私は仕事柄、大学生と関わる機会が多い。
彼ら、若い世代のエネルギーは、
私に多くの刺激を与えてくれて、
本質を改めて考えなおす、
素晴らしいきっかけを与え続けてくれる。
その中でも私にとって、
とても考えさせられた上に、
自分の中に渦巻いていた大きなエネルギーを
呼び起させるようなきっかけがあった。
そのことについて書いてみようと思う。
最近、ある学生が書いたレポートを読んだ。
それを読みながら、
私は何とも言えない気持ちになり、
そのまま帰宅して、
眠りについたのだけれど、
翌日になってもなお、
自分の中から溢れ出てくる、
情けなさと
怒りと
無力感に
朝から涙が止まらなくなった。
そのレポートにはこのようなことが書いてあった。
・私に合う仕事は、単純な作業を行うようなものになるだろう。
・私の価値観ではあまり思考の余地がある仕事は望まれない。人とのコミュニケーションがメインとなる仕事も相応しくはない。
・そういった仕事では私が軋轢を生みかねないから。
・私はとりわけ「正しさ」を好む人間ではないが、「正しさ」を持たない人間が他人に「正しさ」を強制することは嫌う。
・例えば、非常に分かりにくいテキストを用意しておきながら意図した振る舞いをしない生徒を叱る講師であるとか、授業時間と同等の予習復習をするように言いつけておきながら、それが可能な時間を用意することはしない大学などのこと。
・仕事に就けたとしても、自分の裁量でできることが多すぎる場合はこういう存在に対して私は反発してしまい、組織から外されてしまうかもしれない。
・それならば、ただ黙々と作業を行うような仕事が求められるのではないだろうか。お腹の底から、突き上げるようなエネルギーを感じた。
おかしい。
どう考えてもおかしい。
おかしいと思うことを、
素直に「おかしい」と感じられる、
こんなにも繊細な感覚を持った、
未来を担う宝のような学生がここにいるのに、
その学生本人が、
自分で自分の才能を封印して、
生きていこうとしている。
そんな社会は、おかしい。
ぜったいにおかしい。
私はそう思う。
「正しい」ってなんだ?
それが普通だ、とか、
常識だ、とか、
マナーだ、とか、
みんなそうしているから、とか、
そんなものは正しさなんかじゃない。
ましてや、
一方的に誰かがそれを強制するなんて、
虐待以外の何物でもない。
子供だろうが大人だろうが、
学生だろうが社会人だろうが、
女性だろうが男性だろうが、
ひとりひとりが
思っていることや考えていること、
感じていることを、
素直にそのまま表現していい。
それを圧で制するような空気感漂う社会なんぞ、
未来も可能性もあるはずがない。
なぜなら、
人の人たる能力は、
創造力
だからだ。
創造するチカラだ。
創り出し、造り出すチカラだ。
その力を、
コントロールするような暗黙の空気感こそが、
ひとりひとりの意欲を失せさせ、
自分がおかしいのだと思い込ませ、
自分に可能性などないと、
自分は無力だと、
そう信じ込ませるような、
ダークサイド。
ただ人は、
その本質を見抜いていく力もある。
それは本当なのか?
そこにはどんな意思があるのか?
何かうごめくものを感じ取る、感性。
今こそ、
それを発動する時じゃないのか?
本来の力を、
呼び覚ますタイミングじゃないのか?
みんなもうすでに持っている。
全てを知っているし、
全てを持っている。
それを、信頼すべき時じゃないのか?
お前は無力だと
お前は何もできないと
お前は負けだと
何を根拠にそう信じているんだ?
人は、そんなに無力ではないはずだ。
人は、生きているだけで価値があるんだ。
何かが出来なければ
何かを達成しなければ
誰かの期待に応えなければ
いけないのではなく、
ただあなたが今ここにいてくれるだけで、
笑っていてくれるだけで、
温かい気持ちになれるのだから、
そこから何かが創り出され、
造り出されていくのだと、
私は思うんだ。
今度の日曜日の選挙。
本当に大きな節目となる日だよね。
みんな、選挙に行こうね。
そして、意志を表明しようね。
自分の、意志を。
その意思が、社会を変える。
そして世界が変わるんだ。
