー )を手伝いに雇うことにする。読書が嫌いというクリスティーンもフローレンスを慕い一生懸命仕事をこなしていく。フローレンスはそんな彼女にリチャード・ヒューズ
(Richard Hughes、1900~76) の代表作『
ジャマイカの烈風 』(1929年)を勧めた。
書店が賑わい多忙の中、フローレンスはすっかりガマート夫人のことを忘れていたが、夫人の苦々しい思いは募るばかりだった。周辺社会で賛否両論の渦を巻き起こしている、ウラジーミル・ナボコフ
(Vladimir Nabokov、1899~1977) の問題作『
ロリータ 』(1955年)を仕入れるかどうか迷ったフローレンスは、ブランディッシュに本を送り、意見を求める。ブランディッシュは屋敷にフローレンスを招待し、「あなたは勇気に満ち溢れている。助けたい」と励ます。自信を持って250部も仕入れた『ロリータ』は、店の周りに人だかりが出来るほど大きな話題となる。それをどうしても許せないガマート夫人は、弁護士を通して公共の迷惑だと正式に苦情を申し入れてくる。
遂に夫人の徹底攻撃が始まった。駆け出し政治家の甥っ子を使い、“名所・公的に価値ある資源”の法律を制定し、オールドハウスを公的に強制収用しようと動き出す。また、児童労働を禁じると、クリスティーンを取り締まりに学校へ査察官が現われる。さらに町には新たな書店が出来る予定も持ち上がる。ガマート夫人の包囲網に追い詰められ、海岸で泣き崩れるフローレンスの前に、ブランディッシュが現われる。「君を助けたい。別の人生で出会いたかった」という言葉を残し、彼はガマート夫人に直訴するため、何十年ぶりに町中へ向かった。しかし、ブランディッシュの願い虚しく、夫人は頑なに拒否。腹立たしい感情が騒ぎ立つままに、夫人の屋敷を出た彼だったが、帰宅の途中で倒れてしまい、そのまま目を覚ますことはなかった。
オールドハウスを手放す以外に方法がなくなり、一番の理解者であるブランディッシュが亡くなったことで悲しみに沈むフローレンス。夢は破れてしまった!彼女は想いの詰まった書店を出て、船に乗り込む。そこにクリスティーンがお別れを言いに駆けつけた。胸には『ジャマイカの烈風』を抱いている。その後ろでは、もくもくと立ちこめる灰色の煙。フローレンスはすぐにクリスティーンが書店に火を放ったことを察した。
そして、時が経ち、近代的な書店に女性が一人…。大人の女性になったクリスティーンは、フローレンスの夢を継いで、本屋の夢を叶えたのだった。
▼予告編
VIDEO ■
私感 :
素晴らしい映画と出会った!名優ビル・ナイが出演する映画に、まずハズレはないだろうぐらいの軽い気持ちで本作を観たのだが…。
本作は美しくも痛切で、なおかつ気高い物語を展開する。小さな港町で本屋を開いたフローレンス~夫を亡くしたあと、不死鳥のごとく自分の人生を立て直そうとする、強く知的で成熟した物静かな女性~の前に立ちはだかる様々な障害と闘いの顛末を、社会の無情や悪意、理不尽に対する憤りを静かに込めながら、あくまでも真っ直ぐな視線で生き生きと誠実に描き出す。
本作はまた、古き良きイギリスの海辺の町の、素朴で懐かしい魅力や、力強い自然の美しさに満ちている。
そしてキャスト陣については、フローレンスを演じる
エミリー・モーティマー (Emily Mortimer、1971~)、ブランディッシュを演じる
ビル・ナイ (Bill Nighy、1949~)が、きわめて自然な風情でこの“心の琴線に触れる”珠玉の小品世界にしっくりと溶け込んでいる。ガマート夫人を演じる
パトリシア・クラークソン (Patricia Clarkson、1959~)の場合も、虎視眈々と獲物を狙うかのような目付き、傲慢な女王然とした横柄さなど~さすがに多角的な役をこなす名優だけのことはある~、その迫力は憎たらしいほど上手い!さらに見過ごせないのが、学校の放課後や土曜日にフローレンスを手伝う少女クリスティーンを演じる
オナー・ニーフシー (Honor Kneafsey、2004~)の存在だ。いつも不機嫌そうで、妙に大人びた口が達者なオシャマぶりが堂に入っているではないか!
私は本作のエンディングに意表を衝かれた。鮮やかで驚嘆すべきラストシーンだ。
実は、この映画には第三者目線のナレーションが随時挟まれる。このナレーションを担当するのは、
ジュリー・クリスティ (Julie Christie、1940~)。前出『華氏451度』を原作とするフランソワ・トリュフォーの監督作『
華氏451 』(原題:Fahrenheit 451、1966年)の主演女優である※。
※残念ながら、『華氏451』は私の未見作。ジュリー・クリスティの出演作については、私はこれまでに10作ほど観たように思うが、何よりも忘れがたい作品がデヴィッド・リーンの監督作『
ドクトル・ジバゴ 』(原題:Doctor Zhivago、上映時間:197分、1965年)。ロシアの文豪ボリス・パステルナーク
(Boris Pasternak、1890~1960) の同名小説を映画化した壮大な一大叙事詩で、ロシア革命前後の動乱期を生きた医者で詩人の主人公ジバゴの波瀾に満ちた生涯が、ラーラとトーニャという二人の女性への愛と共に描かれる。モーリス・ジャール(Maurice Jarre、1924~2009)による挿入曲「
ラーラのテーマ(Lara's Theme) 」があまりにも有名。その“革命”と“運命の愛”の物語で、ヒロインのラーラ役を好演したジュリー・クリスティは、まるで昨日のことのように私の記憶に鮮やか!
cf.
Lara's Theme :
VIDEO cf. 『
華氏451 』予告編 :
VIDEO 本作では、ジュリー・クリスティが演じたナレーター、すなわちモノローグの声の主が正体不明のまま物語が進行していくが、その答えはラストシーンに用意されている。
何と!あの、お手伝いの少女クリスティーンだったのだ。数十年後に書店を営んでいる、大人になったクリスティーンは、ナレーターとして最後に、“文化がある世代から次の世代へと受け継がれ、よりよい世界を作る”と語る―。
読書への純粋で永遠の愛に生きるフローレンスは、勇気をもって凛として本屋を始め、経営した。しかし、古い価値観に縛られて抑圧的な町の人々の無知さや嫉妬心、そして歪んだモラルが、彼女の夢を終わらせてしまう。彼女は戦いに敗れた―。
だが、彼女は究極的に、その自分の情熱、戦う勇気、自由な精神を、本が忘れ去られてはいけない未来の世界を担う子供、クリスティーンに伝えることができた。
そしてまさに、このクリスティーンを媒介にして、1959年の閉鎖的な田舎町に波紋を呼び起こしたちっぽけな本屋をめぐる闘争劇が、一瞬にして60年もの時空を超え、今を生きる私たち観客の胸を射抜く物語として完結する―。