☆幸せのメカニズム☆本当の私へ還る道 -29ページ目

☆幸せのメカニズム☆本当の私へ還る道

韓国在住タロットリーダーです。

アンニョンハセヨ ラビです。

今現在、去年の5月からの1年間を振り返っています。
振り返りの始めはこちら💁‍♀️から。



血液検査の結果と高血圧と尿蛋白のことを気にしつつも、まだ流産になっていないままミスティックウィークを迎えることができたことで、私はヤマを越えたのだと思っていました。


その時はまだ、4月2日に予約しているスースのセッションでは、出産を韓国でするべきか?チェコで出産するべきか?
これをテーマにしようと思っていたくらいです。


そして迎えた3月30日の16週検診。


いつも通りにテキパキと赤ちゃんの色んな部位を測定し、心拍を確認し、問題ないですね〜〜と言ってくれていた先生が、胎盤の位置を確認した時…




…前置胎盤ですね…



と一言言いました。


前置胎盤?
私はどこかで聞いたことがあるなぁ…という感じでした。

エコー画面を見たら、自分の子宮口からへその緒が出ていて、赤ちゃんはお腹を下向きにした体制で真横になって浮かんでいます。
普通はお腹がどちらかというと上ですよね。

胎盤が、がっつり子宮口を蓋している感じ。
それもきっちりど真ん中で。


前置胎盤がよく分からないけど、その時私は

帝王切開をすれば大丈夫なんですかー?

と聞いて、

先生は例え帝王切開をしても、母体にも子供にもリスクがあります。ということだけしか教えてくれず、まだ16週だから…と

無理をしないでください とだけしか教えてくれませんでした。


前置胎盤って何なんだろう?
その時から、1年前と同じ状況が始まります。
アンニョンハセヨ ラビです。

今現在、去年の5月からの1年間を振り返っています。
振り返りの始めはこちら💁‍♀️から。



ちょうどそれくらいの時期でした。
2月くらいから、可能性があると言われてはいたことですが、

旦那の海外赴任が確定しました。
行き先はチェコ。

任期は平均4年くらい(らしい)
出発は6月


今から思えば、あの時もっと、行くべきかどうか、夫婦で話し合うべきだったのかもしれません。

私たち夫婦は大事なものを見落としていたんです。


チェコに行くことになり、旦那の経歴にきっとプラスになると喜び、収入も今より上がるのではないかと期待し、ヨーロッパに住めるというまたとない機会に興奮し、私たち夫婦はそんなことしか考えていませんでした。


もちろん、テオがまだ3歳にもなっていないこと、私が妊娠中であること、家を買ってまだ1年しか経っていなかったこともあり、タイミングが少し早すぎたよね〜〜
でも、このチャンスはやっぱり逃せないよね!

と、行くべきか、行かないべきかをきちんと天秤にかけることなく、即決で行くべきでしょ!にほぼ傾いていました。



その時の私は、もし無事に生めるのなら、韓国で出産してから、少し遅れて旦那の元に行くか、

もしくはチェコで出産もありだと思っていて、プラハで唯一英語が通じる産婦人科があることも把握していました。


家族はやっぱり側にいた方がいい。
旦那を単身赴任にさせない私、偉い!
私の旦那すごい!
そんなことも思っていました。



今から思えば、私たち夫婦が目指すべき方向がぜんぜん間違っていることも知らずに。


そうして、3月29日からスタートするミスティックウィークを迎えます。

3月29日はボランティアお話会
翌日に16週の検診を控えていました。

アンニョンハセヨ ラビです。

今現在、去年の5月からの1年間を振り返っています。
振り返りの始めはこちら💁‍♀️から。


3月に入ってから、NT等を詳しく測定する12週の検査がありました。

イブちゃんの時はこの検査でNT2.6と出ていて、平均より厚いなぁ。
少し心配がありますけど…みたいなことを言われていました。

イブちゃんの首の辺りを何度も何度も測定するから、なんでだろう?って思いながらエコー画面を見ていたのを今でも覚えています。

だから、今回、この測定の時がすごく怖かった。


その日はたまたま旦那が会社を何かの理由で休んだのと重なっていて、一緒に病院に行った日でもあります。

イブちゃんの時に猛勉強したので、鼻の骨の長さ、足の骨の長さ、測定する部位一つ一つに大きな意味があるのと、どのくらいの長さであるべきかは分かっていたので、食い入るように画面を見ていました。

そして、首の辺りを測定するために首の後ろの様子を見た瞬間、測定値が出る前に正常なのが分かり、その場でワンワン泣きました。


あの時は、一瞬でも本当に安心しました。
NTは0.95

本当に本当に緊張の糸が緩んだ瞬間でした。


でも、血液検査の結果が出たわけではない。
まだまだマタニティライフを楽しむ余裕は全くありませんでした。


そんな3月。
私たち家族にとって、重大なことが起こります。