夏休みに入って、
全然自分に集中できずにおりましたが、
少しずつ慣れてきた…かな?(笑)

子供たちがいるだけで、
どうしてもそちらに
意識が向かってしまうのは、

自分の資質であり才能でもあるから、
前向きに受け入れて活かすとして、

でもそれがイライラの原因になっては仕方ない。

私が私でいられるために、
自分の時間を持つことを許す。

そのために子供たちが子供たちだけで、
工夫しながら過ごすことを信頼する。

まずは自分を許すことから。

楽しい夏休みに、するぞ。

あえて、

"べき"

をタイトルに入れました。


"べき" "ねば"の呪縛は、
私自身気が付くと囚われているからこそ、

自分もそこから自由になりたいから、

意識的に使わないように気を付けているし、
使ってしまった時にも気付けるように心掛けている。


けれど、
あえて使ったのは、

そのくらい大事な話だから。


今の日本人が、
絶対に知っておくべきことだから。
(また使ったけどねw)




私自身も政治については不勉強だし、
全く詳しいなどと言う部類には入らない。


選挙には、
「行かねば」という思いで、
選挙権を得てからできるだけ投票してきたけれど、

正直なところ、
希望をもって投票したことなど
ほとんど記憶にない。


そのくらい、

「しょうがない」

という思いが大きかった。



しょうがない、というのは、
納得感のある「仕方ないよね」ではなく、


淀のように自分の奥底に沈んでいて、

で、おそらくそれは私一人ではなく、
多くの人が感じ取っているであろう
正体不明のエネルギーを、

感じれば感じてしまうほどに、
その大きさに圧倒されてしまい、


その正体が何なのかをどう捉えていいのか?

その正体が何なのかをどう言葉にすればいいのか?

その正体が何なのかをどう突き止めればいいのか?


そこまで考えや思いが至らないままに、
長い間自分の中で曖昧にされ続けてきた思い。


それが

「しょうがない」

という、
何とも中途半端で歯切れの悪い言葉に
集約されてきてしまったというのは、

私自身の未熟さも大いにある。



その根底に何があるのか、

何がそうさせるのか、

何が問題なのか、

そのために自分に何ができるのか。


そんなことにしっかり取り組んで来ればよかったと、
ちょっと後悔すらしている。



そんな風に思うようになったのも、
私が家族を得たから。

特に、子供たちと過ごす日々の中から、


このままでいいのか


という思いがとめどなく溢れ、
私自身を駆り立てているような、

そんな感じが今している。



何ができるのかと
日々アンテナが立っている中で、

やっぱりこの人の発信からは、

愛と
勇気と
情熱と
本気で生きるという、

そうね、
これを一言で言うとやっぱり



になるのかな。



響月ケシーちゃん。



5月の朗読会に参加して、
ご本人にお会いして、

あぁ、この人は本気で生きる愛の人だと、
しみじみと、しみじみと感じたよ。



それをいつも感じるからこそ、
彼女が渾身の思いで書き綴っている、
このシリーズをシェアしたいと思った。


7月21日(日)の投票日前にぜひ読んでほしい。

そして、自分一人だけでない、
これからの未来を共に創り出す、
そんな人に一票を投じることができたら、

きっと自分も喜ぶと、思うよ。


人は、無力なんかじゃない。

一票は、おおきいんだ。


本質的に変えること、変えられること。



【永久保存版】2019年これからの豊かさ ④【とても見てられないお金の正体】


【投票行く前にマジで読んでくれ】① お金とは何か?なぜ今社会はこうなった?


【投票行く前にマジで読んでくれ】② 自由と引き換えに人間に値札を付けた。そして、人間は紙切れ以下に


【投票行く前にマジで読んでくれ】③ ”利益を追求”する、経営者の苦しみと正義


【投票行く前にマジで読んでくれ】④ 実態と経済が切り離された瞬間 ”今も続く銀行が犯した世紀の大罪”


私は仕事柄、大学生と関わる機会が多い。


彼ら、若い世代のエネルギーは、
私に多くの刺激を与えてくれて、
本質を改めて考えなおす、
素晴らしいきっかけを与え続けてくれる。



その中でも私にとって、
とても考えさせられた上に、

自分の中に渦巻いていた大きなエネルギーを
呼び起させるようなきっかけがあった。

そのことについて書いてみようと思う。



最近、ある学生が書いたレポートを読んだ。

それを読みながら、
私は何とも言えない気持ちになり、

そのまま帰宅して、
眠りについたのだけれど、

翌日になってもなお、
自分の中から溢れ出てくる、

情けなさと
怒りと
無力感に

朝から涙が止まらなくなった。



そのレポートにはこのようなことが書いてあった。




・私に合う仕事は、単純な作業を行うようなものになるだろう。

・私の価値観ではあまり思考の余地がある仕事は望まれない。人とのコミュニケーションがメインとなる仕事も相応しくはない。

・そういった仕事では私が軋轢を生みかねないから。

・私はとりわけ「正しさ」を好む人間ではないが、「正しさ」を持たない人間が他人に「正しさ」を強制することは嫌う。

・例えば、非常に分かりにくいテキストを用意しておきながら意図した振る舞いをしない生徒を叱る講師であるとか、授業時間と同等の予習復習をするように言いつけておきながら、それが可能な時間を用意することはしない大学などのこと。

・仕事に就けたとしても、自分の裁量でできることが多すぎる場合はこういう存在に対して私は反発してしまい、組織から外されてしまうかもしれない。

・それならば、ただ黙々と作業を行うような仕事が求められるのではないだろうか。




お腹の底から、突き上げるようなエネルギーを感じた。


おかしい。
どう考えてもおかしい。


おかしいと思うことを、
素直に「おかしい」と感じられる、

こんなにも繊細な感覚を持った、
未来を担う宝のような学生がここにいるのに、


その学生本人が、
自分で自分の才能を封印して、
生きていこうとしている。



そんな社会は、おかしい。

ぜったいにおかしい。


私はそう思う。



「正しい」ってなんだ?

それが普通だ、とか、

常識だ、とか、

マナーだ、とか、

みんなそうしているから、とか、

そんなものは正しさなんかじゃない。



ましてや、
一方的に誰かがそれを強制するなんて、

虐待以外の何物でもない。



子供だろうが大人だろうが、

学生だろうが社会人だろうが、

女性だろうが男性だろうが、


ひとりひとりが
思っていることや考えていること、
感じていることを、

素直にそのまま表現していい。


それを圧で制するような空気感漂う社会なんぞ、
未来も可能性もあるはずがない。



なぜなら、
人の人たる能力は、


創造力


だからだ。



創造するチカラだ。



創り出し、造り出すチカラだ。



その力を、
コントロールするような暗黙の空気感こそが、

ひとりひとりの意欲を失せさせ、

自分がおかしいのだと思い込ませ、

自分に可能性などないと、
自分は無力だと、

そう信じ込ませるような、
ダークサイド。



ただ人は、
その本質を見抜いていく力もある。


それは本当なのか?

そこにはどんな意思があるのか?


何かうごめくものを感じ取る、感性。



今こそ、
それを発動する時じゃないのか?

本来の力を、
呼び覚ますタイミングじゃないのか?



みんなもうすでに持っている。

全てを知っているし、
全てを持っている。


それを、信頼すべき時じゃないのか?



お前は無力だと
お前は何もできないと
お前は負けだと

何を根拠にそう信じているんだ?



人は、そんなに無力ではないはずだ。


人は、生きているだけで価値があるんだ。


何かが出来なければ
何かを達成しなければ
誰かの期待に応えなければ

いけないのではなく、


ただあなたが今ここにいてくれるだけで、
笑っていてくれるだけで、

温かい気持ちになれるのだから、

そこから何かが創り出され、
造り出されていくのだと、


私は思うんだ。




今度の日曜日の選挙。

本当に大きな節目となる日だよね。


みんな、選挙に行こうね。

そして、意志を表明しようね。


自分の、意志を。

その意思が、社会を変える。


そして世界が変わるんだ。


私は、
自分の書く記事が
非常に抽象的だなと自分でも思います。


気付いているし、
知っている。


ほら、
具体的に書くことこそが、

より分かりやすく伝えるための
セオリーになってますよね。


知ってますし、
本当にそうだと思います。


具体的な事例を明示して、
書いてくださる方が、

ぜったいにわかりやすいよね~。


知ってるよ(笑)



でも、そう書けないのです、
今の私は。


自分から出てくる言葉や文章が、
とても抽象的なもので、

でも今はその世界観が心地よいし、

何より書きやすいので、

自分の内側から湧き出てきたまんま、
そのままの言葉を「書く」

ことにしています。


今は、です。



もちろん私も、
いろんな経験をしてきていますから、

その事例と結び付けて書くことは、
たぶんできます。


たぶん (笑)



例えば、婚活の時にね、とか。

例えば、婚約の時にね、とか。

例えば、子育てでね、とか。

例えば、転職の時にさ、とか。

例えば、親との関係でね、とか。

例えば、お金ってさ、とか。



まぁ、いろいろね。

引っぱり出せば、あります。



けど今の私の関心事は、

その全ての根底に流れている、
「在り方」とか「源」とかのこと。


事象として立ち現れてくる、
その出来事の根底に流れるもの。



それが、なんなのか。


全ての源に何があるのか。


それが変化変容してゆくと、
事象としてどんなことが起こってくるのか。



その大元のこと、
その源泉のことにしか、

興味がないのです (笑)



根っからの、洞察系HSP&HSSです。




結婚も
仕事も
子育ても

全部。

自分自身という土台の上に
表れてくること。


その土台がどうなっているかが、
変化すれば、

その上に乗っているものに
必ず影響があるわけで。



もう小手先のテクニックやノウハウなど、
通用しない時代でもあるし、

遠回りに見えるけれど、

土台を耕し、整えることが、
一番の近道だと感じるのだもの。



そう思っているかどうか、

そう気付いているかどうか、

は、別として。


自分自身が、「創造主」だから。


自分の世界の、ね。



しんどいなと思う日々ならば、
それを創り出しているのも自分だし、


可もなく不可もない平凡な日々で
そこに何の感情もわかない日々ならば、
それを創り出しているのも自分だし、


幸せだなと思う日々ならば、
それを創り出しているのも自分。



何か思うことや感じるところがあれば、
いつでも選び直し、
いつでも創り直していくことができる。


よ。



私は、飽きっぽい。

そしてすぐに気が変わるし、
すぐに違う感覚にもなる。


確固たる「これ」という感覚が、
希薄なのだと思う。



学生と話していると、
自分の弱みとして、

飽きっぽい

を挙げる学生も多い。



まぁ、私もそうだから言うけれど、
飽きっぽさって、強みだと思う。


(逆に、ひとつのことをやり続けられる、
 ということも、まぎれもなく強み。)



一定期間、ひとつのことに
ある程度集中して取り組むと、

ふと、

その世界観が窮屈に感じられたり。


それまでは、
無我夢中で没頭するのだけれど、

ふと、我に返るように、

違う世界も見てみたくなる。


で、その世界を脱出してみたり。


安心な場所や
慣れたやり方は心地よいから、

気持ちよくやれる間は、
本当に快適にできるのだけれど、

いったん飽きると、
その世界にいることが
急に居心地悪くなっちゃったりね。


いてもたってもいられない、となる。


変化することが、心地よい。

変化し、変容し、
常に新しい自分に出会い続けたいと思う。


そして、体感覚でも、
それが心地よいのだろうと思う。


慣れた環境も関係も心地よいのだけれど、
固定されると窮屈だから、

どこか一部分は常に、
新陳代謝のごとく
入れ替わりながら、

変化し、
変容することが、

私にとっての楽しさと、
歓びと、心地よさなのだと思う。



ひとつのことをやり続けることが、
「ブレない」と表現されるよことも
多いように感じるけれど、


私の場合は、
いろんなことをやっているけれど、

自分の中ではブレていない。



転職経験もあるし、

その経歴に何の一貫性もないし、

個人事業主になってからも、
関連性が全く見えないような、
そんなサービスを次々やってみては

やっぱやめた

など、
数えきれないくらい繰り返してきたし。



じゃ、
何がブレていないのかと言えば、


自分自身をもっと知りたい


という思いと、
それが原動力になっての行動。


本当の自分などと言うと、
ちょっとオーバーだけれど、

でも、

本当の自分は何者か?

を、知りたい。


答えはないし、
全貌が分かるはずもないけれど、

それを知っていてもなお、

私は、私のことをもっと知りたい。


そう、
自分のことにしか興味がないのだ(笑)



私が何かをしたことで、
自分以外の人が喜んでくれたら、

それはとても嬉しいけれど、

でも、

その誰かが嬉しい、という
その表情や場面の中で、

自分が感じていることを、

感じている何かを、

反応しているその何かを、

味わって
感じて

あぁ、こんな自分もいるんだって、

自分を感じることそのものが、
私の歓びだったりする。


長い w


だから、
変化することや
変容することは、

ブレないここと両立するのだ。


むしろ、
繊細な変化を感じ取れる、
その感性が呼び覚まされていなければ、

ブレ続けるのだと思う。


ブレなくなるには、
感じ取る繊細な感性を、
呼び覚ますことなのだ。